韓国の移住労働者:19歳、夢を失って、また夢を見て | |||||||
Menu
おしらせ
・レイバーフェスタ2024(12/25) ・レイバーネットTV(11/13) ・映画アンケート募集中 ・あるくラジオ(10/10) ・川柳班(フェスタ投句先) ・ブッククラブ(10/12) ・シネクラブ(9/1) ・ねりまの会(10/12) ・フィールドワーク(足尾報告) ・三多摩レイバー映画祭 ・夏期合宿(8/24) ・レイバーネット動画 ●「太田昌国のコラム」第96回(2024/11/15) ●〔週刊 本の発見〕第368回(2024/11/21) ●「根津公子の都教委傍聴記」(2024/11/28) ●川柳「笑い茸」NO.158(2024/10/26) ●フランス発・グローバルニュース第14回(2024/10/20) ●「飛幡祐規 パリの窓から」第95回(2024/9/10) ●「美術館めぐり」第5回(2024/11/25) ★カンパのお願い ■メディア系サイト 原子力資料情報室・たんぽぽ舎・岩上チャンネル(IWJ)・福島事故緊急会議・OurPlanet-TV・経産省前テントひろば・フクロウFoEチャンネル・田中龍作ジャーナル・UPLAN動画・NO HATE TV・なにぬねノンちゃんねる・市民メディア放送局・ニュース打破配信プロジェクト・デモクラシータイムス・The Interschool Journal・湯本雅典HP・アリの一言・デモリサTV・ボトムアップCH・共同テーブル・反貧困ネットワーク・JAL青空チャンネル・川島進ch・独立言論フォーラム・ポリタスTV・choose life project・一月万冊・ArcTimes・ちきゅう座・総がかり行動・市民連合・NPA-TV・こばと通信
|
19歳、夢を失って、また夢を見て 新しく知り合った「友人」、 バングラデシュ青少年移住労働者のバリタとジャフィの話 最近、バングラデシュの友人2名と知り合いました。 本当にきれいな顔だちを持つ青少年移住労働者です。 16日から30日まで、彼らと2週間出逢いをまとめました。 文章で言及したすべての人名は匿名または仮名です。<編集者注> バリタもジャフィも薄着をしていました。 体を洗っても冷たい風も気にしません。 仕事を終えて工場の門から出た2人の友人の服は、薄いジャンパーひとつでした。 冬服がないわけではないようです。 十九という理由です。 おしゃれをしたい年齢だから、と考えました。 バリタとジャフィは同い年のいとこです。 韓国に来てから4年たちました。 ジャフィは2000年7月19日、バリタは同年8月8日。 初めて韓国の土を踏んだ日を二人は自分の誕生日のようにはっきり覚えていました。 その時、彼らはわずか十五歳でした。 労働者にもなれない年齢、移住労働者の中にも同年代の人がいるはずもありません。 一日中働いていて、学校に通う韓国の友人と知り合う時間もありません。 いつ捕るかわからない不安な道は、 友人と話をしながら歩ける程寛大ではなかったのです。 その4年を二人は互いを頼って暮らしました。 二人は家族であり、友人であり、同僚でありながら、しんばり棒でした。 同じ都市、他の工業団地で働く彼らは、毎日電話で互いの安否を尋ねます。 休日になると会って一緒に時間を過ごします。二人だけで遊びます。 *▲都市風景から、○○市はいつのまにか移住労働者が一緒に暮らす都市になりました。(C)毎日労働ニュースパクヨソン記者* 「今日は、三人が捕まりました」 食事時をのがした夕方、おなかがすきました。 おいしいものを食べようという言葉に、バリタが道を案内してくれました。 「市内の高いところで食べよう」と言っても、 バリタは「ここがいい」と言ってかなり遠くまで連れて行きました。 バリタをかわいがってくれた「最初の工場の社長さん」が 会社の不渡りを出して始めた小さな食堂だそうです。 ○○市。 「韓国型資本主義」が押し出した人々、各地から流れて来た下層労働者たちが 「その資本主義」の底辺を支えて住む所。 ○○市は、戒厳令宣布地域のようでした。 「黄色」い韓国人には適用されず、「白」い外国人にも関心がなく、 とにかく「黒」い移住労働者だけにおそいかかる戒厳令です。 工場に取締班が押し入り、道の暗い所に隠れることもある、 ○○市は人間狩りが盛んに行われる「ジャングル」でした。 碁盤のような工業団地を抜けて、 ジャフィは近くの工場で聞いた殺伐とした知らせを伝えてくれます。 「今日は三人が捕まりました。」 取締班が工場で作業中の労働者たちを捕まえたそうです。 新しいことでも、驚くことでもないというように、淡々とした口調でした。 「私たちの会社にも取締班がきたことあって、部屋に隠れて暮しました。」 もう一言、続きます。 「何日か前には、私たちの叔父さんも捕まりました。」 最近は、工場で働いている時が怖いそうです。 取締班が常駐する駅の近くにだけは行かず、逆に道で人波に混じるのが より安全な境地だといいました。 唯一、街灯も見つからないこの都市は、夜になると真っ暗になります。 話のように走って遊ぶ年齢の青少年を工場と寄宿舎に縛りつけておく夜です。 あちこちをさ迷った末に、食堂を見つけました。 「これまでなんで来なかったのか」と言いながら、 主人のおばさんが喜しそうに迎えます。 バリタはもう取り締まりを心配せずに食事ができると言いました。 外出して食事をする時は、必らずここで食べるそうです。 家族であり友人、同僚でありしんばり棒 よくあることではありません。 どこに行っても簡単に移住労働者に会える時代ですが、 バリタとジャフィのように十代の青少年労働者は明らかに容易に会える人ではありません。 全国の移住労働者の中にチラホラと混ざる青少年は、大人たちよりも身分上、 はるかに不安定にならざるをえません。 未成年者の子供たちはビザを取得できず、ブローカーを父に仮装して入国します。 ブローカーが適当な所でいなくなれば、 子供たちはその時から「不法滞留者」の身分になります。 15歳以下では「児童労働」で就職もできません。 「良い社長」に会って「不法雇用」を訴えなければなりません。 バリタとジャフィもそのようにして韓国にやってきました。 ○○市で10代の移住労働者は三人がいるそうです。 バリタとジャフィの他にもうひとりいると聞いたものの、 話もできずどこに住んでいるのかも知らず寄宿舎からでないと ジャフィが話してくれました。 「バングラデシュで両親はジャガイモ農業をしていました。 ジャガイモだけでは食べていくのは難しいです。 食べものはあるのに、何も残りません。 学校に行って、服事を買って、履き物を買おうとするとお金が足りません。」 韓国に来なければならなかった理由をバリタはこのように説明しました。 ジャフィもいいました。 「おとうさんが事業に失敗してお金がなくなりました。 誰かが出ていって金を稼がなければなりませんでした。」 貧困のためです。 貧しくて父母はいくらにもならない財産を処分して、 貧しい父母はなんとかお金を作ります。小さな子どもを一人で韓国に送り、 「口がひとつ減った」という事実に安堵することも貧困のためで、 父母からあまり離れたことがなかった子供の肩に 「家庭を支える重い責任」を負わせなければならない理由も貧困です。 バリタの父母もジャガイモ畑を売りました。 ジャフィの家ではおとうさんの事業を整理した金をすべてかき集めました。 およそ700万ウォンずつ出して、「にせパパ」を作りました。 15歳のバリタは初めて会った韓国が怖かったそうです。 孤独で一人で泣いたとも言いました。 それでも幸いにバリタには父親が、 ジャフィには兄と母方のおじが既に韓国で働いているという事実でした。 しかしいまでは二人しか残っていません。 バリタより2年早く韓国に入ってきた父親は、おばあさんが危篤という知らせを聞いて昨年帰国し、 ジャフィの兄はそれまでに稼いた金で旅費を作って日本に渡っていきました。 韓国に未来がないことを知っていたためです。 韓国に来ていたジャフィの母方のおじのひとりは一週間前に捕まり、 二日後に出国措置を受け、もうひとりは帰国したバリタの父です。 二人は互いがさらに大切になりました。 *▲陽光が傾いて行く○○市のA工業団地が見るからにみすぼらしいです。(C)毎日労働ニュース パクヨソン記者* 幼い家長たち バリタとジャフィの一日の労働時間は12時間です。 午前8時30分に始まり、夜8時30分まで働きます。 水曜日と土曜日は5時30分に終わりますが、いつも残業が夜10時30分、 あるいは11時30分まで続きます。ひどいときは明け方の4時まで続くこともあります。 バリタはA工業団地で自動車の部品を機械に取り付け、 ジャフィはB工業団地で電子製品に金や銀をメッキしています。 ジャフィは「仕事がつらくて韓国人は一週間で逃げ出す」のに加え、 あまりに忙しくてトイレにもいけないそうです。 「私たちの会社はラインが三本あって、私が席を空けると前のラインの人は遊んでいなければなりません。 苦しくてもだめです。 ひとりでも抜ければ、工場全体が止まります。眠りながら働いています。」 こうして働いて2人の友人が稼ぐ金は、食事代を合わせて一か月120万ウォンです。 残業が多い月には140万ウォンまで取るそうです。 同じ仕事をする韓国の人々は、200万ウォンを取るのですが。 友人は「それでもきちんと月給を取れるのは、いい社長さんに会ったため」と言います。 バリタとジャフィもはじめから「良い社長さん」に会ったわけではありません。 彼らもその他の移住労働者を迎え撃った悲しみをそのまま受けました。 年齢が小さいからといって甘やかす韓国ではありません。 「初めて仕事をした工場では、食べ物があわず、ご飯もきちんと食べられずに、 言葉もよくできませんから、部長さんが大声で怒鳴り、殴っりました。 それでその会社を出て別のところで働いたのですが、 会社の経営が難しくなって2か月分の月給を受け取れませんでした。 社長さんに電話をすると待てと言うので、逃げ出しました。 いまはオイドで不動産をしているそうです。 最初から払うつもりはなかったようです。」 小さな家長たちは、ようやく稼いた金の大部分を毎月欠かすことなく家に送ります。 1か月でも送金しなければ故郷の家の生計が難しくなります。 二人が責任を負う故郷の家族の数は全く同じ、五人ずつです。 昨年帰国したバリタの父は、既にジャガイモ畑をみな売り払ってしまったので 何もすることができません。 バリタが送る80万ウォンは、生活費とバリタの兄弟の学費に充当します。 日本に渡って行った後、病気にかかってきちんと送金できない兄のために、 やはりまたジャフィが送る70万ウォンが故郷にいる家族の命綱です。 そしてバリタとジャフィ本人が一か月に自分で使う金は20万ウォン程度です。 とても家族に会いたいと言いました。 バリタとジャフィの故郷はパニヤとプアイシャです。 4年以上会っていない家族がなつかしいことはなつかしいけれど、 ビザを取る方法がない彼らは、家族に会うために故郷に行く方法がありません。 バリタが言いました。 「末っ子が八歳なんですよ。 四歳の時しか見ていないので、顔が思い出せません。」 また会う時は、ぐんと大きくなった息子の顔を両親がわからないかもしれません。 夢を失う 実は夢がありました。 バングラデシュで二人はとてもよく勉強ができる学生でした。 ジャフィはクラスで2・3番、バリタは全校で一等でした。 韓国とは学制が違うバングラデシュ(小中をまとめて5年、高校5年、大学3年)で、 入国当時に二人は高校2年生でした。 金儲けがすべてではありませんでした。 韓国にくる時、バリタとジャフィには成し遂げたい夢がありました。 それでも、たいした夢ではありません。勉強することでした。 韓国で大学生になること、それが夢でした。 その素朴な望みを「夢」として、夢を実現するために一度に膨らんでいました。 *▲工業団地の煙突の彼方に、冬の太陽が沈みます。(C)毎日労働ニュース パクヨソン記者* しかしその小さな夢は「単なる夢」に過ぎないということを悟るには、 長い時間が必要ではありませんでした。 ジャフィが語りました。 「それがうまくできません。」 バリタが語りました。 「現実は違いました。」 入国後、一年を過ぎた時でした。 韓国では未登録の身分で学校に通うのが不可能だという事実を知りました。 ジャフィは夢を失いたくありませんでした。 地域で移住労働者を支援する団体を訪ねました。そして、結局、あきらめました。 「不法(滞留状況)でも学校に通うことはできるんですよ。 でもそれで通学しているときに捕まって追放されたら、 これまでの苦労が水の泡なので、そのまま仕事だけすることにしました。」 事実、未登録の子供でも学校に通うことはできます。 移住労働者の関連団体の運動家が長い間教育部と戦って得た果実です。 小学校てば、校長の裁量で正式な学生になることができます。 「もちろん」、中学校からは事情が変わります。 正式な学生ではない、聴講生という身分だけが保障されます。 卒業証書もありません。 上級学校への進学そのものが不可能です。 そのまま「韓国の学校を体験する」以外に、 大学生になる道は基本的に詰まっています。 考えてみると、正式な学生になる唯一の方法である学校長の裁量も、両刃の刃です。 入学を可能にする鍵でありながら、不可能することもでき、 恩恵授与でありながらも障壁である、これが韓国で移住労働者の子供たちの 社会的な地位と教育権の実像です。 聴講生は一種の身分です。 「事故を起こしたら学校をやめる」という覚書を書いて入学した一人の子供は 「ひき逃げ事故に遭う」という「事故を起こし」て、学校から追出されました。 聴講生の移住労働者の子供たちはそんな階級であり、 21世紀の韓国の学校は中世の身分制社会です。 ジャフィが「後で『どうにか』なるでしょう」と言っていましたが、 韓国は「どうにか」できるような社会ではないことを2人の友人等もよく知っています。‘ 「コリアンドリーム」という意味は、「コリアでは夢」だというのが事実ということです。 「ほかの国では不法滞留の身分でも一年滞在して申告すれば合法になり、 勉強もできます。」 バリタとジャフィにとってこの事実は、バングラデシュにいる時から常識でした。 しかし残念なことに、2人の友人が知らなかったことがひとつありました。 ジャフィが言葉尻を濁します。 「韓国もそうだと思っていたのですが…。」 バリタとジャフィは、本当に勉強がしたいのです。 「同年代の韓国の子供たちが制服を着て学校に通うのをみると、本当にうらやましいです。 学校に通って捕まっても、出国させられさえしなければ、 今から金を稼いで勉強だけするでしょう。」 それでも夢を見たい それでも2人の友人の年齢はたった十九です。 夢を見たい気持ちを押さえ込めない年齢です。 「それでも」韓国が無条件に好きだという2人の友人は、 韓国で暮らし続けたいと言いました。 ジャフィのほうが、ずっとそうみたいです。 何故かと根ほり葉ほり徹底追及するのは野暮だと思いました。 もしかるすと、「彼女」のためかもしれません。 ハンサムなジャフィには携帯電話でメールを送る女友達がいます。 本人は「ガールフレンド」ではないとつとめて否定しましたが、 そばでにやにや笑うバリタの表情を見ると、どうだかわかりません。 バリタとジャフィは、時々インラインスケートに乗ります。 取り締まりを避けて○○市の郊外にあるスケート場を利用するそうです。 特にジャフィのスケートの実力は選手級だそうです。 スケートで階段も上れるそうです。 近い将来、2人の友人からインラインの滑り方を教えてもらいたいです。 *▲バリタが働く工場では盛んに残業が行われていました。(C)毎日労働ニュースパクヨソン記者* イムニョン記者 2door0@labortoday.co.kr 2004-12-30 午後8:13:13入力 (C)毎日労働ニュース 翻訳/文責:安田(ゆ) Created byStaff. Created on 2004-12-31 04:37:27 / Last modified on 2005-09-05 05:17:53 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ |