韓国:WTO香港闘争、古い国際主義-新しい行動主義 | |||||||
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WTO香港闘争、古い国際主義-新しい行動主義[寄稿] 1 -チャンデオプ アジア労働情報センター活動家 チャンデオプ (アジア労働情報センター) 香港がWTO会議場所に決定される。 2003年10月、巷間に飛び交っていたうわさが事実だと確認された。第6回世界 貿易機構(World Trade Organisation)総会が香港で開かれるということだった。 中国特別自治区香港政府は2003年8月、WTO会員国に招請状を回した。 香港が会場に決定された理由についてはさまざまな推測が存在するだけだ。 WTOの立場から見れば、香港は商品と貨幣の貿易により収益を上げ、生活のす べての部分─食糧、エネルギーを含む─を貿易に依存するため、そうした面で 見ると香港はWTOが主張する自由貿易を象徴している。中国政府の立場からは、 香港で開かれるWTO会談は現在、米国とヨーロッパから受けている『保護主義者』 (Protectionist)というレッテルをはぎとり、自分たちが新自由主義体制の下 で持つ政治的な位置づけを広げる機会と思われただろう。 香港政府の立場から見れば、香港は現在次第に大きくなる貧富の格差を基盤に、 立場を固めつつある香港の民主化運動に対抗できるような補償が必要だった。 誰にも適用されるような理由をひとつ付け加えるとすれば、香港は強力で戦闘 的な社会運動を持たないため(あるいはそうに思われたので)、シアトルとそれ 以後のWTO会場で起きた一連の『不幸な』事態が発生する可能性が少ない都市 の一つだ。 写真1. 2004年7月1日の香港民主化デモ 香港は言葉通り自由貿易の都市だ。多くの学者が指摘するように、香港は事実 上、新自由主義が支配的なイデオロギーとして登場するはるか以前から経済的 に最も『自由主義的な』都市として発展してきた。市場への政府の介入(事実 上、資本に対する政府の規制)はほとんど一つもないという点で、他のアジア の国家とは対照的だ。おかげで香港は、中国に返還されるはるか前から世界で 最も自由な経済(world's freest economy)に選ばれ続けてきた。 これと反対に、国民が行政長官を選ぶ直接普通選出権と、選出される立法議会 の立法権など、市民の真の民主的権利はただ一度も制度化されていない。中国 返還以前には英政府に任命された総督が、返還以後は中国政府に任命された 行政長官が政府を率いている。 立法議会は憲法を改正する権利を持たず、立法過程での憲法的解釈は全面的に 中国政府の役割であり独占的な権限になっている。このように抑圧的な社会で 60年代の親中国系列の騒乱以後、これといった民衆運動が発展しなかった理由 をいぶかしく思うかもしれない。これを最もよく説明するのは、経済からの政 治の(幻想的)分離からさらに一歩踏み出し、政治からの行政の分離ということ だろう。 形式的な市民の行政参加はよく整っている。返還以前の英国の憲法に基づいて、 政府政策の基本方向を阻害しない限り、政策決定の透明性を保障する行政的・ 司法的手続きが導入されている。また、89年の天安門抗争以後、さらに保障が 広がった。行政長官の直接選出をはじめとする市民の政治的参加権の拡大は、 返還直前に英政府が進めたものの、中国政府の反対で宥和された。 一言でいえば、香港は憲法的次元で、また資本-労働関係の次元で、国家が持 つ強力な抑圧的性格が民生的・行政的次元での手続き的な透明性と言論の自由、 集会・結社の自由等により、抑圧的ではないと明らかになる体制を持っている のだ。このような状況で、60年代の親中国騒乱以後、香港の民主主義運動は漸 進的な変化を要求する制度化された運動として落ち着いた。 HKPA WTOの第6回閣僚会談を前に、香港の民衆運動団体は市民団体と労働組合が参加 する広範囲な連帯機構を構成し始めた。これがつまり香港民衆同盟(Hong Kong People's Alliance on WTO)だ。香港民主労総(約16万人の組合員)をはじめ、 宗教団体、人権団体、環境団体、アジア地域のNGOの本部、そしてOxfamや Greenpeaceをはじめとする大きな非政府機構など、31ケ団体が参加するこの機 構は、おそらく香港の民衆運動を総て網羅していると見ることができる。 規模で見ればそうだが、この連帯は韓国や他の国とは多くの点で性格が異なる。 まず、香港民主労総と移住労働者団体を除き、大衆組織がないという点が特徴 だ。事実上、ほとんどの機構は10人未満の活動家で構成される小規模な団体だ。 それでさえ、一人の活動家がこの組織、あの組織と重なっていることが多く、 事実上の大衆性はさらに落ちると見られる。 さらに一つ指摘すべき点は、返還以後、現在まで香港の民主主義運動を率いて 数年間に数十万の香港市民を民主化デモに組織しぬいた民主党をはじめとする 汎民主政治団体の参加が全くなかったという点だ。 内容的に、この民衆同盟が追求する運動の階級構成(class composition)を見 れば、さらに興味深い。この連帯体は事実上、対政府ロビーによりWTOを改造 しようとする団体(Oxfamが代表的だ)から、WTO解体と資本主義反対を主張する 直接行動グループまでを網羅する。従来のWTO反対闘争がこれと似た連帯組織 (Seattle Coalitionの例で見られるように)を持っていたにもかかわらず、 People's Global Actionなどの急進的反資本運動勢力の闘争力と組織力を反映 し、全体的には反資本的階級構成を持っていたのと違い、香港ではこの政治的 な多様性の中で民衆同盟以前から大衆動員力と資金力、交渉力などを備えた体 制内的でおとなしいグループが事実上の主導権を握るようになる。 すなわち、香港民衆同盟が追求するWTO闘争の階級的構成は事実上シアトルか らはるかに後退した保守的な階級構成を持つことになった。これはまさに香港 民衆同盟の名称をめぐる論争に表われる。ます、Hong Kong People's Alliance against WTO (WTOに反対する民衆同盟)として出発した民衆同盟は、 漸進主義的グループの意見を受け入れる過程でHong Kong People's Alliance on WTO (WTOに関する香港民衆同盟)に修正された。ここにはOxfamの ような巨大NGOの立場と、事実上WTO解体に明確に反対する国際自由労連の(ICFTU) の政治的立場を無視できない香港労総の悩みが反映されていた。 『香港民衆同盟の立場』という文書をめぐって行われた論争も、こうした漸進 主義的傾向を反映し、民衆同盟は時にはWTOに反対し、時にはWTOの改革と透明 性を要求するといった形で現れた。そのうえ南半球の政府を北半球の政府に対 抗する連帯の対象として見る観点が登場しさえした。 さらに言えば、民衆同盟に初めて回された草案では、民衆同盟は『香港の法と 秩序、私有財産を保護して...』いかなる種類の『暴力行為も予防』するとい うことを優先順位に置いているような印象を与えたし、民衆同盟のWTO闘争の 保守的な階級構成が明確に見られるようになった。この点は民衆同盟の2種類 の役割─香港の民主化運動をWTO反対闘争を通して発展させることと、世界の 民衆のWTO反対闘争を最大限支援すること─をいかに調整するかという点でも 数え切れないほどの質問を呼んだ。 それ以後も、民衆同盟の指向点は何度も繰り返される会議の中でも香港特有の 実用主義に埋もれて一度も討論されず、『合意がないこと自体が唯一の合意だ (No consensus is the only consensus)』という言葉が出るほどだった。この 討論されない多様性は、それ以後も引続き問題を起こすことになる。香港民衆 同盟の階級構成は、多くの意味を持っていた。何よりも香港闘争が始まるまで、 反WTO闘争の初期に反体制的直接行動主義組織に引き回されてきた新社会運動 (new social movement)の巨大非政府機構(NGO)と、ICFTU (国際自由労連)をは じめとする古い巨大国際労総は、公正貿易(fair trade)、保護主義、国家介入 などのスローガンを持って巨大なケインズ主義連帯(Keynesian coalition)を 建設することにより、WTO闘争の『主体』に復帰することができた。(1) 反WTO闘争において、反資本、反WTO運動団体と個人─失業者、都市貧民、パー トタイム労働者などから形成される─ の直接行動により新しく形成され、漸進 主義的な巨大社会運動団体と国際労働組合、正統主義的マルクス主義運動勢力 (Orthodox Marxists)すべてをあわてさせた新しい国際行動主義(new international activism)は、今一度、古い国際主義のスローガンに墜落する 危険があった。WTO闘争の直前まで、香港の国際主義は古い国際主義に過ぎな かった。 韓国闘争団の闘争-強固な先導闘争、韓国式国際主義 このような香港の状況により、韓国の労働者、農民運動がWTOの解体を主張す る強固な闘争を組織するためには、香港民衆運動の支援は事実上の限界を持っ ていた。香港闘争以前の反資本直接行動グループは、香港闘争の階級構成を変 えるような論争を組織できる内容を持たず、行動を組織できるような力量と組 織力も持っていなかった。(2) 韓国遠征闘争団の闘争は、香港の移住労働者団体の闘争と共に、こうした状況 で反WTO闘争の階級構成を変えるための重要な役割を果たした。もちろん韓国 闘争団の『先導闘争』は、一方で韓国民衆運動の国際連帯において、古い韓国 式国際主義のさまざまな要素を再度露出した。 写真2. 12月11日移住労働者団体の行進 11日、初めて組織された国際行動で最も大きな役割を果たしたのは、事実上移 住労働者団体だった。ほとんどが香港で働く家事労働者から形成されたこられ のグループは、多様な文化行動により11日の闘争を彩った。香港政府は13日に インドネシア移住労働者団体の事務室を侵奪することによって、彼らの闘争を 揉み消そうとしたが、これらの移住労働者組織は平均200〜300人を越える大衆 動員力によりその後も引続き反WTO闘争を導いていった。 16万の会員を持つ香港民主労総の大衆動員力が、200人程度を超えなかったこ とと較べると、これらの移住労働者─恒常的に、不法行動が即刻永久追放と失 職につながる危険に置かれている─たちの闘争は高く評価されなければならない。 移住労働者と共に13日以後の闘争を導いた勢力は、何といっても全農と民主労 総が主導する韓国遠征闘争団だった。韓国闘争団は13日から、警察阻止線を体 ひとつで突破しようと試み、こうした不服従的で平和的でありながら、強固な 闘争方式は、他国の闘争団と香港の直接行動グループの参加を引き出した。 大衆的に最も重要な闘争は、恐らく15日の韓国闘争団の三歩一拜闘争だっただ ろう。この闘争は極めて保守的で商業的な香港のマスコミさえ魅了し、ずっと 見物人のままだった多くの未組織の香港市民の参加と支持を引き出すために決 定的な役割をやり遂げた。 事前に協議されなかったこの闘争は、アジアと世界各地から来た多くの学生、 農民、貧民、労働運動活動家を即刻結合させ、その場で国際連帯闘争になった。 韓国遠征闘争団の闘争は、もう一つ目新しい要素を反WTO(あるいは反地球化運 動、反資本運動)に与えた。何よりも、一般的な社会運動の理論の中で70年代 以後、もはや重要ではないと思われていた農民の大衆組織と、反WTO闘争過程 で一貫して『保守的』と見なされてきた労働組合から最も強力な闘争が組織さ れたという点だ。 全農をはじめ、他のビアカムペシナ(La Via Campensina)加盟組織の闘争は、 新自由主義世界化により国際的に進められる農民から土地と公有地(共有地) を剥奪し、自律的経済運営の可能性を剥奪する過程、そしてこの過程を通じ、 農民が資本膨張の一方的な犠牲になることを強要されている現象を反映する。 香港での強固な闘争を通し、これらの団体は農民運動が急進的に再構成されて いることを示した。 他方、韓国をはじめ、80年代と90年代に制度化された労働運動から一定の距離 をおいて着実に発展してきた戦闘的な労働運動も、既存の観念を超えてさらに 根本的な変革を追求する可能性を示した。 写真3. 12月15日韓国闘争団の三歩一拜闘争 最も激しかった17日の闘争は、事実上香港の反WTO闘争の階級構成を決定的に 変える契機を提供する。韓国闘争団は16日の米大使館デモ、韓国領事館占拠な どで徐々に闘争の程度を高めていった。彼らの非妥協的な闘争方式が香港の活 動家の支持を得て、確実に香港反WTO闘争の中心に席を占めた。 きらびやかな17日の街頭デモ戦術を通じ、韓国闘争団はほとんどの国際デモ隊 をWTO会談が開かれている国際会議場のすぐ前まで連れていくことができ、激 しい警察との攻防の後、翌朝、ワンチャイを占拠していた全員が連行されるま で闘争を行った。香港の移住労働者団体は困難な状況でも、警察との最初の衝 突までその場を守り、強力な連帯の意志を見せた。 17日の闘争は、香港民衆同盟と前述の『ケインズ主義同盟』を大きく動揺させ た。17日夜の会議で民衆同盟の指導部は、非常にあわてることになった。警察 は、民衆同盟の指導部を告訴告発すると脅迫し、民衆同盟の指導力では、韓国 闘争団をはじめとするデモ隊を指揮することはできなくなっていた。相当数の 若い民衆同盟の活動家が韓国闘争団と連帯していたが、韓国闘争団は彼らに次 の計画を知らせなかった。 現場の意図を知らない状況で、民衆同盟は警察にワンチャイの包囲網を解くよ う、香港当局に要求し続ける以外は何も出来なかった。民衆同盟は、民衆同盟 と香港の団体に所属する活動家に明確な指令を出せず、結局夜遅くなって『個 人の判断で現場に残るか離れるかを決定しろ』という、指令とはいえない指令 を出した。10人ほどの香港民衆同盟の若い活動家は、韓国デモ隊の安全を保障 するために韓国闘争団と共に夜を明かし、数人の直接行動団体の活動家は最後 まで韓国闘争団と共にして警察に連行された。 他方、民衆同盟の内部で論争は続いていた。一部、TVで生中継されたデモ隊と 警察の衝突の場面により世論が悪化したと考え、18日のデモ闘争を取り消そう と主張した。その反面、指導部の一部と直接行動主義の影響を受けた団体は、 18日の闘争を最後までやり抜こうと主張して、ためらう民衆同盟指導部を強く 批判した。 幸い、民衆同盟指導部の最終決定は18日の闘争を固守するということだった。 この時から反WTO闘争はむしろ民衆行動週間(11日から17日)よりさらに急迫し た状況の中で展開される。 続く 脚注 (1) 60-70年代を掌握したケインズ主義経済学の方法を代案として打ち出す運 動勢力を示す。彼らは国家の介入で資本主義の矛盾が解消できると主張し、 完整雇用と国家規制、受け入れ創出による経済発展を主張する。 (2) ワンチャイでデモ隊に警察阻止線を越えることを訴えるピケを持って立っ ていた人々は、特に注目をあびなかった。おそらく多くの人々が覚えても いないだろう、もちろん、その後彼らの闘争はこのような力量をある程度 獲得する成果を作り出す。彼らは17日の大量拘束事態の前から香港政府の 弾圧に抵抗するハンストに突入していた。 この文は2005年12月の反WTO香港闘争時に英韓の通訳をして、日程に参加した アジア労働情報センター(Asia Monitor Resource Centre)のチャンデオプ活動 家が送った評価文だ。2回に分けて掲載する。 2006年03月31日21時14分 翻訳/文責:安田(ゆ)
ショッピング天国香港で発見した反資本の希望[寄稿] 2 -チャンデオプ アジア労働情報センター活動家 チャンデオプ (アジア労働情報センター) 写真4. 12月22日拘束者の釈放を要求する香港民衆同盟のキャンドル集会 17日以後の闘争は、香港反WTO闘争の階級構成を完全にひっくり返した。香港 民衆同盟の指導部は、民衆行動週間の慎重な姿勢から、無条件的に国際闘争団を 支援する方向へとすばやく旋回し、その後も献身的な連帯闘争を見せた。 すでに16日からハンストなどの行動を取り始めた直接行動グループは、献身的 な支持支援闘争を組織することでこれを後押しした。香港の労働者と市民も民 衆行動週間よりはるかに積極的に自分たちの支持を表明し始めた。民衆同盟に 所属するすべての団体は法律支援ばかりでなく、23日に14人の拘束者が保釈で 解放されるまで、面会闘争、募金闘争、キャンドル集会などにより香港市民の 参加と支持を引き出した。国際連帯闘争があちこちで組織され、主な反WTO団 体の指導者の訪問闘争も成功的に組織された。 12月23日に解放された韓国遠征闘争団は、起訴者の家族と全農、民主労総、民 主労働党の支持闘争と、その後1月5日からは香港市民を驚かせた無期限ハンス ト闘争で香港民衆同盟と市民の支持に応じる。これにこたえて香港民衆同盟は 1月5日から11日まで毎晩、キャンドル集会と1月10日の徹夜同調ハンスト闘争 を展開した。労働者、民主運動家、移住労働者など500人以上のデモ隊が韓国 と日本のハンスト座り込み者を援護した。警察庁と中央政府庁舎に向けてデモ 行進した1月8日の集会で香港のデモ隊は警察の阻止線を超えて激しく抗議する など、すでに全く違う姿を見せていた。 彼らの闘争に見られる国際的連帯の意志は、国際労働運動団体と巨大NGOなど の腰が引けた態度とは対照的だ。これらの『ケインズ主義連帯』は、17日闘争 の波及効果から距離をおくために、ありったけの力をふりしぼっていた。民衆 同盟の『協力団体』になっている香港のNGOをはじめ、国際的な巨大NGOはすで にいかなる論評も拒否していた。ほとんどの国際労働組織は闘争の正当性を支 持しても、他方でデモ隊の『暴力』を批判する両非難論的姿勢を取り始めた。 彼らは香港市民がこのような『暴力』的なデモ隊には同調しないことを仮定し、 両非難論で名分と実利を同時に得ようとする日和見主義的な姿勢を示す。(1) 写真5. 1月5日韓国闘争団のハンスト座り込み 韓国遠征闘争団は、本来意図していたよりもさらに多くのものを得た。事実、 韓国遠征闘争団の香港闘争で示された国際連帯は、『先導闘争』の枠から大き く脱することはできなかった。実際、準備の過程で香港民衆同盟の限界を認識 した韓国闘争団の独自の行動は、反WTO闘争の準備過程で香港民衆同盟の活動 家から自分たちを実務支援者程度にしか認識していないという不満を吐露させ 続けた。 韓国闘争団が民衆行動週間に主導的な役割をすることができ、それがその後の 闘争の方向性に決定的な役割を果たしたのは事実だが、韓国闘争団には事前に 香港と国際的運動団体を自分たちの闘争戦術に凝集させる力量と意図がなかっ た。 WTO会談の前に韓国闘争団の強固な闘争の意志は、香港民衆同盟の指導部とも 民衆同盟所属の直接行動グループとも共有の機会を持てなかった。15日の三歩 一拜の後、闘争団指導者の一部は『韓国』の闘争団が香港警察とWTOを懲らし めるという発言を繰り返していた。 民衆行動週間、そしてまさに17日当日も、韓国闘争団の闘争計画は香港の同志 と共有されず、韓国闘争団の多くの主導者はそうする必要性さえ感じずにいた。 その結果、多くの同志が闘争過程に参加する機会をのがしてしまった。 このような先導闘争的な闘争方式はまた、韓国闘争団の『国際主義』の内容的 な側面にも疑問を持たせる。韓国闘争団の国際主義は、次第に大きくなる資本 の地球化と資本主義的な矛盾の膨張の中で、もはや一国だけの問題は存在せず、 国際的行動主義が唯一の戦術であることを認めさせる新しい形の国際主義とい うよりは、一国の問題を解決するために国際主義を『方法』とする一国的国際 主義(Nationlaist Internationalism)の枠組みから大きく脱していないと見られた。 新しい階級構成、新しい国際行動主義の可能性 香港反WTO闘争展開の過程は、闘争過程で保守化されつつあった反WTO闘争の階 級構成を再度急進化することによって、新しい形態の国際連帯の可能性を見せ た。また他方では、先導闘争という一国的な形の国際連帯方式はやはり、これ までの国際連帯行動が持つ限界を見せた。何より重要な成果は、反WTO闘争を 通じ、始めて照明をあてられた反資本国際行動主義がもうひとつの要素を獲得 し始めたという点だ。香港の大衆組織が中心となった韓国闘争団の強固な闘争、 それぞれ異なる国から国境を越えてきた移住労働者の献身的で団結した闘争、 世界農民運動の連帯組織と進歩的労働組合の連帯闘争、そしてこれらすべてに 質的な跳躍の契機を用意してくれた香港民衆同盟の闘争は、反資本反世界化運 動の未来を占わせてくれる。 古い運動の口先だけの国際主義は、直接の支援と献身的な活動を見せた行動 主義連帯闘争との克明な対照により、自らの陳腐さを再度表わした。 写真6. 香港の子供が描いた連帯の希望 香港闘争で跳躍の契機を用意した行動主義的国際連帯は、現存する国際主義の 古い枠組みに深刻な疑問を投げかけた。巨大な新社会運動団体の恩恵主義的か つ西欧中心的な国際連帯も、巨大な労働組合の一国的国際主義も、大衆組織、 新社会運動組織、農民、労働者、失業者と学生を行き来する新しい行動主義を 統制も、合体もできなかった。 これは、新自由主義世界化により、新しい形を取る資本主義的な発展の矛盾と 運動主体の再構成をそのまま反映する。超国籍資本が運営する『グローバルな 工場』(Global factory)の登場に帰結する最近の資本の膨張と資本運動性の増 大は、工場労働者と資本の間に凝集した資本主義的搾取関係の矛盾を社会的な 水準で深め、社会全体に拡張した。制度化し、保護された労働は解体されてし まった。 独自の生産の自然的、物的基盤に基づき、グローバルな工場に編入されなかっ た第三世界の農業労働は、今はもはや例外なくグローバルな工場の賃労働への 再編を強制されている。前近代的な社会構造に対抗して発展し、その漸進的な 解体により次第に弱められた農民運動は、資本の膨張により無土地農村労働の 力強い団結に転換している。 一方では、既存の制度化した労働組合の交渉力の中で、次第に体制内化していっ た『組織された労働』(organised labour)は、非市場的な社会関係の要素を拒 否する新自由主義の世界化の中で急速に解体され始め、新しい闘争を要求して いる。反資本運動の新しい主導者が資本主義的労働の再構成の中で、一つ一つ 形成されているのだ。反資本運動の新しい主導者は、古い国際連帯の枠組みを 破り、新しい行動主義的国際連帯の基盤を積み上げている。 こうした発展は、韓国の労働運動の国際連帯にとっても少なからぬ含意を投げ かけている。韓国の労働運動において、何より既に当然と思われてきた国際自 由労連中心の労働組合国際連帯の枠組みに対し、再度深刻な問いかけをする 時期に差しかかったことを知らせている。 外部で進歩的な労働組合との質的に新しい連帯の枠組み事を作る作業と同様に 重要なことは、内部では、労働運動の中に多く存在する別の種類の労働─事務 職と生産職、自国労働者と移住労働者、正規職と非正規職─に区分する障壁を 崩すことだ。また他方で強調すべきことは、農民、貧民、少数者(?)運動をは じめとするその他の社会運動との連帯の形態であろう。 新しい行動主義的連帯は、労働が包括できない領域を認め、自身の質的な変化 なく、自分たちと外縁的な関係を結ぶ『社会運動的組合主義』の連帯ではなく、 地球的に、社会的に拡張した資本主義労働の領域を認め、組織すること、そし てこれらの労働の主導者と共に、広義の労働運動を構築する連帯であってほし い。資本がまずわれわれに賦課する多様な形態の壁を崩すことこそ、新しい行 動主義国際連帯が見せる希望であり課題である。香港闘争は、このような点で 今まさに始まった。最も資本主義的な都市で、われわれは小さいながら大切な 反資本の希望を発見した。 脚注 (1) 香港Oxfamなどの一部NGOは、今でもこうした立場を取っており、過激な闘 争により香港市民の支持が急激に下落したと主張している。だが17日以後 の連帯闘争に参加した人々は、香港市民の熱い支持を記憶しているだろう。 香港Oxfamは、自分たちが会いロビーイングする人々が香港の民衆ではな く、香港の支配階級であることを自ら現わした。国際的な労働組合も、表 面では支持声明を発表していたが、実際にこれらのデモ隊が法律違反行動 をしていたのかどうかの独自調査に入った。一切の不法行動が(警察によ り)事実であると明らかになった場合は支援しないという方針がおおっぴ らに議論された。 この文は去る12月反WTO香港闘争当時通訳を受け持って、日程を一緒にしたア ジア労働情報センター(Asia Monitor Resource Centre)のチャンデオプ活動家 が送ってくれた評価文だ。2回に分けて、掲載する。 2006年03月31日21時18分 翻訳/文責:安田(ゆ)
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