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「私も非正規職、私の子供も非正規職」

[インタビュー]ユン・オクチュ光州市庁非正規職支会副支部長

イ・コンマム記者iliberty@jinbo.net / 2007年05月25日14時49分

「非正規法の危険性を知らせるためにソウルにきた」

23日、民主労総集会には遠い光州からソウルまできたある女性労働者がいた。 彼女は光州市庁で清掃外注労働者として働き、労働組合に入ったという理由で 解約されたユン・オクチュ光州市庁非正規職支会副支部長だった。

彼女は「女性非正規職労働者問題をもっとよく知らせ、非正規職拡散法がいか に危険かをみんなに話さなければと思ってソウルにきた」という。

イ・ジョンウォン記者

「心臓が裂けるように痛い」

彼女は55才の非正規職女性労働者で、彼女の子供たちも非正規職だ。彼女は 「心臓が裂けるように痛い」と心情を伝えた。

光州市庁清掃外注労働者たちは、女性の日の去る3月8日、光州市長との面談を 要求して市長室前で12時間の間デモを行い、裸で追い出された。

「私たちができる反抗は、ただ服を脱ぐことしかありませんでした。ですから 私は果敢にぜんぶ脱ぎました。そして叫びました。われわれには、よく働くと いう間違いしかありませんでした。ただ一度市長の顔を見てなぜ私たちが解雇 されるのかを聞きたかったのです」

しかし彼女に戻ったことは市庁職員らの靴を履いた足だった。

そうして追い出された彼女は、翌日から毎日毎日出勤し、退勤をする。今、出勤 と退勤という言葉の後には闘争がつく。毎日の日常が闘争になってしまったのだ。

闘争になってしまった出勤と退勤、そして518

出勤闘争をして、退勤闘争をした去る5月18日、彼女たちが解雇されて70日に なった。彼女たちはその日、光州の望月墓地にいた。80年、あの時初めての 発砲があったYMCA前から始まり、5日間7歩1拝でそこに到着した。

しかし彼女たちを待ち構えていたのは機動隊の盾だった。あのすばらしい 盧武鉉大統領がそこを訪問したからだった。

「とても寂しかったです。私が非正規職だという理由で、女性だという理由で、 こうして踏まれ、また踏まれなければならないのか、本当にはらわたが引き裂 かれるほどの苦痛でした」。彼女の表情にはあの日の佗びしさがそのまま表れ ていた。

「われわれは踏まれれば踏まれるほど、さらに強くなります。下にある怒りの ようなものが上がってくるからか、ますます強くなっています。最後まで戦っ て、勝つでしょう」

イ・ジョンウォン記者

そして彼女は話した。

「私たちも私たちですが、若い人々が非正規職になって、その人たちが私たち と同じ苦痛をあじわうと思うと、絶対に非正規職をなくさなければならないと 思います。私の娘も、私の息子も非正規職なんです」

最低賃金労働者の95%が非正規職だ。そして非正規職労働者中70%が女性労働者 だ。女性労働者という名は、非正規職、低賃金、貧困の代名詞になっている。 だが、その代名詞を拒否し、光州の、蔚山の、ソウルの、全国の女性労働者た ちは戦っている。

彼女は「非正規法はぜひともなくさなければなりません。 私のために、私の子供のためにです」と話した。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンス:営利利用不可・改変許容仮訳)に従います。


Created byStaff. Created on 2007-05-29 06:16:22 / Last modified on 2007-05-29 06:16:28 Copyright: Default

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