韓国:[チェ・インギの写真世の中](4)上道4洞撤去村 | |||||||
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天国と地獄の境界で[チェ・インギの写真世の中](4)上道4洞撤去村
チェ・インギ(貧民活動家) 2012.04.03 18:01
上道4洞はソウルにいくらも残っていない貧民街です。家賃が200万〜500万ウォン ほどの貧しい人々が集まって暮らす村です。村の近くには讓寧大君の舎堂である 至徳祠があります。 60年代のソウルは、離農人口により多くの貧民街ができ始めました。上道洞も その1か所です。かなり前からここの住民は至徳祠の周辺に建物を作り始め、 安い賃貸料のためソウル地域の都市貧民の生活の基盤になりました。 この地域は2004年に住宅再開発基本計画が作られ、現在まで撤去民との対立が 続いています。まず至徳祠の宗親会側が無許可建物の家主を中心に結成された 『住宅再開発推進委員会』に土地を売り払おうとしました。そのうちにまた 『民営再開発』である『地域住宅組合』事業に旋回し、至徳祠の関係者と組合 代表などの関係者が、続々と不正で拘束されました。入居者への補償の義務と 賃貸住宅を作らないという小賢しい手法があられました。すでに何年もこんな 状況で代案を用意できず、ジレンマに陥っている状況です。 こうした中で何年目も行き場なくなんとか戦っている人々は撤去民です。写真 は昨年4月25日の状況です。夜明け前に撤去が始まりました。ハンマーと鉄パイ プを持った用役の中には、未成年者のようなあどけない顔をした人も見えます。 世間の美しいものだけを見て育つべき子供たちは日当目当てに危険な撤去現場 に配置されています。残念というよりも腹が立ちます。結局彼らも被害者のような ものですから。 カメラを奪われ、衝突して、駆け付けた住民のおかげでまた取り戻しました。 こちらとは無関係に反対側には建物がぎっしり建っています。一方では暴力が 乱舞し、もう一方では薄情にもケナリ(レンギョウ)が咲き始めていました。 なぜか佗びしい春の日でした。 撤去用役は労働部の担当者もなく、人が暮らす家をハンマーでどんどんと叩き 壊したり、備品を放り出して撤去しました。明らかなことは、人が暮らしてい るのに撤去してはいけないということです。そして労働部のアスベスト検査証 がなければ撤去することはできません。しかし法はここには存在しません。 またまた体当たりの暴力、しかも暴力、住居権争奪と書かれたチョッキを着た 住民が地面に倒れた姿、そして何か特別な場面を撮ろうとするような記者たち... 地面に座り込んで泣くおばあさんがかわいそうです。 「おばあさんどこに行くのですか?」 「そう行くところがなくて...」そうして一日が暮れ、戦争のような上道洞の戦いは一時的な休戦になりました。 家は暮らす所ではなく売買するもの? そんな言葉が通じない所です。上道洞の 人々の広間だった『ファニ・スーパー』の前に茫然自失と立っている住民たち の姿も見られます。 また時間が流れ、昨年9月30日の上道洞の姿です。この日は住民が集会を開く日 でした。そして夜遅く集まって村祭りをしました。日常に戻った住民の姿です。 住民の間の積もった傷を抱いて懐抱する日でした。ある撤去民は村の入口にある ファニ・スーパーの前に横断幕を設置して、近付く冬の準備をしていました。 こうすることでやっと安心できるというのです。すでに何杯かのマッコリで酔いが まわった村のお年寄りは、村祭りの前に忙しくお客さんを迎える準備をします。 そしてまた冬です。龍山惨事3周期を迎える2012年1月15日、強制撤去地域の訪 問がありました。上道洞には新しく描かれた壁画が崩れた建物の間で豪華に咲 いています。誰かの関心と配慮が住民の疲れた心身を軽く慰めます。 記事を作るために何人かに電話をかけました。今、状況はどうかと尋ねると、 上道4洞撤去地域には40-50所帯ほどがなんとか頑張っているそうです。今後、 どうなるのかと聞いても誰もはっきり返事することができません。別の見方を すれば、ここは天国と地獄の境界のようです。『人が暮らしています』と書か なければ安心できない村、上道洞。 自分の家を守ろうとする人々、日常の労働 を終えて、ゆっくり休みたいという望みが贅沢になってしまった国です。それ でも今、上道洞にはケナリがいっぱいに咲いているのでしょう。 もっと詳しい内容はhttp://cafe.naver.com/sangdo11.cafeと、竜山2周期討論会資料集上道4洞報告書を参照してください。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2012-04-04 08:00:13 / Last modified on 2012-04-04 08:00:22 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ |