〔週刊 本の発見〕『戦後教育史 貧困・校内暴力・いじめから、不登校・発達障害問題まで』 | |||||||
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毎木曜掲載・第312回(2023/8/24) 学校はなぜここまで行き詰まったのか『戦後教育史 貧困・校内暴力・いじめから、不登校・発達障害問題まで』(小国喜弘著、中公新書、1034円)評者:志水博子最近、就学期を迎える子どもを小学校かフリースクールのどちらに入れるか迷っているという保護者の話を聞いた。知人の知人からのまた聞きであるので詳細はわからないが、学校はそんなところまで行ってしまったのかと驚いた。 オンライン上の座談会で、もっぱら「未来の教室」とやらで教育行政を担っている経産省の役人が、将来学校はどうなりますか、という問いに、学校はなくなると思います、と答えていたがそれも唖然とする思いだった。 いったい、公教育における「学校」は今後どうなっていくのだろうか? 教育に関心を持つ人であれば、おそらく誰もがそんな不安を抱えているのではないだろうか。学校は、なぜここまで行き詰まったのか、本書は混迷する日本社会と戦後の教育の歴史からそれを探る。1945年から現在に至るまで時系列で書かれているが、公教育における重要なテーマについては、現在に及ぶ影響が指摘されている。また、教育の背景というか、いや背景というより、直接的に影響のある政治や経済界の関連性もよくわかる。教育基本法と憲法、子どもの人権、日教組、財界の主導、能力主義の徹底、卒業式紛争、学力テスト、教科書、政治介入、障害者教育、それぞれの時代の問題を描きつつ、今につながる問題を明らかにしていく。 最初に、敗戦後の教育改革については民主化に焦点が当てられがちだが、著者は、戦前・戦後の連続性を明らかにする。例えば、文部省は、1945年8月15日「終戦に関する件」という訓令を出す。そこには、国体の護持、そのための道徳の強化が強調されていた。そして、その後も、それは通奏低音のように文部省の教育行政の特徴を織りなしていくとあった。読みながら、それは現在まで連綿と受け継がれているのではないかと思った。占領下の1947年に教育基本法ができるが、教育の目的を「国民の育成」としたことも、実は戦前からの連続であるという。それも現在にそのまま影響している問題である。 では、戦前と戦後の公教育の違いは? 戦後改革が子どもにもたらした影響として特筆すべきは、初めて教育の権利主体として子どもが法律のなかに登場したことではないかと。それは「能力に応じて」と制限がつけられていたにせよ、教育を受ける権利が初めて憲法26条で明文化されたという点で、就学を国家への義務と定めていた戦前とは180度の転換だったという。問題はその戦後教育がその後どのように展開していったかである。 憲法制定については、さらに詳しくベアテ・シロタ・ゴードン案の可能性についても言及する。ベアテ案が「すべて子は」と規定していたにもかかわらず、最終的に日本は権利の保持者を「国民」に限定したこと等、もしもベアテ案が採用されていたらと思わずにはいられなかった。 戦前の学校教育が強い兵士を軍隊に供給することを重要な使命としていたのだとしたら、戦後の学校教育は優秀な労働者を産業界に供給することを事実上重要な使命としてきたかに見えるという指摘も、まさにその通りではないか。 興味深かったのは、教育の55年体制として文部省と日教組が政治的に敵対していたことが書かれているが、この時期に子どもたちが政治の主体として登場したことだ。著者も、これは子どもたちが脱政治化されていく1970年代半ば以降の状況と対照で興味深いと述べている。現在の若者の政治離れも、教職員組合あるいは多くの教員が政治的に闘わなくなったことに由来するのではないだろうか。 本書で一番印象的だったのは、障害者と教育の問題だ。著者は、障害者教育を通じた社会的排除の正当化は、戦後教育史における一貫した隠れた大きなテーマである、と指摘する。そして今日でも、特別支援学級が増え続ける背後には、学力テストの結果を自治体が競い合うなかで生じる、学校での排除の強化がある、と述べる。 『おもちゃ箱ひっくり返した』(北村小夜著)に書かれているように、学力テスト競争の激化による成績の悪い子どもらの排除が、特殊学級の通級者増加につながったと指摘する。これも現在にそのままつながる問題だ。著者は、こう述べる。「教育政策が学力テストに傾斜すればするほど、現場で特殊学級の在籍者数が増えたという1960年代。この歴史的事実は、近年の学力テスト体制下、なぜ特別支援対象児が増えているか、その理由を照らし出している。」と。私たちは、毎年マスコミを賑やかしている全国学力テストがインクルーシブ教育を阻害していることに気づかなければならないのではないか。 最後に新自由主義的教育改革が子どもたちに何をもたらしたか。「日の丸」「君が代」の強制がいかに教師の心身を疲弊させたか、そして教師の管理強化が子どもたちへの管理強化を促していくことになった2006年以降の子ども受難の時代について述べる。たしかに、ここ20年ほどで起こっていることは、凄まじいまでの学校崩壊ぶりである。それは2007年に同時に始まった全国学力テストと特別支援教育制度に象徴されているように感じた。 さて、終章では、学校再生の分岐点にいる私たちに著者は課題を示す。ひとつは、2016年安倍政権において閣議決定された未来社会構想「Society5.0」に基づき、文科省のみならず、総務省・経済産業省が事実上教育行政に介入し、極度に政治化された状況にある現在の公教育に警鐘を鳴らす。 もう一つは、国連の子どもの権利条約に対応する国内法としてようやく子ども基本法が公布されたが、子ども基本法は、国民ではなく「全ての子」に対するものとしてあること。そこから戦後のなかで繰り返し繰り返し提起され続けてきた学校の可能性、すなわち共に生き、共に学び合う場としての学校を模索することだと。 それは、北村小夜さん風にいうなら、まず最初にやるべきことは「わけない」ことではないだろうか。 *「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人、志水博子、志真秀弘、菊池恵介、佐々木有美、根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、わたなべ・みおき、ほかです。 Created by staff01. Last modified on 2023-08-24 13:06:36 Copyright: Default |