韓国:カメラで傷ついた人々にカメラができること | |||||||
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カメラで傷ついた人々にカメラができることセウォル号遺留品、遺品伝授記録調査参加記
ジョンウン記者 2016.01.06 19:00
1月4日午後9時、静かな雰囲気の安山焼香所に到着した。 空気は冷たく、彭木にバスが出るまで一時間残っていた。 一行と駐車場をうろうろしている時、連絡がついたスケジュール担当者は、寒いので遺族控室にきて体を暖めろといった。 焼香所の周囲に置かれたコンテナの冷たいハンドルを回すと暖かい世の中があった。 ソファに三々五々座り、鶏肉の辛味揚げとマッコリ二本が渡されて、 そうしているうちにすぐ一時間が経った。 午後10時、遺族が乗ったバス一台とボランティア、写真家が乗ったバス一台が安山を離れた。 バスで416記憶保存所の担当者が簡単にスケジュールについて公示した。 「たぶん三時頃に到着しそうです。 六時に起きて朝食を食べて、八時から記録作業をします。 バスの時間が決まっているので、午後四時か五時までには引き上げなければならないようです」。 五時間ほどを走って彭木港に到着するとすぐ、いくつかのコンテナに散ってその場に落ち着いた。 睡眠が押し寄せ、朝から繰り広げられたつらい風景について悩む暇もなかった。 翌日午前6時、動かないからだをかろうじて起こして朝食を食べた。 皆がくるからと、「チャンミンのお父さん」が長いこと準備していた雑煮だという。 少し暖かくなった体で午前7時30分、珍道郡庁に出発した。 留意事項について互いに悩みを分けた後、直ちに装備を取り出して撮影の準備をしていると、ボランティアに来た1人が近付いてきて立った。 箱を動かし、物品の記録を残し、ビニールに入れ、取り出して、ハンガーにかける作業まで、横で助けてくれたので撮影は易しかった。 ▲ボランティアと写真記録担当者が撮影をしている しかし、かなり前にやめたタバコが切実になる程、技術的にも心理的にも撮影は容易ではなかった。 物を一つずつ取り出すたびに遺族たちの切実な視線が私の指先に突き刺さる。 結局、苦しくなって、喫煙もしないのに同僚について行って冬の風を飲みこんだ。 状況が良ければ取材しなければならないと決心して来た珍島だが、まったく意欲がわかなかった。 その上に、胸が苦しい人たちがタバコを吸いに出てきて、伝えてくれた話を聞くことができた。 「両親は、自分の子供の物ならひと目でわかると考えたのに... 容易ではないようです。 見てもよく知らないから、それでとても悲しんでいます」。 そばでタバコの煙をため息のように吐きだし同僚が目をきょろきょろさせながら付け加えた。 「その年齢は両親に自分の物を隠そうとするでしょう。当然です」。 さまざまな下着から制服、筆箱、サキソフォン、菓子、帽子。 片方だけ残された運動靴まで、多くの物が主人を失って残っていた。 色あせ、錆がつき、悪臭がする「とてもありふれた」物から、〈空の部屋〉を初めて撮影した時に感じた荒々しい気持ちをまた感じた。 〈空の部屋〉はセウォル号犠牲者の主人を失った部屋を写真家が撮影し、写真に残すプロジェクトだ。 修学旅行にでかけた檀園高校の学生たちが犠牲者のほとんどなので、子供を失った両親と、その子供がもう戻ってこない部屋を共に振り返ることは、 想像するより苦しいことだが、また必ずしなければならないことだ。 今回も、そうだった。 「直接遺品を見ると、これが現実で『本当に自分の周辺でもおきる』と実感した」。 ボランティアとして参加したある大学生が述べたこの所感が的確だ。 錆ついて、工具で切って壊さなければならないキャリアカバンが一つずつ開かれるたびに遺族はせわしく動いた。 あるカバンから色あせた菓子がいっぱい出てくると目を離せなかった。 よく整理整頓されたカバンから漢方薬とささいな洗面用品が出てくると 「こまめにみんな持っていったんだね、薬まで...」といいながら涙ぐんだ。 他方では「私の子供のものだろうか」服のサイズを確認した。 青白い顔の遺族たちが、充血した目で互いに何かカバンを確認してみようと助言をする姿を見て、 腰が痛み、首が痛くて苦しいと言いかけた言葉を自然に飲み込んだ。 ▲セウォル号捜索過程で発見された遺留品を記録参加者と遺族が見ている 腰を伸ばし、曲がった首をたたきながら、ひと息ついている間、横である写真家がニュースインタビューをした。 「まだ何も明らかになっていないから、それが明らかになるまでは何かちょっと一緒にしなければならないのではないだろうか、 そんな漠然とした考えなんです。」 2014年に起きたことが二年経っても何も解決していないということすべてが、あらためて「目新しい」事だったようだ。 すでに2年になろうとしているのに、政府がするべきあらゆることは、遺族と市民が直接している。 午前9時から午後4時頃まで続いた記録作業がすべて終わった後、故イム・チャンビンのお母さんが参加遺族を代表して所感を明らかにした。 「前に一度夢を見たが、子供たちが食卓で遊んでいた... その時うちの息子がこう言いました。 友達は自分のジーンズを一本ずつ持っていったのに、くれないって。 息子が大切にしているジーンズ三本みんな持っていったのに、空のカバンしか出てきませんでした。 後でジャンパー一枚だけ出てきて、後でさらに遺品が出てくるのではないだろうかと期待していたのに... これが出てきても心配、出てこなくても心配。 心配です。 今日一つも出てこず空しい気もするが、出てきても空しかったかもしれず、大変だったとも思うし、そんな状況です。 今、国が解決してくれないこうした事、とんでもない事、私たちがしていて、現場で戦っているのに... こうして集まっていると、いつかは必ず真実糾明されると信じています。」 それからまた五時間走り続けてソウルだ。 日常を続けているので、遺族の疑問のように、なぜこんな重大なことを「私が」しなければいけないのか、 主人が見つからない遺品は、なぜコンテナに無造作に放置され、保管されなければならなかったのだろうか、さまざまな思いが浮かぶ。 言論がきちんと報道しないので直接カメラを持ったという遺族の前でカメラを持った私はとても恥ずかしく、せめて何かできることを探して、こうして多少の罪悪感を消す。 2016年1月5日、20余人のボランティアと20余人の写真家が、 2014年セウォル号捜索過程で発見された千点余りの遺留品、遺品を写真で精密に記録して整理した。 セウォル号惨事が起きてから約1年9か月目だ。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2016-01-08 19:49:47 / Last modified on 2016-01-08 19:49:49 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ |