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毎木曜掲載・第276回(2022/11/10)

人は根を選ぶのか翼を選ぶのか

『気流の鳴る音ー交響するコミューン』(作者 真木悠介)評者:根岸恵子

 ラカンドンというマヤの一支族は遥か彼方の音を聞けるという。また矢追日聖さんとい う神道の法主さんは木の叫ぶのが聞こえる。私たちは遥か昔に備わっていた聴覚を失って いる。「気流の鳴る音」はまた、私たちが忘れてしまった超自然的な音だったのかもしれ ない。文明化とともに忘れた音。

 著者の真木悠介さんは社会学者見田宗介さんである。多くの著作があるなかででコミュ ーン論は彼の一つの課題であった。折しも私は11月1日からフランス南部の共同体(コミュ ーン、皆はムラと言っている)で生活することになり、労働の合間に本書を読むことにし た。

 真木さんは序章「『共同体』のかなたへ」のなかで日本の共同体山岸会について述べ、 「労働が強制されないこと」「ニワトリが平飼いされていること」に疑念を持つ。労働を 主体にした共同体で労働しないことや攻撃的な生き物であるニワトリの平飼いなどをばか ばかしいと思っていた。しかし「研鑽」体験によって認識を変える。人間が穏やかならニ ワトリも穏やかだという非科学的とも思える山岸会の理論に納得し、人間と自然との連動 性のようなものの方にこそ、ことの本質があるのだと理解したと述べている。実際私自身 このフランスの共同体に来た時、「働きたいですか? 働きたくないですか?」と聞かれ た。そしてこの共同体でも何百羽ものニワトリが平飼いされていて、争うことなく暮らし ている。

 強制される労働は精神を病み、自然の均衡を侵す。殺風景な社会は必ず自己の周囲に殺 風景な自然を生み出す。「コミューン論は、人間と人間との関係のあり方を問うばかりで なく、自然論、宇宙論、存在論をその中に包括しなければならない」と真木さんはいう。

 本書は序章から5章までが雑誌『展望』に発表されたもので、その内容のほとんどを文 化人類学の著作として1968年にカリフォルニア大学から出版された『ドン・ファンの教え 』を解説したものとなっている。ドン・ファンとはアメリカ先住民ヤキ族のシャーマンで 、それを文化人類学の学生でドン・ファンの弟子となったカルロス・カスタネダが記録し た。

 ドン・ファンは人間の根源的な欲求は「翼を持つこと」と「根を持つこと」だという。 もちろん「翼」は自由を意味する。では「根」とは何か。人は家族、郷村、人類に根を求 める…それがあたかも揺るぎない根であるかのように。ドン・ファンは「履歴を消しちま うのがベストだ。……そうすれば他人のわずらわしい考えから自由になれるからな」と言 う。カスタネダは納得しない。自分の履歴に愛着を感じているからだ。著者もまた、それ は素晴らしい自由を与えるが、人間の確かさを奪い、執着するもののない生活とは自由だ がさびしいものではないかと疑問を呈する。

 この二律背反する「翼」と「根」に、自由に生きたいと思う私と安住できるコミューン へ幻想を抱く私自身の矛盾した願望がある。流浪する孤独に耐えられず常に人を求め、共 同体の不自由さに再び流浪する。

 真木は、飛翔したい「翼」が生活の疎外となり、ささやかな「根」の執着が障壁なき「 翼」の断念となり、二律背反の地平は越えられないと切る。人は根を選ぶのか翼を選ぶの か、彷徨する魂はどちらも選ぶことはできない。答えはない。

 『ドン・ファンの教え』だが、最初は学術書として出版され、その後、寓話として扱わ れている。しかし、真木さんはこのドン・ファンの教えの中にこそ自然と人間性への真実 があると信じていたのではないだろうか。文明化された私たちには聞けない音があるよう に、われわれの自我の深部の異世界を解き放つ時ではないだろうか。

 気流舎という本屋のような小さなバーのようなコレクティブ経営のフリースペースが下 北沢にある。本書はちょうど昨年の今頃亡くなった長谷川浩さんが、運営メンバーに気流 舎なんだから読むべきだと言っていた本である。もっとも私はメンバーでなかったけれど 、長谷川さんの意思と今年4月に亡くなった作者真木悠介さんを偲んで本書を読んでみる ことにした。

 私にはまだ気流の鳴る音は聞こえない。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人、志水博子、志真秀弘、菊池恵介、佐々木有美、根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、わたなべ・みおき、ほかです。 


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