本文の先頭へ
LNJ Logo 美術館めぐり:「絵ごころでつながる―多磨全生園絵画の100年」展
Home 検索
 




User Guest
ログイン
情報提供
News Item 0826art
Status: published
View


 


 志真斗美恵 第2回(2024.8.26)・毎月第4月曜掲載



●「絵ごころでつながる―多磨全生園絵画の100年」展(国立ハンセン病資料館)                       

人間になる道しるべ

 国立ハンセン病資料館(東京都東村山市)は、国立療養所多磨全生園(ぜんしょうえん)の一角にある。清瀬駅か新秋津駅からバスで10分ほどの所で、戸建て住宅が立ち並んでいる中をバスは走った。かつて、ここは孤立した場所だったのだろう。

 関東大震災から2か月とたたない 1923年10月31日から11月3日まで、第一区府県立全生病院(現・多磨全生園 以下全生園と標記)礼拝堂で「第壱回絵画展」が開催された。この絵画展の作品は残されていないが、園内誌『山桜』で感想が読める。ハンセン病で入所していた山本哨民の文。「かの絵画会は全患者向上をあらはしたと共に将来の何者かの暗示であらねばならぬ」(第5巻第9号)と彼は書いている。「将来の何者かの暗示」とは、何だろうか? 絵画は、隔離・偏見・差別を受け続けたものの光明になりえると、患者たちは捉えたのだろう。

 展覧会チラシ(写真)には、患者たちが描いた絵を持っている記念写真(1946年書画展)の左右に「絵を描くことが ぼくらのすべてだ」とある。この言葉は、ハンセン病患者・長浜清の詩「喪失」の書き出しに由来する。彼は、絵を学ぶために長島愛生園より全生園に転園したものの病床に伏したまま、1971年に43歳で亡くなった。

 1919年に創刊された園内誌『山桜』は、表紙に絵が描かれた。ほとんどが入所者による絵だ。園内誌は、ほぼ月刊で、絵画展の記録のみならず、文芸作品、評論なども掲載された。1952年に誌名が『多磨』と改題された後も、入所者の作品を中心にした表紙の体裁は続いている。壁1面に張りだされたおびただしい数の表紙の展示に私は圧倒された。

 戦争中の1943年、40人ほどで全生園に「絵の会」が結成された。治療にあたっていた絵を描く医師からの働きかけもあったようだが、その年のうちに「第1回書画展覧会」が開かれた。戦時中、物資不足に苦しむが、戦後、外部の美術団体に属する画家の指導を受けて活動し、会員は60人ほどになった。1960年には、全生園で、国立近代美術館所蔵の絵が展示された1日限りの「名作絵画展」も開かれた。

 展示は、230点余にのぼる。――故郷で見ていた富士山を描き続けた元船員の望月章(1920〜2012/写真上)、園の文化祭で洋画展を開催した国吉信(1910〜1994/写真下)、「絵を描くことが、私と社会とを繋ぐ唯一の行動であった」と、追悼式の遺影に自画像の画を残した氷上恵介(1923〜1984)。鈴村洋子(1938〜2020)は、今回の展示の唯一の女性。北海道生まれで幼少期に発症、片足を切断したため平坦な全生園に転園し、地蔵や達磨の絵と言葉の入った絵葉書、18巻もある障子紙に描かれた絵巻など多くの作品が展示された。

 強制隔離は、1931年「癩予防法」により始められた。入所すると一歩も外には出られない。学校も納骨堂も療養所内におかれた。1943年に開発された特効薬プロミンにより治癒する病になったにもかかわらず、1953年の「らい予防法」によって強制隔離は続行された。療養所入所者たちは激しい反対運動を展開した。が、廃止されたのは、1996年であった。家族は、迫害され、患者が身内にいることを隠した。入所者の多くは、治癒しても園に留まらざるをえなかった。

 全国ハンセン病療養所入所者協議会によると全国13か所の国立療養所で暮らす元患者は本年5月現在710人、平均年齢88.4歳で、年々人数は減少している。差別と偏見の歴史をどう伝えていくのか?

 「終わりある歴史」の展示をみて、最近読んだ鶴見俊輔の言葉を思い出した。彼は、若いころからハンセン病療養所内の文学活動にかかわっていた。「日本国民はどういうふうにして人間になれるのか。じつはそれこそが最大の問題なんです。私は、ハンセン病の文学が、人間になるその道しるべをつくっていると思いますね。」(『内にある声と遠い声 鶴見俊輔ハンセン病論集』) 

 ハンセン病の絵画も、同様である。鈴村洋子は、絵巻に「明日は北海道への里帰り 誰も待っている人、いないの 身内に知られること いちばん怖がる妹 (中略) 里帰り身内に逢えず何処かさみしくて 泣き出しそう」と記した。そして、続けて「生きるって やっぱりうれしい 父ちゃん母ちや(ママ) ありがとう」と書いていた。絵巻を見て、その崇高な〈人間性〉に私は心底から感銘を受けた。

(9月1日まで 国立ハンセン病資料館で開催 常設展も見てほしい)
*掲載の絵画は、すべて冊子『絵ごころでつながる―多磨全生園絵画の100年』より

*追記 絵画展ではないが、重監房資料館(草津の国立療養所栗生楽泉園に隣接)で、12月22日まで「重監房廃止。しかし、その先は?」展が開かれている。ハンセン病回復者の人権を考えることは、私たち自身の人権を考えることなのだという事を、しっかりと認識する機会になると思う。


Created by staff01. Last modified on 2024-08-27 18:03:45 Copyright: Default

このページの先頭に戻る

レイバーネット日本 / このサイトに関する連絡は <staff@labornetjp.org> 宛にお願いします。 サイトの記事利用について