韓国:セウォル号1周年、車壁に上がって絶叫した遺族 | |||||||
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セウォル号1周年、車壁に上がって絶叫した遺族「セウォル号の船長のように大統領は泣き叫ぶ国民から逃げた」
ユン・ジヨン記者 2015.04.17 03:22
セウォル号1周年を迎えた4月16日の夜。 ソウル広場で開かれた追慕文化祭で故チェ・ユンミンさんの姉、チェ・ユナ氏は舞台の上から涙で訴えた。 「妹が死んでいく姿を生放送で見なければなりませんでした。 お願いですから私たちが死んでいくのを見ていないでください。行動してください」 この日の追慕文化祭には6万5千人以上の市民が参加した。 遺族が涙を流すたびに、あちこちから応援の声が上がった。 集会の後には大規模都心デモ行進が行われた。 先頭に立った遺族の後に、多くの人波が道路を埋めた。 警察は大型ポリスラインと車壁、警察兵力を配置して遺族たちのデモ行進を阻止した。 都心のあちこちで衝突が起きた。 警察は必ずペッパースプレーを散布した。 足止めされた遺族らは結局、警察の車に上がった。 公権力はセウォル号1周年を追慕することさえ認めなかった。 ▲写真=キム・ヨンウク記者 セウォル号1周年、車の上で絶叫した遺族ら追慕文化祭に参加した市民は菊の花を一輪ずつ持っていた。 文化祭が終わると光化門セウォル号焼香所に花を献花する計画だった。 文化祭が終わった後、午後9時頃から遺族が率先して光化門焼香所へと向かった。 だが献花の行列は焼香所の直前、光化門交差点で止められた。 警察は大型ポリスラインと車壁を設置して、解散を命令した。 結局、遺族と市民は清渓川に沿って乙支路方面に方向を変えた。 だがそれさえも警察兵力に遮られた。 警察は清渓川橋に兵力を配置してデモ行進を止め、結局衝突が発生した。 市民は道を開けろと抗議し、警察はペッパースプレーを噴射した。 清渓橋の上で一時間ほど押し問答と小競合いが続いた。 今回も市民は足の向きを変えた。 鍾路3街を通り、鍾閣駅の近くに到着したが、そこにもポリスラインと車壁、警察兵力がぎっしり配置されていた。 警察は車壁を積み「デモ隊のために交通が麻痺した」と解散を勧めた。 警察に抗議する市民に向かって再びペッパースプレーが散布された。 ▲写真=キム・ヨンウク記者 ▲写真=キム・ヨンウク記者 夜11時頃。 結局遺族らは警察の車の上にはい上がった。 故キム・ミンジさんのお父さんのキム・チャンホ氏は、警察バスの上で絶叫した。 「私は平凡な会社員です。 惨事の後、政府は遺族に対し、痛みを治癒して日常にもどれといいました。 それで私は日常に戻りました。 少しでも政府を信じて待っていました。 しかし結果はみじめでした。 掌で雨をふせぐことはできません。 今はもうこれ以上退くことなく抵抗します。 真実究明とセウォル号の引き揚げを要求します。 最後まで私たちと一緒にしてください」 故キム・ミンジさんの親しい友人だったチャン・イェジンさんは、 セウォル号から脱出した生存者だった。 イェジンさんのお父さんのチャン・ドンウォン氏は、ミンジさんのお父さんと共に警察バスに上がった。 チャン氏は「ミンジは私のことを『大きなお父さん』と呼んでいた。 ミンジは帰って来ず、うちの子は生きて帰った」とし 「子供が生きているのに、なぜ職場まで止めてこんな事をしているのかと聞かれる。 理由は醜いおとなになりたくないからだ。 真相究明の約束を守りたい」と話した。 ▲写真=キム・ヨンウク記者 ▲写真=キム・ヨンウク記者 警察バスに上がった遺族は発言も自由にできなかった。 遺族がマイクを持つたびに、いつも警察の警告放送が割り込んだ。 故ナム・セビンさんのお父さんは結局、 「あなた方の子供が死んでもそんなことができるのか」と、激しい怒りを吐き出した。 同じ時間、70人の遺族は青瓦台へと向かうために景福宮進入路に向かった。 市民は遺族と会うために、安国駅近くの仁寺洞道に進入したが、警察の兵力に遮られた。 深夜12時頃まで、約2千人の市民が仁寺洞道で警察と対峙し、その後、都心のあちこちに散ってデモを行った。 この日の衝突で10人の参加者が警察に連行された。 遺族は光化門焼香所に到着し、徹夜座り込みを行った。 「セウォル号の船長のように、大統領は泣き叫ぶ国民から逃げた」セウォル号惨事1年。 数万の市民と遺族が通りに出て施行令廃棄と船体引き揚げを要求したが、 大統領はどこにもいなかった。 惨事1周年をむかえて「海外歴訪」に出た大統領に対する怒りが道路に溢れ出た。 朴来根(パク・レグン)4.16連隊常任運営委員は「自分だけが助かろうとしてセウォル号から脱出した船長のように、 朴槿恵(パク・クネ)大統領は泣き叫ぶ国民を捨てて海外に逃げた」とし 「この国に大統領がいるか。これが国家なのか」と声を高めた。 ▲写真=キム・ヨンウク記者 朴槿恵大統領は海外歴訪に上がる前、 1年ぶりに彭木港を訪問して対国民メッセージを発表した。 だがこれは遺族と市民の公憤を買っただけだった。 安山合同焼香所に集まった遺族の目を避けて、単独で彭木港で「政治ショー」をしたという皮肉も続いた。 朴大統領はメッセージで遺族に対し 「今は亡くなった方々の意を無駄にしないように、彼らが望む家族の姿に戻り、苦痛から抜け出して勇気を持って生きていくことを希望する」と話した。 引き揚げの要求に関しては「可能な限り早い期間内に船体を引き揚げられるようにする」と話したが、 施行令廃棄の要求に対しては言及しなかった。 惨事1周年、遺族はまた政府から裏切られた。 チョン・ミョンソン4.16家族協議会委員長は 「大統領は遺族を避け、彭木港で対国民談話を発表した後に海外に出かけた。 今日、はっきり返事を聞いた。 この国の大統領も、国務総理も、私たちのために答えてくれない人だという事実」だとし 「人の生命を金で片付ける政府に黙っていられない。 答を聞くまで、青瓦台の門を叩く。 体で行動して、実践して、鉄甕城のような青瓦台の答を聞くまで戦う」と声を高めた。 ▲写真=キム・ヨンウク記者 まだ家族のもとに戻れない9人の不明者家族も舞台に上がり涙を流した。 不明者のホ・ダユンさんのお父さん、ホ・フンファン氏は 「まだとても冷たいセウォル号には、9人の不明者がいる。 しかし彼らは虫を見るようだ。 国家が人間らしさを失ったら、私たちに国家は必要ない」とし 「泣いてばかりいる時間ではない。 先頭に立つ。 われわれは9人の不明者を家族と友人らのもとに送りかえさなければならない」と強調した。 ユ・ギョングン4.16家族協議会執行委員長も「海水部が発表した船体引き揚げ発表には 『遺体流失防止対策』という最も重要なことが抜けている」とし 「いいかげんな技術検討ではなく、遺体流失防止対策を中心とする信頼できる方案を出さなければ、われわれは信じられない」と明らかにした。 この日は昼間から雷稲が光り、雨が降っていた。 暗雲の中で、空が痛哭した。 そのうち、午後遅くから空は嘘のようにきれいに晴れた。 人々は天にいる子供たちが、街に出てくるお母さん、お父さんを考えたのではないかと言った。 「お母さんの黄色いハンカチ」のチョン・セギョン代表は 「ソウル広場で皆さんに会おうというので空がきれいに晴れた。 子供たちが空から見ている。 空に向かって、子供たちに叫ぼう」と大声を出した。 ソウル広場に集まった数万人の人々が空に大声をあげた。 「君たちのことを最後まで明らかにします。最後まで行動します」 ▲写真=キム・ヨンウク記者 ▲写真=キム・ヨンウク記者 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2015-04-17 22:59:56 / Last modified on 2015-04-17 22:59:57 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ |