韓国:麗水外国人保護所火災惨事、50日間の闘争(下) | |||||||
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過去を踏みしめ、明日に向かって撃て(下)[寄稿]麗水外国人保護所火災惨事、50日間の闘争 コン・ソンシク(社会進歩連帯)/ 2007年04月13日13時46分 2期(2月20日〜25日):怒りの高揚と戦線の拡大
正月連休を経て、いつのまにかマスコミの関心は少しずつ失われつつあったが、 麗水現地での被害者家族の闘争と全国的な移住労働者と韓国社会運動の対応は 火がつきつつあった。麗水惨事共対委は20日から28日までを1次追慕期間と宣 言し、対市民宣伝活動と政府糾弾大衆集会成功に集中していた。 麗水現地では正月連休を過ぎ、共対委と遺族の関係が急速に好転していた。16 日の闘争の成果を受けて、20日にはいよいよ遺族が「火災現場公開」、「所長 面談および謝罪」を要求して政府に対し、公開的な抗議行動に出た。結局麗水 出入国管理所所長は、遺族の前で謝罪して三拝し、遺族は現場を始めて見るこ とができた。共対委と遺族が初めて一緒に闘争して勝利をした、非常に大切な 経験だった。これによって遺族ばかりでなく共対委も鼓舞され、自信を得始め た。そしてこの余勢で23日に麗水現地で遺族が参加した追慕祭のはずみがつき、 25日にソウルで開かれた追悼行事と政府糾弾集会にも遺族が大挙参加するとい う話が出始めた。もちろん、まだ遺族は共対委を完全に信頼していなかったし、 相変らず客観的な条件と主体的な怒りの間で動揺していたが、前の週より状況 が好転しているのは事実だった。 一方、全国的にも闘争が拡大していた。ソウル地域では共対委拡大のための本 格的な組織化に突入し、団体が続々と共対委に参加し始めた。大邱、釜山で対 策委が構成されて闘争スケジュールが決まり始めていた。民主労働党ソウル市 委員会傘下の各地域委員会は、対市民宣伝活動に積極的に立ち向かう手本にな り、MTUは移住労働者を対象とする署名運動と25日の集会組織化に積極的に動 いた。 ソウル集会に参加しない遺族、なぜ? ところがこうした状況で、麗水現地の共対委内で問題が発生し始めた。問題の 発端は25日の集会に上京する遺族の範囲についての議論で、これは22日と23日 を経て共対委(麗水)の運営全般をめぐる問題に拡大した。20日共対委(ソウル) の全体会議では、当日麗水地域の闘争の成功に元気付けられた被害者家族が、 25日当日に全員が上京してソウル集会に参加するという話が出ており、26日に 国務総理面談を望んでいるという要求が伝えられた。これに伴い共対委(ソウ ル)は緊急に国務総理面談を要請して、2日間の闘争日程に責任を持って準備を 始めた。ところが21日突然、遺族がソウルに上京する範囲をめぐって動揺して いるという話が出始めた。伝聞では、正月連休以後、麗水に復帰した共対委 (麗水)のある共同代表が、遺族に対して国務総理面談の可能性はないので上京 する意味がないと話しているということだった。22日の夕方に開かれた状況室 会議の途中で麗水から遺族代表だけが参加するという通知があった。こうした 状況で筆者は23日、麗水現地追慕祭参加のために麗水に行くことになった。 この渦中の22日、麗水では遺族の同意のない死体解剖検査糾弾および保護所惨 事厳正捜査要求記者会見と警察署抗議訪問が行われた。この時も他の問題が発 生する。当初、共対委は署長との面談を目標として訪問したが、交渉のために 警察署に入ったある共対委共同代表が4時の警察捜査ブリーフィングを遺族代 表が傍聴するという協議案を持ち出したのだ。そのため現場で大きな混乱があ り、集会参加者は成果なく帰らなければならなかった。そして23日午前には共 対委(麗水)の他の共同代表が公式の通知なく自主的に遺族と懇談会を開いてい る姿が目撃され、通訳を担当した人から補償に対する話をしたという事実が確 認される。また当日、麗水地域のある新聞に共対委(麗水)が火災の真相に対す る重要な証拠を確保し、26日に記者会見を準備しているという、全く共対委で 議論されていない記事が掲載される。共対委が新聞社に事実関係の説明を要求 し、該当記事を書いた記者が追慕祭の場で関係者から情報を提供されたという 話をした。 こういう落ち着かない状況で、23日に麗水地域市民追慕祭が行われた。追慕祭 が終わった後、夕方に共対委(麗水)執行委員会が開かれる。この会議で共対委 の一部の代表たちが共対委での合意内容に反したり、あるいは合意していない 内容を公開するような行動をしたことについて、麗水現地の市民団体と状況室 の活動家から強い批判が提起された。以後、全体会議でこれらの問題を深く討 論すると決定する頃に突然、共同代表たちは提起された問題について釈明する と言って執行委員会への出席を要請した。彼らは23日午前の遺族面談に対して は、遺族からの要請であり、共対委の方針に外れない線で話をしたと述べ、 記事に対しては決してそのような話はしなかったと釈明した。釈明の後、活動 家たちが共同代表に共対委全体の合意に外れない行動するように要求して、関 連共同代表は自分の誤りを否定しながら大声をあげ指差しながら、執行委の参 席者に公式の会議の席上で罵倒するという常識以下の行動をした。会議は混乱 の中で中断する。 この日、遺族は集会に参加しなかった。代わりに移住労働者が犠牲者の遺影を持った。/移住労働者放送局 翌日、被害者の家族は自主的な公式会議で、25日のソウル集会には参加しない と決定する。結局、25日にソウル駅で開催された麗水火災惨事犠牲者追慕およ び政府糾弾集会は、遺族が参加しないままで開催された。それにもかかわらず、 この事件に対する移住労働者と韓国社会運動の怒りを反映し、2003年の移住労 働者による明洞聖堂座り込み闘争以後、最大規模(1千名)の集会が成功した。 政府の弾圧により、当日の集会デモ行進の申告は不許可になったが、現場から 連行された場合はすぐ保護所に拘禁されたり追放される危険を押し切った移住 労働者と韓国社会運動団体の闘争により、清渓広場まで歩道デモ行進を勝ち取 り、デモ行進中に持続的に車道への進出を試みながら、破廉恥な政府に対する 糾弾の意志を見せた。 葛藤と混乱 ところがこの日の集会でもうひとつの問題が発生した。当日集会でチュ・ボン ヒ民主労総副委員長は、移住労働者運動の歴史を振り返りながら「初期段階で 民主労総次元での対応ができなかったことを謝罪する。事実、今は麗水惨事対 策委が組まれているが、一部の団体が主導している」とし「私は副委員長を離 れて、その団体をよく観察している。その団体が自分たちの利益のためにして いるのなら、この社会から永遠に追放する(民衆言論チャムセサン、『警察の 統制で汚された麗水惨事追慕大会』から引用)」と警告する発言をした。そし て外労協は当日の集会の途中、ほとんどの隊伍を引き上げた。 もちろん一般的な視点から見れば、同じ対策機構に含まれる団体を該当対策機 構が主催した行事で「追放」等の言葉で批判をするのは、一般的な連帯運動の 原則に外れるかもしれない。だがこの発言は当時の状況を振り返ると、全く根 拠がなかったとは言えない。四大要求を基盤にした共同の合意と共同の行動を 中心にしていた共対委の連帯運動の原則は、すでに外労協の一部の代表者によ り破られていたためだ。一方では遺族の怒りと今回の事件に対する韓国社会運 動陣営の闘争の意志が燃え上がっているところで、その時に一部共対委所属団 体の代表が怒りに冷水を浴びせ、連帯戦線に葛藤と混乱を呼びおこした。もち ろん、被害者の家族が結局ソウル集会に出席しなかったのは、単に共対委の一 部の共同代表の影響だけではなかった。24日午前に中国大使館で「外交的」な レトリックで共対委が主催する集会に参加しないよう勧告する連絡を被害者の 家族に送り、これは相当な影響をおよぼした。だが、共対委の外労協所属代表 たちが共対委全体の合意と無関係な突出行動で、被害者家族の闘争が上昇する ことを妨害したり、連帯運動の混乱を持たらしたことで当時、韓国と中国政府 と共対委の間で動揺していた被害者家族が闘争戦線からさらに遠ざかる結果を 呼んだことは否定できない事実だ。これによって共対委としては被害者家族の 闘争を上昇させ、連帯を強化する決定的な機会をのがした。 3期(2月25日〜3月12日):警察最終捜査結果発表と対応、全般的膠着状態 このような状況で、25日のソウル集会以後、ソウルと麗水共対委の合同状況室 会議が開かれた。もちろん、麗水-ソウル間の緊密な疎通の回復と25日の集会 前後の共対委内部の混乱および摩擦に対する明確な評価と問題解決が主な案件 だった。共同状況室会議は多くの議論の末、結果的に今は共同闘争の真っ最中 なので具体的な評価は今後に先送りし、今は共同の四大要求を中心とする闘争 に全員がまい進し、以後の活動は共同の合意と共同の決定を基礎とするという 決定を下した。 だが当時の会議の決定は実現されなかった。外労協所属の代表者と麗水現地に 集まった活動家たちはすでに23日の麗水追慕祭の後、闘争の戦線から退いた。 外労協出身の活動家はその日以後、麗水現場から退却し共対委(ソウル)の活動 もほとんど参加しなかった。だが外労協を除く共対委は25日の集会以後、根本 的な問題解決のための世論を拡大するために街頭追慕祭などの今後の事業を計 画していた。 政府の責任転嫁「直接の証拠はなくても放火犯と認定」 こうした状況で、3月6日に警察は死亡者1人を「点火をした直接の証拠はない が、本事件の放火犯と認定する」という内容の最終捜査結果を発表した。だが 警察があげた根拠は非常に不充分であるばかりか、信頼できないことが多い。 火災当時からあったのかどうかも確認できない正常なライターを放火道具だと 指定し、引続き交錯した陳述をしている数人の陳述者の証言の一部だけを採択 している。しかも、火災発生から9分過ぎて初めて消火器を持った当直職員の 姿がCCTVに写っていて(世界日報2007. 2. 13.)、その時に火災が通報された。 待避の過程で逃走防止に偏り、火災発生場所の真下の階の保護室に再拘束する など、人命の救出よりも閉じこめることに汲々としていた出入国管理職員の態 度と、そう設計されている「保護所」だったからこそ大惨事が発生する直接の 原因となったのが明らかなのに、政府はこれをまるで副次的な原因であるかの ように糊塗した。 移住労働者放送局 その後、3月8日に法務部は被害者家族に対して国家賠償手続きの説明会を開き、 本格的な賠償処理を始める。当時、そしてその後も被害者家族は政府と共対委 の間で動揺し続けた。共対委は遺族に共対委所属の法律支援団弁護士と共同交 渉団を構成することを提案したが、被害者家族は決定を留保していた。すでに 1か月を超える闘争の中で積もった疲労も問題だったが、何よりも事件の初期 に現場を掌握できず、彼らの怒りを行動で表出する機会をのがしたことが大き かった。結局遺族は独自に法務部と交渉をすることにして、13日から交渉が始 まった。 4期(3月13日〜現在):賠償交渉の本格化と共対委内部整備、外労協の独自の動き 局面は変わっていた。今回の闘争の重要な主体である被害者家族は事実上、共 対委の影響圏を越えていた。政府は今回の事件をある移住労働者による「事故」 として賠償を急いで終えようとしていた。摘発追放中断、保護所廃止、未登録 移住労働者全面合法化という核心的要求を貫徹させるには、客観的情勢と主体 的力量の間隙があまりにも大きかった。共対委の自らの整備と主体力量の強化 が何よりも急がれた。 これに伴い、共対委は14日の全体会議を経て、共対委参加組織の態勢を整備す る一方、麗水火災惨事の当事者でもある移住労働者を今後の闘争の主体に組織 することに活動の重点を置くことにした。そしてその成果を集め、4月1日の集 会を大衆的に成功させ、その後の闘争のための力を集めていくことにする。ま た15日「共対委主催麗水外国人保護所火災惨事からみた未登録移住労働者の人 権」討論会を開催し、政策的な代案を提示してこれに対する回答を政府に再度 要求した。また全国的に外国人保護所に対する実態調査を人権委と民間団体が 一緒にすることを提案して、対政府戦線を強化しようとした。 外労協、暫定活動中断宣言
一方、外労協は14日の全体会議で25日の集会でのチュ・ボンヒ民主労総副委員 長の発言を「事実を歪曲して罵倒する常識以下の発言」と規定して、共対委が 「事前に発言者との十分な協議により集会の趣旨を伝え、発言内容を点検して 連帯集会の性格に不適な発言があった」責任が共対委にあり、この問題の解決 のために「責任主体の明確な解明と謝罪」を引き出すことを要請した後、これ に対して公式に共対委の立場を決定するまで共対委活動を暫定中断することを 宣言し、会議から退場する。前に見た通り、25日の集会で発生した状況はそれ だけで評価できるものではなかった。それにもかかわらず、外労協がこの発言 一つだけを問題にして、事案別対策機構の共対委に解明と謝罪を引き出せとい う過度な要求で一方的に活動の中断を宣言したことは誤った態度だった。外労 協は25日にソウル/麗水共同状況室会議で決定したように、当時の状況に対す る客観的な評価は先送りして、現在の闘争に集中するべきだった。すでに外労 協は、共対委の公式的立場を要求したその時点で独自の活動計画をたてており、 20日にキリスト教会館に座込み場を作り独自の活動に突入した。 問題解決者ではない移住労働者の自己組織化
前にみたように、2月20日から25日の期間が今回の闘争の成敗を分ける重要な 分岐点だった。被害者家族の怒りが行動で表出され始め、共対委との信頼が少 しずつ形成されていたその時、そして多くの社会運動団体が共対委活動に合流 して連帯が拡張していた時期に、共対委(麗水)の共同代表をしていた外労協所 属団体の代表たちは、まさに火がついた被害者家族の怒りに冷水を浴びせ、共 対委を中心とする連帯の戦線に混乱と葛藤を呼びおこした。もちろん、当時の 運動の客観的な状況は、とてもよかったわけではない。世論の関心はますます 冷めつつあり、共対委は形勢を逆転させるだけの十分な力を持ってなかった。 被害者の家族も共対委と法務部の間で絶えず動揺していた。だが、2月20日〜 25日は、そうした客観的な限界を越える重要な機会であった。そして一度のが した機会は簡単に戻らなかった。 今回の闘争で、外労協の一部の代表は妥協主義と代理主義、自己中心主義とい う大きな誤りを犯した。彼らは大衆の能動性と大衆運動の可能性よりも自分た ちの交渉力を過信して優位に置く。闘争の過程で主導者の力量を強化するので はなく、自ら問題の解決者になろうとした。連帯の枠組みの中でともに討論し、 共に決め、共に闘争し、共に前進するのではなく、自分たちが状況を主導しな くてはいけない。そういう外労協の主導権を掌握する妥協主義、代理主義、自 己中心主義傾向は、いつも重要な闘争の時期に移住労働者運動の発展にとって 障害になっていた。2003年の明洞聖堂座り込み闘争で、2006年ヌル・プアドゥ 死亡事件に対する糾弾闘争で、そして2007年麗水火災惨事糾弾闘争で、あきあ きするほど繰り返されてきた。今回の闘争を契機として移住労働者運動の発展 を妨害してきたこのような誤った傾向は明確に評価されなければならない。 ところがこうした傾向が現実の運動で力を発揮するのは、逆に言えばこれを牽 制する元気な運動の力が弱いためでもある。前に評価した部分が誤りだとすれ ば、これは限界だといえる。連帯の幅が広まり、深まったとはいえ、まだ労働 運動と社会運動の主流は移住労働者運動を自分たちの活動の中心課題として設 定していない。また、移住労働者の主体的な組織も大衆的な影響力を拡大する ことができずにいる。共対委も今回の闘争過程で、移住労働者の主体的な活動 を鼓舞し支援する点で限界を見せた。移住労組と共同体の共同記者会見があっ たが、その後の闘争過程で今回の事件を契機として広範囲な移住労働者を相手 に宣伝し組織する活動が弱かったし、移住労組などの移住労働者の主体的組織 が運動の中心に立てるように支援する役割も十分に果たせなかった。 反人権的移住政策暴露
麗水外国人保護所火災惨事とこの50日あまりの闘争は、決定的な勝利を勝ち取 れなかったが、移住労働者運動の発展のための貴重な成果を残した。今回の事 件を契機として韓国社会の移住労働者が直面する恐ろしい現実が暴露され、制 度的な改善を要求する世論が広がった。移住労働者を萎縮させ、運動の成長に 大きな障害となっていた摘発追放政策と外国人「保護」所の反人権的側面が暴 露され、少なくとも政府が一部の状況を改善せざるをえない実質的な圧力になっ ている。3月末に法務部出入国管理局長は未登録移住労働者を選別的に合法化 する方案をはじめ、制度改善に取り組んでいると発表した。 移住労働者運動の全国的/日常的連帯強化で! 今回の闘争の最大の成果は、移住労働者運動に対する連帯の幅と深さが拡大し たという点だ。これまで移住労働者運動に直接参加してこなかった多くの社会 運動団体が共対委に参加するなど、連帯の幅が拡がった(現在共対委参加団体 は何と80余に達する)。長い間、移住労働者運動に参加してきた各団体の連帯 の水準も高まった。会議に参加する担当者だけが団体旗を掲げて集会に出てく るのではなく、団体に所属する会員や基本単位が麗水火災惨事に対して直接市 民と会って伝え、さらに主体的に活動に賛同した。また、各地域に共対委が作 られて、全国的な水準で統合力を高めるコミュニケーションを試み、今後の移 住労働者運動の全国化の基盤がさらに固まった。今、こうした成果を基盤とし て、これまでの闘争の誤りと限界を越え、新しい前進を始めなければならない。 ひとまず今回の事件を契機として政府の摘発追放と強制拘禁の反人権性を持続 的に暴露し、これに反対する運動を拡散していかなければならない。現在のよ うな摘発追放は、移住労働者が政治的活動どころか労働条件を改善するための 現場での日常的な闘争が出来ないほど、移住労働者たちを萎縮させている。ま た、政府の移住労働者政策と制度の反人権性が最も赤裸々にあらわれる部分だ。 保護所に対する日常的な監視活動、摘発追放現場での抗議行動を継続していか なければならない。 未登録移住労働者全面合法化媒介で労働許可制争奪に出て行こう! そして、摘発追放ではなく、未登録移住労働者の全面的な合法化を代案に提示 して、それに対する大衆的な支持を広げていかなければならない。特に政府の 選別的「合法化」方案に対する移住労働者運動の統一的な対応が何よりも必要 だ。法務部が取り組んでいるという選別的「合法化」方案は、雇用許可制了解 覚書(MOU)締結国の国籍を持つ未登録移住労働者を対象として、自主的に出国 すれば、その後入国を保障するというものだ。現在韓国とMOUを締結している 国家出身の不法滞留者は約7万人で、全不滞者の35%を占めているが、来月中国 と了解覚書が締結されると合法化の対象となる移住労働者は16万人に増え、全 不法滞留者の80%が合法化の恩恵を受けると政府は主張する。だがそれでも20% の移住労働者は合理的な根拠なく合法化の対象から除外され、これは移住労働 者間の分裂を助長する。また自主出国後に再入国できる保障は、出国後に入国 するための該当国での手続きが必要で、政府の再入国保障は事実上何の拘束力 もないという点で、これは「合法化」というより「自主出国誘導」に近い。未 登録移住労働者の合法化は滞留期間などとは無関係に現在居住しているすべて の未登録移住労働者を対象にするべきであり、自主出国などの前提条件がない 即刻措置でなければならない。しかも現在の雇用許可制に編入される合法化方 式には根本的な問題がある。移住労働者の労働権を全て保障していない雇用許 可制の下で、未登録移住労働者たちは再び量産されるためだ。したがって移住 労働者運動陣営は政府の欺瞞的な選別的「合法化」方案の問題を批判しながら、 全面的な合法化の闘争を準備しなければならない。 これからの闘争を力強くするためには、何よりも運動態勢の整備が急がれ、重 要だ。麗水火災惨事共対委に参加した団体を中心として、移住労働者の主体的 な組織を強化し支援する連帯、大衆闘争に中心をおく連帯、日常的な連帯、全 国的な連帯運動と組織を形成していくべきだ。そのためには何よりも今回の闘 争に対する客観的な評価が必須であり、それを通じて連帯運動の原則をきちん と立て直さなければならない。また、移住労組をはじめ、移住労働者の自主的 組織の連帯を活性化し、統合力を拡大しなければならない。特にもし政府の選 別的な「合法化」方案が現実になれば、2003年と同じ混乱が予想され、移住労 働者自らがこれに対する正しい立場を中心として団結した戦線を形成すること が重要だ。 今回の闘争で移住労働者の人間らしい人生を勝ち取るためにわれわれが乗り越 えなければならない壁の厚さと比べ、まだやはり不足している主体的力量を確 認した。だが、いつまでも嘆いてばかりはいられない。今回の闘争の成果をも とに新しい闘争を準備しよう。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2007-05-29 05:22:33 / Last modified on 2007-05-29 05:22:35 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ |