韓国:軍部独裁が韓国の民主化の根拠地を作った? | |||||||
Menu
おしらせ
・レイバーフェスタ2024(12/25) ・レイバーネットTV(11/13) ・映画アンケート募集中 ・あるくラジオ(10/10) ・川柳班(フェスタ投句先) ・ブッククラブ(2025/1/11) ・シネクラブ(9/1) ・ねりまの会(10/12) ・フィールドワーク(足尾報告) ・三多摩レイバー映画祭 ・夏期合宿(8/24) ・レイバーネット動画 ●「太田昌国のコラム」第96回(2024/11/15) ●〔週刊 本の発見〕第369回(2024/12/5) ●「根津公子の都教委傍聴記」(2024/11/28) ●川柳「笑い茸」NO.158(2024/10/26) ●フランス発・グローバルニュース第14回(2024/10/20) ●「飛幡祐規 パリの窓から」第96回(2024/12/5) ●「美術館めぐり」第5回(2024/11/25) ★カンパのお願い ■メディア系サイト 原子力資料情報室・たんぽぽ舎・岩上チャンネル(IWJ)・福島事故緊急会議・OurPlanet-TV・経産省前テントひろば・フクロウFoEチャンネル・田中龍作ジャーナル・UPLAN動画・NO HATE TV・なにぬねノンちゃんねる・市民メディア放送局・ニュース打破配信プロジェクト・デモクラシータイムス・The Interschool Journal・湯本雅典HP・アリの一言・デモリサTV・ボトムアップCH・共同テーブル・反貧困ネットワーク・JAL青空チャンネル・川島進ch・独立言論フォーラム・ポリタスTV・choose life project・一月万冊・ArcTimes・ちきゅう座・総がかり行動・市民連合・NPA-TV・こばと通信
|
軍部独裁が韓国の民主化の根拠地を作った?[ファクトを満たすメディア批評]あまりに常識はずれの大韓民国歴史博物館開館2周年国際学術大会
イ・ジョンホ(蔚山ジャーナル編集局長) 2014.12.08 11:00
遅く軍隊に行った私は、盧泰愚(ノ・テウ)政府の末期から金泳三(キム・ヨンサム)政府の初期まで、 大統領権力の変化が韓国軍部にどんな影響を及ぼしたのかを断片的ながらはっきりと目撃した。 師団の上の軍団司令部で人事行政兵として働いていた私は、 毎日3星の将軍を見ながら兵役を終えた。 ひどいことに、一等兵の階級章を付けるとすぐに任期終盤の盧泰愚大統領が直接軍団司令部に来た。 青瓦台警護室は大統領の訪問三日前から司令部のあちこちを騒然とさせた。 軍司令官が訪問するだけでも、掃いて、拭いて、吹いて、叩いて大騒ぎなのに、 大統領の訪問は司令部内のすべての兵士たちを苛酷な清掃労働に追いやった。 大統領訪問の前日、司令部の中に別途の小さな建物で独立して働く機務司令部の中佐1人がデモの前歴がある兵士と会って「軽挙妄動をするな」と警告した。 機務司令部は、全国の各軍団と師団司令部に配下部隊をおき、軍人を監視してきた。 その威勢はとてつもないもので、機務司の中佐が陸軍中領や大領と碁を打ちながら、友人のように過ごした。 機務司の大尉は3星将軍の軍団長と同じほどの威勢を持っていた。 厳格な階級社会の軍隊では有り得ないこともよくあった。 機務司の大尉が部隊の中で准将の副軍団長と共にテニスをして遊んだ。 これまですべての国家権力が国家情報院(国家安全企画部)と機務司令部を重用したのはこういう理由だ。 数か月後に大統領が金泳三(キム・ヨンサム)に変わり、機務司には激しい風が吹いた。 民間人のように長い髪をして歩き回っていた機務司副士官と位官将校をすべて一般部隊に送った。 ぶらぶらしながら司令部内のどんな事務室でも入ることができた中佐の1人は前方の戦闘部隊に行くことになり、泣き喚いて大騒ぎをした。 いわゆる金泳三の一心会粛清作業が始まったのだ。 機務司令官も3星将軍から階級を一段階下げられ、少将にしてしまった。 私たちの司令部にいた機務司責任者の大尉は前方部隊の中隊長になったといった荒々しいうわさが広がった。 しかしこれもつかの間だった。 権力はまた監視犬を必要とし、前方部隊に行った機務司の幹部はまた元の地位に戻り、また一般部隊を監視する役割を引き受けた。 それから20数年経った今日も、機務司は相変らず軍隊はもちろん、時には民間人まで査察してマスコミに暴露されて問題を起こしているが、相変らず解体されることなく健在だ。 軍部が権力をつかもうが、民間人がつかもうが、監視犬は必要だから。 特務隊、防諜隊、陸軍保安司令部、国軍保安司令部、国軍機務司令部と名前が変わったところで、 彼らが1948年5月27日に陸軍情報局傘下の特別調査課から始まって以来、66年の間にしてきた仕事は変わらなかった。 初代防諜隊長が朴正煕(パク・チョンヒ)少佐と動機だった金安一(キム・アニル)大尉で、 全斗煥(チョン・ドゥファン)本人が1979年に保安司令官として情報を独占し、大統領の椅子まで盗んだのだから。 こうした軍部の汚い政治介入をめぐり、興味ある学術論文が出てきた。 12月5日に開かれた大韓民国歴史博物館開館2周年の国際学術大会で、 ドイツのハイデルベルク大学のアウレル・クルアサン教授は主題発表文で 「6月抗争以後の韓国大統領の帝王的権力が『軍部の脱政治化』を持たらした」とした。 朝鮮日報はこれを学術大会が開かれる二日前の12月3日付23面に 「強大な大統領、『軍部脱政治化』をもたらす」という題名でのせた。 この記事だけを読めば、軍部の脱政治化のために戦ってきた60〜90年代の多くの学生と知識人の役割はどこにもない。 クルアサン教授はさらに一歩踏み出して、朴正煕、全斗煥時期の軍部主導の経済発展と現代化が、逆説的に民主化の根拠地を用意したとし、 韓国社会で軍事政権を歴史発展に必須の条件と認めるような発言もする。 「軍部が民間エリートとの協力を通じ、政府を掌握して国家の改革を進め、 さらに安定的で効果的な民間統治の構造的条件を作った」という部分がそれだ。 知識人と言論はいつも新しいものを探す属性を持っているが、このように無理に一般化すると本質をはなはだしく踏み外すのが常だ。 結局クルアサン教授は「韓国の発展で軍部主導の経済発展と現代化が民主化の根拠地を作った」という奇怪な結論に至ってしまう。 朴正煕の「韓国的民主主義」という妄言を思い出す。 「韓国的民主主義」は「独裁」でしかなかった。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2014-12-09 05:36:18 / Last modified on 2014-12-09 05:36:19 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ |