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奴隷労働で失われた尊い命〜「群馬の森」と強制労働現場を見る

尾澤邦子

*追悼碑

 10月28日(土)「かながわ歴史教育を考える市民の会」のフィールドワークに参加し、「群馬の森」と強制労働現場を見てきました。案内は、群馬の「追悼碑を守る会」の石田さん。

 「市民の会」のよびかけ文には「日本の植民地支配や戦争で多くの朝鮮人・中国人労働者が強制連行され、過酷な労働で命を失いました。群馬県には今でも強制労働の現場を伝える多くの史跡が残されています。ところが今、群馬では、このような歴史を伝える追悼碑が、強制連行の歴史を『なかったものにしたい』人々によって、強制撤去されようとしています。私たちは残された歴史の事実を学ぶ取り組みとして、強制労働の現場をフィールドワークしたいと考えています」とありました。まさにその通りだと思います。

 新前橋駅で待ち合わせ、マイクロバスで利根・沼田方面へ。JR上越線岩本駅の裏に東京電力岩本発電所(写真上)があります。この発電所は、アジア太平洋戦争の末期、京浜工業地帯の軍需工場に電力を送るため、1942年1月に着工されました。この発電所に必要な水を送るのに、約15キロのトンネル地下導水路が作られました。そのトンネルの途中にある地上露出部分を見ながら説明を聞きました。

 約15キロのトンネルを掘る工事には、朝鮮半島から強制連行された約1000人の労働者と、中国人捕虜約600人が動員されました。工事を請け負った間組の史料に記録されています。日本の若者は戦地に動員されていました。植民地下の朝鮮、中国の労働者が、急ピッチの工事でどんな扱いを受けたかは、容易に想像できますし、証言も残されています。食べるものもない奴隷労働で、多くの尊い命が失われました。

 そのあと中島飛行機の地下工場(写真上)に案内してもらいました。海軍の軍用機を製作していた小泉工場が、米軍の空爆により移転するためにつくられました。奥行150メートル、トラックが行き来できる広さと高さがあります。1945年7月完成。どれだけ大変な工事だったかわかります。中は冷んやりとしていました。

 群馬の森は、戦争中陸軍の岩鼻火薬製造所があったところです。しょっちゅう起こる爆発事故で、犠牲者も多く出ました。公園内には「ダイナマイト発祥の地」の碑もありますし、射撃が行われたトンネルも残されています。「立入禁止」と、見せないようにしていましたが、案内者について見てきました。

 そんな危険な中で働き、犠牲になった人々を追悼する追悼碑。群馬の森にあってこそ、歴史を感じ、戦争の愚かさを反省し、未来の平和を語ることができるでしょう。

 追悼碑を群馬の森から撤去するなど、とんでもないことです。歴史の事実を学び、受け止め、人が人としての尊厳を守るため、みんなで群馬の森の追悼碑を守っていきましょう。

<10.29群馬の森朝鮮人追悼碑撤去反対新宿情宣>

 10月29日(日)午後3時から新宿駅東口アルタ前広場で、情宣行動がありました。右翼団体が「撤去!撤去!」とスピーカーを持って妨害していました。「歴史の事実を勉強しろ!恥を知れ!」と言ってやりたい気分でした。群馬県からは追悼碑の「撤去及び原状回復命令」が出されていますが、戦時中、群馬県内でたくさんの朝鮮人が強制労働に従事させられていたことは歴史的事実です。10月11日、「追悼碑を守る会」は、撤去命令の取り消しを求めて県を提訴しました。情宣では、その現状報告や追悼碑の意義がリレートークで話されました。作家の中沢けいさんも「強制連行は裁判所も認める事実であり『政治的』ではない」とアピールしてくれました。


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