韓国:医師がみた中絶論争の問題 | |||||||
Menu
おしらせ
・レイバーフェスタ2024(12/25) ・レイバーネットTV(12/11) ・あるくラジオ(10/10) ・川柳班 ・ブッククラブ(2025/1/11) ・シネクラブ(9/1) ・ねりまの会(10/12) ・フィールドワーク(足尾報告) ・三多摩レイバー映画祭 ・夏期合宿(8/24) ・レイバーネット動画 ●「太田昌国のコラム」第97回(2024/12/10) ●〔週刊 本の発見〕第370回(2024/12/12) ●「根津公子の都教委傍聴記」(2024/12/19) ●川柳「笑い茸」NO.158(2024/10/26) ●フランス発・グローバルニュース第14回(2024/10/20) ●「飛幡祐規 パリの窓から」第96回(2024/12/5) ●「美術館めぐり」第5回(2024/11/25) ★カンパのお願い ■メディア系サイト 原子力資料情報室・たんぽぽ舎・岩上チャンネル(IWJ)・福島事故緊急会議・OurPlanet-TV・経産省前テントひろば・フクロウFoEチャンネル・田中龍作ジャーナル・UPLAN動画・NO HATE TV・なにぬねノンちゃんねる・市民メディア放送局・ニュース打破配信プロジェクト・デモクラシータイムス・The Interschool Journal・湯本雅典HP・アリの一言・デモリサTV・ボトムアップCH・共同テーブル・反貧困ネットワーク・JAL青空チャンネル・川島進ch・独立言論フォーラム・ポリタスTV・choose life project・一月万冊・ArcTimes・ちきゅう座・総がかり行動・市民連合・NPA-TV・こばと通信
|
医師がみた中絶論争の問題[進歩論評]女性の自己決定権を尊重せよ
キム・イナ(韓国労働安全保健研究所)/
2010年03月09日5時24分
中絶問題で騒がしい。一方では不法中絶をしている病院を告発した医者がいて、 中絶費用が300万ウォンを越えるという話もある。この渦中で、性暴行によって 望まない妊娠をした女性が中絶を望むのなら、告訴状を持ってこいといった2次 加害も起きているという。今まで韓国社会でこれほど中絶問題が前面に出てき たことがあっただろうか。 実際、中絶は残酷だ。学校の実習で見た中絶は衝撃そのものだった。もちろん 実習をする病院は大学病院なので、ここで施行される中絶は法が認めるいくつ かのケースに過ぎず、したがって実習学生の立場から見て特に問題はない。だ が開業医に行けば話が変わる。誰でも知っているように今人工妊娠中絶手術は 多くの産婦人科で受けられる手術だ。まだ形を把握するのも難しい細胞の程度 から、人間の形がはっきりわかる程度まで、妊娠の様々な段階で中絶はあった。 学生時代に私が見た中絶は『してはならない何か』という印象を与えるに充分 だったし、開業すれば中絶せざるを得ないので産婦人科は選ばないという友人 もいた。恐らくこうした認識が産婦人科医に『中絶をしない』という宣言をさ せ、病院を告発するような積極的な行動をさせる原因の一つだろう。 もちろんこうした観点には『人間』または『生命体』の尊厳へという議論があ る。受精から細胞の発生段階を経て、個体が育ち成熟する、その瞬間のある時 点で『人間』の基準を言うことは難しいが、結局は生命を殺すという罪の意識 と烙印がある。そしてこうした烙印により中絶を選択した女性は肉体的な危険 ばかりでなく、口にできない罪悪感と苦しみを抱くことになる。尊重されるべ き生命が失われる過程、体にも悪く、精神健康にも良くない中絶を選ぶほかな い女性、誰も勝者ではないこの過程が繰り返される理由は何だろうか? 私が会った女性の経験を借りて話せば、中絶する理由はさまざまだ。既婚者な ら、計画しなかった子供ができた時に悩む。特に上の二人みな息子だったり娘 だった時に、その悩みは倍になる。既婚者の場合も、学業のため、職場のため、 仕事を止められない、子供を産みたくない、と中絶で悩む。非婚者なら未婚と いう事実そのものが中絶の重要な原動力になったり、妊娠が結局結婚につなが ることについての悩みも続く。多様な理由があるが、私はこれが不安な未来と 不便な現在の間で何を選択するのかの問題だと思う。 子供を産むことで味わう未来の多くの過程が不安なのだ。子供を見守って育て、 その子供と共に人生を営んでいくことは、幸せよりも不幸かもしれないと思う からだ。両親として、その子供に『幸せな生』を与えたいと思っても、そうで きないことがあまりにはっきりしているので、未来が不安なのだ。そしてこの 過程で毀損される『私』のアイデンティティが不安なのだ。生産性と競争力で 評価される世の中で、一瞬で消える『私』の人生が不安なのだ。こうした不安 の中で、子供と共にする喜びと楽しみは大きな補償とは感じられない。選択す べき瞬間には、不安のほうがはるかに大きく作用する。一方、中絶を決心した 瞬間、現実は途方もなく具合が悪くなる。なぜかわからない罪の意識を感じ、 人間としてすべきではないことをしてしまったという傷が女性の心に刻まれる。 こうした不安と傷、全てに耐えていかなければならないのは、誰でもなく、ま さに女性だ。 人口が多いから頼むから子供を産まないでくれとか、出産率がとても低いから 子供を産まなければならないとか、妊娠した胎児を殺すのは殺人だからしては いけないとか、高齢化社会の副作用を考えて子供を産まなければならないなど の話は、もうやめたほうが良い。人口政策が労働市場と経済政策に最も重要な 要因なのは明らかだが、その過程で全て苦しみ、選択を強要されるのは女性だ。 彼女たちに自身の現在の生と、まだ生まれていない子供の人生を天秤にかける なということだ。 もちろん中絶をさせる社会の構造的な問題のほうが大きいとも言え、妊娠を予 防する多様な教育と経験の提供と避妊への認識の拡散も重要で、事後避妊のよ うな早期対策も重要だ。ところがやむを得ず、中絶を決心したのなら、その過 程が少しでも彼女の傷にならない方式でなければならないと考える。罪悪感を 感じる医者が安全に中絶手術をせずにさらに大きな危険に陥ったり、不法だと いう烙印の中でまた別の不安に陥るようなことはあってはならない。 中絶という過程で何を選択しようが、最大の影響を受けるのは女性にならざる をえない。不安に耐えるにしても、不便に耐えるにしても、その主体は女性な のだ。さらにはこの過程は女性の体に直接危害を加える過程でもある。したがっ て、この過程はあまりにも当然ながら女性が決めるべきなのだ。負けが明らか な戦い、彼女たちの声を聞かなければならない。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2010-03-13 15:26:50 / Last modified on 2010-03-13 15:26:57 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ |