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毎木曜掲載・第353回(2024/7/11)

土地を奪われ命を奪われた先住民

『わが魂を聖地に埋めよ』(ディー・ブラウン、訳・鈴木主悦、1972年、草思社)評者:根岸恵子

 それはコロンブスから始まった。西洋の野蛮人は「非常に従順で平和的」な人々を根絶やしにすべく残虐の限りを尽くした。この本は1860年代から90年までの北米、特に西部の歴史である。つまり、白人が西部の先住民を征服し終えたときまで、先住民がウーンデッド・ニーで虐殺され組織的な抵抗が不可能になるまでの歴史なのである。
 わずか30年でシャイアン、ユート、アパッチ、スー、コマンチ、カイオワ、アラバホなどの各部族は滅ぼされてしまった。

 50年以上も前の本だが、いま一度読みたくて、本棚の奥で埃を冠った上下2冊の本を引っ張り出した。もっとも私が最初に読んだのは90年代になってからだ。北米の先住民に興味をもち、カナダに頻繁に行くようになってからである。当時北米の先住民は白人から与えられた居留地の狭い土地から出ることなく静かに暮らしていた。たぶん30年ほどたった今も何も変わってはいないだろう。彼らの大地はもう彼らが自由に闊歩していた時代のものではない。アメリカやカナダの町の中を歩いていても先住民を見かけることもない。勇敢で誇りに満ちた先住民はどこに行ってしまったのだろう。

 アメリカは1861年から65年まで、南北戦争による南部と北部の闘いの最中にあった。綿花のプランテーションを経営する農業中心の南部が黒人奴隷を必要とし、奴隷廃止を訴える北部と対立したという構図が一般的だが、実際には工業化した北部の資本主義が流動性のある労働力を確保するために奴隷制を廃止にしたいというのが真意だったのではないか。広大な西部を「開拓」することで、人口増を抱えるアメリカにとっての命題がそこで暮らす先住民の殲滅であったのではないか。こうして平原にすむ先住民は不公正な条約による移住を繰り返し余儀なくされ、また虐殺に次ぐ虐殺によって残虐に殺されていった。

 訳者のあとがきに『週刊朝日』(1971年12月3日号)が「ソンミ虐殺を連想させるインディアンの血と涙の史実」として本書を紹介していることが書かれている。この本がベストセラーになった要因として、ベトナム戦争を想起させることが挙げられるという。当時ベトナムの状況を憂いて本書を読まれた方もいるだろう。しかし、今読む者にとって、ベトナム戦争は過去のものとなってしまっているのではないか。それよりは情況的にはパレスチナと全く同じなのではないか。力のある者が土地を征服するために行うジェノサイドである。土地を奪われ命を奪われていった北米先住民とガザの住民とどこが違うのだろう。

 かつて先住民は自分たちの大地で豊かに暮らしていた。彼らは決して白人が言うような野蛮人ではなかった。それは白人が作ったイメージである。私たちが読む白人の書いたアメリカの歴史はウソで塗りつぶされている。白人は先住民から土地を奪い、自分たちの負の歴史、侵略、暴行、詐欺、虐殺を正当化するためにウソを吐き続けていくだろう。華やかな民主主義の歴史は、民主主義を伝えた北米の先住民をその民主主義から追い出して成り立っているのである。

 先住民で最初にインディアン総務局長になったドネホガワは、「かつてこの国にはあまねくインディアンが住んでいたが、……往時にはその多くが強力だった諸部族は、西から押し寄せてくる文明の流れを喰い止めようとして失敗し、つぎつぎと絶滅していった―ある部族が自分たちの自然の権利や条約に保障された権利の侵害に異議を唱えれば、その部族民は冷酷に射殺され、犬と同様の扱いを受けたのである。……インディアン人種は、この国の歴史でかつて見られなかったほど急速に絶滅してしまうという深刻な脅威にさらされているのである」と述べている。

 コマンチ族のパラ・ワ・サメンはこう述べている。「あなたがたは、われわれを居留地に移し、家を建て、病気を治す小屋を作ってやりたいのだと言った。私はそんなことは望まない。私は草原に生まれ、そこには快い風が吹き、太陽の光をさえぎるものは何もない。私が生まれた場所には囲いなどなく、すべてのものが自由に呼吸をしていた。私はそこで死にたい」
 これはすべての先住民の気持ちだろう。今でも彼らは居留地の中にいる。

 本書の最後は1890年に起きたウーンデッド・ニーの虐殺事件について書かれている。人々は先住民の未来を憂いゴーストダンスを踊っていた。女も子供も殺された。その数は300人近かったという。

 さて、この本は出版された翌年、ウーンデッド・ニーで占拠事件があった。イエローサンダーという先住民が白人に連れ去られ、拷問の末なぶり殺しにされ、一週間後死体で発見された。この事件を機に北米中の部族が集結し占拠に加わった。それはやがて銃撃戦になり、占拠は71日間に及んだ。

 世界中から、様々な団体・個人、白人も黒人もこの占拠に参加、また、この行動に世界が呼応し、先住民団体、人権団体などから共感と支援の声が集まり、デモ行進が行われた。今から50年前。ウーンデッド・ニーの虐殺から83年後だった。


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