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彼女たちが死んでいく時、彼らは祭りをしていた

サムスン半導体のハン・ヘギョン氏、三回目の労災申請...政府と企業は『半導体祭り』

ユン・ジヨン記者 2010.10.29 18:37

「本当にこれではいけません。こんなことをしていたら、また私のような人が 出てくるでしょう。本当にこれではいけません。」

ハン・ヘギョン氏は、勤労福祉公団の前で涙もなく泣いた。脳腫瘍除去手術で 涙も流せず、瞳も思いのままにに動かせず、歩くこともできず、さじも持てず、 きちんと話すことさえできない彼女だが、たどたどしい言葉には怒りが渦巻い ている。

すでに三回目の労災申請だった。3月24日と8月9日の労災審査請求はどちらも不 承認処理された。不承認処理について勤労福祉公団は、『疫学調査の結果、業 務との関連性は低かった』と説明した。だがハン・ヘギョン氏は諦めなかった。 産業安全保健公団の疫学調査の結果をまったく信じることができないためだ。

三回目の労災申請...「明日も生きているかもしれません」

産業安全保健公団はヘギョン氏の発病が鉛と有期薬品の影響があり得るが、露 出水準が高くないと推定し、労災の可能性を否定した。だが労災申請の当時、 ヘギョン氏が働いていたサムスン電子(株)LCD事業部器興工場の現場は、すでに 閉鎖されていた。

10月27日、勤労福祉公団への再審査の請求前にヘギョン氏の母親キム・シニョ 氏は「もう証拠がないのに、どんな疫学調査をしたのか」と鬱憤を晴らした。 理解できない勤労福祉公団の労災不承認処理が続くほど、キム・シニョ氏はヘ ギョン氏の代わりに、多くの涙を流さなければならなかった。すでに法院の判 例では『明白な医学的な立証ではなくとも、業務と疾病間の関連性がある程度 推測判断されるだけでも因果関係を認めなければならない』とされ、勤労福祉 公団への彼女のはがゆい気持はなかなか消えない。

元気だった娘が一日で1級障害者になったことも悲しい。キム・シニョ氏は 「10月19日はヘギョンの手術から5年になる日だった」とし「腫よう除去手術で ヘギョンは味も感じられず、涙も流せず、きちんと見て話をすることさえでき なくなった」と話した。歩いて病院に入ったヘギョン氏は、車椅子に乗って病 院を出た。歩行障害1級、視力障害1級、言語障害1級の障害者になったからだ。 だが、こんな状況でも再発の恐れは存在する。最近は息をすれば頭が締めつけ られるような感じがして、母娘は緊張をして暮すほかはない。

手術費や病院費のおかげで、生計を立てる方法もない。キム・シニョ氏は「今 はリハビリ病院にいるが、3か月ぐらいで追い出されそうだ」とし「その時には 大学病院に移さなければいけないが、その費用は本当に考えたくもない」と話 した。一人で歩くことも、トイレに行くことも、ご飯を食べることもできない ヘギョン氏の世話をするために、キム・シニョ氏も経済活動を放棄している状 態だ。彼女は「1か月の家賃が28万ウォン、病院費が35万ウォン程かかり、食料 品、電気代、水道代などがかかる」とし「今はパノルリムの助けで暮している が、いつまでも助けを受けていることもできず、これからの暮らしは絶望的だ」 と心境を伝えた。

ハン・ヘギョン氏は1996年にサムスン電子器興工場に就職し、LCD回路基板を作っ ていた。そこでヘギョン氏は6年間、鉛のソルダークリームとフラックス、IPA などの有害化学物質を取り扱っていた。だがたった一度の安全教育さえ受けら れず、その上、手袋もきちんと着用していなかった。12時間交代勤務で、食事 の時間にも寝た。皮膚疾患と生理不順になった。入社3年目、その時から生理が なくなった。2005年10月、突然倒れた後、脳腫瘍と判定された。ヘギョン氏と 同じラインで働いていた同僚も皮膚疾患と生理不順を病んできた。結婚後、子 供を持てなくなった同僚もいた。

「本当に頑張って働いた罪しかありません。本当にこれではいけません。私の ような人がまた出てくるでしょう。危険物質を使っていると話してください。 安全教育と、物質が危険だと話してください。苦しいです。明日はどうやって 暮していくのか、暮していけるのかもわかりません。」

彼女が泣いている間、彼らは祭りをしていた。

ハン・ヘギョン、キム・シニョ母娘が勤労福祉公団の前で戦っている時、政府 と企業は『半導体祭り』の準備をしていた。

10月29日は知識経済部の主催、韓国半導体産業協会が主管する『第3回半導体の 日』だ。政府と企業は『半導体産業世界市場占有率20%、輸出450億ドル、半導 体2強跳躍』を宣言し、半導体の日を迎えた。

だが63ビルで開かれた『半導体の日』イベントに労働者はいなかった。サムス ンで働いて病気にかかった100人の労働者、30人の死亡者は忘れられていた。単 に祭りの外でハン・ヘギョン、キム・シニョ母娘と半導体労働者の健康と権利 を守る会・パノルリムだけが、サムスンで死んでいった30人の労働者と100人の 病気にかかった労働者を追慕するだけだった。

パノルリムのコンユ・ジョンオク活動家は、「成長、企業、国家競争力を語る この席で、われわれは人間、そして命を話すために出てきた」と声を高めた。 また彼らは「多くの電子産業労働者の苦痛を語ることなく、ただ経済成長と成 果だけを語って祭りをする今日、これこそ資本主義の非人間的な本質を確認さ せる場」と強調した。

キム・シニョ氏は「6年間サムスンで働いた私の娘が障害者になって帰ってきた」 とし「33歳の娘と外出する時、ストローとおむつなどを用意しなければならな い気持が分かるか」と鬱憤をぶちまけた。また「治療を受ける権利もないこの 苛酷な世の中は、私たちのようなの人のための社会にならなければならない」 と強調した。

一方、パノルリムと金属労組、アジア労働災害被害者権利のためのネットワー ク、技術の社会的責任のための国際運動の四つの団体は、『サムスンの職業病 責任認定と安全で人間的な労働条件提供を要求する国際請願運動』に突入した。

8か月間、オフラインで同時に進められる請願運動はすでに7千人の署名が集まっ た。彼らは署名運動を100万宣言運動に続け、サムスンと政府を圧迫する計画だ。 また、サムスンのすべての情報を透明に公開しろという国内外の専門家たちの 署名運動も始まった。

パノルリムは「サムスンが被害労働者と家族に謝るまで、電子産業職業病被害 労働者とすでに死んでいった労働者が職業病と認められ、正当な補償を受ける まで、政府がサムスンの責任を問い、安全で人間的な労働条件を勝ち取るまで、 100万請願運動は全世界で続く」と明らかにした。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2010-10-30 23:14:06 / Last modified on 2010-10-30 23:14:07 Copyright: Default

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