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加藤直樹『ウクライナ侵略を考えるー「大国」の視線を超えて』を読む

浅井健治

 加藤直樹著『ウクライナ侵略を考える』を読み、その真摯で誠実な執筆態度に感銘を受けた。

 「はじめに」にこうある。「ウクライナについて考えたことは、生まれてから2021年まで、総計1時間もなかった」。これは私も同じだが、違うのは2022年2月24日以降だ。加藤はウクライナの歴史と現状を学ぶために数々の専門書や論文を読み、国会図書館にも通ったという。関連書をほんの数冊読んで訳知り顔に論じていた自分が恥ずかしい。

 それだけに、加藤の問題提起に対しては「9条を捨てるのか」「NATO擁護の好戦論」といった決めつけやレッテル貼りはあってはならず、丁寧に応答しなくはならないと思う。

 私の立場を明らかにしておく。私は本書で加藤が厳しく批判する「即時停戦」論者である。しかし、「ロシア擁護」論者ではないつもりだ。戦争のエスカレーションを止め、ロシアとウクライナ双方が軍事行動を直ちに停止することが、ロシアの不法非道な侵略・占領を終わらせる最も犠牲の少ない道だと考えている。

 一方で、「即時停戦」論から「ロシアの侵攻に一分の理あり」「ロシアそんなに悪くない」といったニュアンスが聞こえることに違和感を覚えてもきた。この違和感の源を探る上で、加藤が自らの思想的立場として挙げた「反侵略」「他国・他民族への蔑視に対する嫌悪」「他国の人々を歴史的・政治的主体として尊重し、敬意をもつ」の三つの原則は、大切な視座を与えてくれる。

 とりわけ共感したのは、2014年「マイダン革命」についての分析・考察だ。加藤が何度も引用するマーシ・ショア著『ウクライナの夜』(写真下)は私にとっても座右の書になっている。こんな記述がある。

 「マイダンは『社会的接触の実験所』であり『ドニプロペトローウシクのIT技術者と(山岳民族の)フツル人の羊飼い、オデーサの数学者とキーウのビジネスマン、リヴィウの翻訳家とクリミア・タタールの農民が連帯できる場』だった」

 これら全体を「右翼の運動と見るのは現実から乖離している」との加藤の指摘は正しい。ましてオリバー・ストーンのように「米ヌーランド国務次官補らが関与し、ネオナチ勢力が引き起こしたヤヌコヴィッチ大統領追い落としのクーデター」と描くのは、ロシアの作家ドミートリー・ブィコフが早くから批判している通り「プーチンを理想化」するものでしかない。

 また、松里公孝著『ウクライナ動乱』は『ウクライナの夜』に対し「実存主義的アプローチ」「革命推進者の一人芝居」とコメントしているが、これは松里自身が言うように「外から」「突き放して」見る、あまりに“客観的”すぎる見方ではないだろうか。

 マイダン革命は「尊厳の革命」と呼ばれる。ウクライナ人の「魂を変えた」精神革命、文化革命だったとする加藤の評価に私は全面的に賛同する。

 さて、ここから見解が分かれる。この精神革命のコアにあるものを加藤は「市民的ネーションへの志向」「エスニックではない、シヴィックなナショナリズム」と捉えている。私は「ネーション」ではなく、国際人権規約第1条の「すべてのピープル」が有する「自己決定権」への志向と受けとめたい。ピープル(人民)が自らの政治的地位を自由に決定し、その経済的・社会的・文化的発展を自由に追求できる権利である。権利主体の「ピープル」に一義的定義はなく、最も重要なのは「その集団の自己認識」だとされている。

 とすると、ウクライナ社会に存在するマイノリティ、例えばドンバスに多く住むロシア人(ロシア語話者のウクライナ人)、クリミア半島の先住民の子孫であるクリミア・タタール人らも「自己決定権」を有するピープルであり、必ずしも「ウクライナ人民」として一括りにできないことになる。

 羽場久美子著『ヨーロッパの分断と統合』に次の一節がある。「東ヨーロッパの諸小国の側から見れば、冷戦とは…長期にわたる『自己決定機能』の喪失あるいは『自己統治機能』の喪失の時代であった」。羽場は、冷戦終焉後、紛争と殺戮の象徴となった民族・地域境界線を「コンフリクト・ゾーン=抗争地帯」から「コンタクト・ゾーン=出会いの場」へ、と提唱する。

 2014〜15年の「ミンスク合意」は、停戦や外国軍の撤退に加えてドンバス2州の自治、地方分権化の憲法への明記などを定め、ドンバス地方を諸人民の「自己決定権」が保障された「コンタクト・ゾーン」に変える可能性を秘めていたが、履行されなかった。冷戦後の欧州の包括的な地域安全保障の枠組み=OSCE(欧州安全保障協力機構)の機能不全が原因の一つであることは加藤も示唆しているところだ。

 「即時停戦」論者には、ミンスク合意不履行の過程を検証し、ロシアのウクライナからの撤退の確かな道筋を提示する責任がある。私もその責任の一端を担いたい。

 一つあらかじめ言えることがある。ロシアを撤退させるのに軍事的手段しかないとは私は思わない。人民が武力に頼らず侵略・占領に立ち向かった例は、アパルトヘイトを廃絶した南アフリカ、民主化を実現したチェコ、米軍統治と闘った沖縄など数多い。中国の抗日戦争やベトナム戦争でも、勝利を決定づけた最大の要素が人民の強い「抗戦意思」だったことは加藤も繰り返し強調している。ガザ・ジェノサイドを続けるイスラエルを追いつめているのも、ハマスの武力反撃ではなく、BDS(ボイコット・投資撤収・制裁)運動をはじめとした世界の民衆の非暴力非武装の闘いである。

 エリカ・チェノウェス著『市民的抵抗』は1900年以来の様々な大衆行動を研究し、「非暴力抵抗の方が暴力闘争よりも成功する」ことを立証している。非暴力が社会を変える。そのことに確信を持ちたい。

(敬称略。なお、本稿には「平和と生活をむすぶ会」会報『むすぶ』2023年6-7月号に寄せた拙文、および『週刊MDS』6月28日号掲載の拙稿の一部を再録したことをお断りします)


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