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移住労組6年、われわれはテロリストではない

[失われた時を求めて] (3)

ヒジョン執筆労働者) 2010.08.11 19:10

断食座り込みをしていた移住労働者労働組合(以下移住労組)のミッシェル・パ ウロ委員長が応急室に運ばれた。明洞聖堂の入り口で金曜に開かれる『移住労 組キャンドル文化祭』の数時間前にその知らせを聞いた。移住労組は、G20首脳 会議の開催を口実として強化されている未登録移住労働者摘発に抗議して、明 洞のヒャンニン教会で座り込みをしていた。座り込み25日目、ミシェル委員長 の断食から13日目だった。委員長の入院の知らせを聞き、明洞聖堂に足を移す。

明洞聖堂入り口に入り、階段に座った80人程の人々が見える。歌公演をしてい る。伴奏が準備できなかったというので集会に参加した民衆歌手のパク・チュ ン氏が舞台に駆け付け、ギターを演奏する。ギターの音を聞いていると、2003 年に明洞聖堂入り口を埋めた移住労働者の座り込みテントを思い出す。

移住労組6年の歴史

90年代に産業研修生という名で韓国で来た彼らは、非人間的な待遇と低賃金労 働に苦しむ。2000年代に入り、十余年間言葉を学び、技術を習得した移住労働 者が自分の権利を要求する動きを作り始める。

しかし2003年、盧武鉉政権は『合法的な外国労働者の活用制度で、生産職労働 力難を緩和し、不法滞留者問題を解決』するとして雇用許可制を導入した。そ の施行に先立ち『不法滞留者問題』解決方案として未登録移住労働者への大規 模な摘発がなされた。10年近く韓国に滞留した多くの移住労働者が追放される 危機に処したのだ。

移住労働者たちは家と工場に隠れた。地下鉄の線路に身を投げたスリランカの 労働者タルカ氏をはじめ、多くの移住労働者が自ら命を絶った。しかし移住労 働者の一部は身をすくめて静まっていることを拒否した。摘発に抗議する座り 込みが明洞聖堂をはじめとする各地で起きた。

当時学生だった私は、移住労働者の座り込みの知らせを聞いて明洞聖堂に行っ た。「ラリー(rally)をします。皆出てきて下さい」。韓国人司会者の言葉に、 テントから見慣れない顔が一つ二つと出てきた。このように近くで多くの数の 外国人を見るのは初めてだった。緊張した私と友人はすみに集まって「ラリーっ て何? 集会?」とコソコソ言いながら、周囲をきょろきょろ見回した。彼らも 私たちをおかしな目で見ているのは同じだった。

しかし座り込み1年間、私たちが『ラリー』という言葉に慣れたように、彼らも 変わって行った。座込み場を訪れる韓国人を見て『助けてくれ』と目をまるく 開いた移住労働者が、いつのまにか『私たちの問題は韓国労働者の問題でもあ る』と叫ぶようになった。その変化の結果、2005年に移住労組ができた。移住 労働者が作った独自の労働組合だ。

韓国政府は6年たった今も移住労組を認めずにいる。むしろアノアル、カジマン などの歴代委員長をはじめとする活動家のほとんどを標的摘発して追放した。 彼らはすっからかんの境遇で、古い服にスリッパを履いたまま、真夜中にひそ かに飛行機に乗せられて故国に捨てられた。

社労委(社会主義労働者政党建設共同実践委員会)のユ・ヒョンギョン氏が文化 祭の自由発言で、華城保護所に拘禁されたアノアル前委員長と面会したことを 語った。共に行った娘にアノアル委員長は『叔父さんは一度もお小遣をあげな かった』と言いながらポケットからしわだらけの1万ウォン札の一枚を取り出し た。プラスチックの透明な窓と鉄格子の壁に小さく開いた穴から紙幣を畳んで 入れようとしたが、容易ではなかった。その姿が鮮やかに目に浮かぶように描 かれる。付け加えて、ユ・ヒョンギョン氏は質問を投げる。

「なぜ移住労働組合座り込みが通りではなく、教会の中でするしかないのか」

それは摘発追放の恐怖に震える移住労働者の劣悪な境遇を語るのではない。ユ・ ヒョンギョン氏は、移住労働者運動で韓国労働者の連帯が不足だという事実を 理由に上げる。2003年移住労働者の大規模な座り込みは、自分の境遇をかき分 けて出た移住労働者自身の力だったが、また多くの韓国人の連帯があったから 可能だった。

発足から6年、移住労組の状況は良くない。未登録移住労働者の摘発は年々激し くなっている。摘発連行過程での悪口、暴行、性暴力などの問題も深刻だ。移 住民人権侵害監視団『Cats-Eye』の調査によれば、財布にIDカードがある登録 移住労働者に手錠をかけて連行した事件もある。ビザがあることを後で確認し て解放する過程で入管職員は「これからは気を付けろ」と怒鳴ったりもしたと いう。

しかし連行過程で頻繁に起きている人種差別と人権侵害には誰も責任をとらな い。追い出される移住労働者が増加しているだけだ。移住労働者たちはさらに 深く隠れている。

トルノ委員長が標的連行で追放された後、労組委員長の席もしばらく空席だっ た。こうした状況で2009年7月、ミシェル委員長が選出された。時々集会で会っ たミシェル委員長は小さいが整った印象の人だった。今回の断食は彼の意地だっ た。自分のハンストが地域に隠れている移住労働者に伝えられることが彼の望 みだ。

移住労働者が消えた日

来る11月、韓国で開かれるG20首脳会談を前に李明博政権は気ぜわしい。奨学官 の訪問を待つ小学校の担任のように、光化門を安普請で工事し、国格を高める と言ってガムを吐くことにも関与し始め、いよいよ韓国に70万人も住む移住労 働者をテロリスト扱いして、摘発検問を強化した。

この日の文化祭で司会をした移住労組のチョン・ヨンソプ事務局長は、「G20を 口実に人がゴミのように生活の基盤から道端に押し出されている」と言った。 この日の文化祭には、G20を理由に道路に追いやられる露天商と野宿者も参加す る貧困連帯も共にした。

報道機関とインタビューでミシェル委員長が言ったG20批判は意味深い。「G20 の参加国家が自分たちの富を守る対策を用意するために集まっただけだ。むし ろ貧しい国に貧困を強要し、移住労働者を作っている。」

これらの国は移住労働の障壁と統制を強めている。4月にアリゾナ州政府で人種 差別的な検問の慣行を法的に保障する移民法が通過するなど、米国は相変らず 移住労働者の問題に刃を研いでいる。ヨーロッパ各国も経済危機がやってくると 移民法の強化を始めた。

メキシコと米国の国境を越えようとする南米人の苦闘はすさまじい。走る列車 やトラックの底にしがみついて国境を越えるのはましな方に属する。車のシー トの中に入り、全身をスポンジで覆って偽装した南米人の写真がインターネッ トに出回っている。米国への移住を夢見て国境を越える人々は年間30万人にの ぼる。このうち国境守備隊の銃で撃たれたり、走る列車から落ちて死ぬ人の数 は毎年500人を越える。雇用のない自国経済の中で、若者の脱出口、いや生存口 は『移住』だが、その過程は死を担保しなければならない程に難しい。

しかしカリフォルニアからすべてのメキシコ人が消えた状況をコミカルに描い た映画、〈メキシコ人が消えた日〉は、南米出身の移住労働者が米国でいかな る労働を担っているのかを示す。農場労働、施設管理などの低賃金労働に耐え ているのはほとんどがヒスパニックやアジア出身の移住労働者だ。

米国をはじめ『先進』国の企業は安い労働力を必要とする。さらに安い労働力 を求めて世界各地を移動する。先日、中国労働者の賃上げ要求が高まり、多国 籍企業がカンボジアのような東南アジアに工場を移転しているという記事を読 んだ。資本を持つ人は低い賃金による生産費削減のために世界各地を移動する。 同時に低開発国家と人材送出契約MOUを結び、移住労働者を呼び集める。低開発 国家の内戦、戦争、貧困は、彼らに低賃金の人材を用意してくれる。

一方では、国家の力を借りて移住労働者を統制する。不法と合法という基準を 作り、移住労働者数を制限する。移住労働者が失業とテロ、犯罪の主犯である かのように言論をあおり、移住労働者への偏見を放置し、移住労働者と内国人 労働者の対立をあおる。それで彼らが得るものが生産費の削減だ。

座り込み参加者が手に持ったピケを見る。

〈われわれはテロリストではない〉

彼らは単に金を稼ぎに来た労働者でしかない。むしろ金の論理で人間の生を底 辺に引きずり下ろす人々こそ、テロリストではないのか。

ミシェル委員長は、集中治療室でさえ断食を続ける意志を示している。移住労 組委員長の回復を祈る。(写真=移住労組)

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2010-08-12 08:16:39 / Last modified on 2010-08-12 08:16:41 Copyright: Default

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