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 1月8日に今年最初の「あるくラジオ」が放送された。ゲストは、大著『戦後史のなかの国鉄闘争』を発刊した森健一さん。パーソナリティのしまひでひろさん、技術のまつばらあきらさん(『人らしく生きようー国労冬物語』制作者)の質問に答える形で、森さんは「国鉄闘争」をたっぷり語った。そこから、これからの労働運動への教訓・示唆が見えてきた。アーカイブをご活用ください。
アーカイブ(1時間)

「あるくラジオ」あらためて国鉄闘争を考える

森 健一

*リモートのしまひでひろさん(左)と対話した森健一さん(右)

 この番組の中で気づかされたことがある。国鉄労働組合(国労)にかけられた「人材活用センター」という名の”収容所”送りは、実は1960年代半ばに、自動車や電機、精密機器など、民間大手で反共の労務政策として、とうにやられてきたことであって、テーマ曲にも流れた、田中哲朗さんの沖電気争議は、活動家の残っていた数少ない職場だった。川崎や東京南部の東芝、NEC(日本電気)・・。全国では、日産やトヨタの活動家の “隔離” 職場もよく知られていた。番組の翌日(1月9日)に聞き取りをした、国鉄闘争に連帯する会の山下俊幸さんは、千葉県市原市の昭和電工の活動家だった。職場で上司に一件でもモノ言おうものなら「◎アカ」として外された。逆にインフォーマル組織に抜擢されそうになった。

 結果論だ、理想論だと言われるかもしれないが、国鉄や全逓、日教組、自治労・・と戦後の総評労働運動にまだ力のあった時代に、職場と居住が一体となって、権利を奪われている同じ労働者の処遇に関心を向けられなかったのか。冊子や記事からまとめた、この国鉄闘争の本『戦後史のなかの国鉄闘争』で繰り返し、地区労の可能性に言及したが、職場と地域に、未組織の労働者と共に闘おうとの呼びかけが実現していたなら、かくも劣化した、この40年近くはなかったろう。パーソナリティのしまひでひろさんが述べるように、敗退させられた、負の教訓をつないでいって、次には勝とうという、積み重ねが、相手方(国家権力、大資本)に対して、圧倒的に少ない。

 北海道の紋別闘争団の清野隆さんの手記に松原明さんが声を詰まらせた。幹部請負ではない、労働者一人一人が主人公であってこそ労働組合だ。卑怯なことはすまい、理不尽なことには、一人でもモノを言う、職場闘争で積み上げられた国鉄労働組合の魂が、国労本部よりも家族会の中に残されていた。音威子府闘争団の家族会、藤保美年子さんのスピーチ(写真上)に国労臨時大会の雰囲気は一変させた。私も仲間が少ない私学職場でつよく励まされた。

 番組を通じて、労働者のなかの、私たちの側の「道徳性」にも気づかされた。1980年代半ば、中曽根内閣が進めた国労攻撃は、働く側の「道徳性」をズタズタに引き裂くものだった。イギリスでもケン・ローチ監督が『家族を想うとき』で描いたように、配送ドライバーや在宅ケアの請負契約、個人事業主化が極端化、まとまだった労働者家族が壊される悲しみを子どもの眼から描いた。現在にいたる、新自由主義は、労働者の個々を競わせ、互いの反目と不団結を生むシステムだ。労働者派遣法の制定と改悪は、国労攻撃と一体だ。

 松原さんによれば、先日の国鉄闘争を支えてきた『労働情報』誌の終刊シンポジウムでは、「女性・非正規・外国人」こそが、新たな労働運動の再構築、反発の跳躍点と締められたとのこと。昨年末、鹿児島の『人らしく生きよう―国労冬物語』上映会では、引き続き、国鉄闘争の公開での討論やシンポジウムを企画、立案して、音威子府の藤保美年子さんも鹿児島に招きたいという声もあったほどだった。ぜひ、国鉄闘争をつうじて、私たちの側の同時代史を紡いでいこう。(2021年1月13日記)


*ビデオプレスの入り口で

聴きました!ボロ泣きしました

堀切さとみ

 あるくラジオ「国鉄闘争とは何だったのか」を聴きました。感動的な一時間でした。

 「国鉄がなくなってもいいから国労をつぶせ」とまでささやかれていたという戦後最大の愚政策。乗客の安全を守るために働いている労働者の誇りを奪い、仲間を裏切らせ、たくさんの人たちを自殺に追い込んだ国鉄分割民営化。あらためて、今のリストラやパワハラといった労働現場に通じるばかりでなく、被害者の中での分断、命や安全の軽視などが当たり前になってしまっている、その出発点がここにあったのだと痛感しました。

 森健一さんの温かみのある語りが心にしみました。高校教師だった森さんが、なぜ『戦後史のなかの国鉄闘争』なる原稿用紙2000枚にも及ぶ大著を書くに至ったのか。映画『人らしく生きよう〜国労冬物語』(2000年)を観て、その中で音威子府闘争団の藤保美年子さんの演説を聞いたのがきっかけだと話していました。一人の女性の発言が、人を変える。その藤保さんの演説シーンも番組の中で流れてきます。私も『人らしく』は何度も観ていて、これがハイライトシーンであることは間違いないのですが、音声だけで聴く藤保さんの声と場内の歓声、そしてこの演説が何を意味していたのかを森さんや松原さんが語ることで、いろいろなことを考えさせられました。

 森さんも松原さんも、自身が職場で闘った経験があるから、ここまで闘いの現場に深く入り込んで本や映画を作ることができたのでしょう。何事も「光と影」がある中で、影の部分にも向き合っていかないと、過去の問題として終わってしまいます。松原さんは「女性、非正規、外国人という最も矛盾が現れたところに組合がない」ことに触れ、あらためて国労問題を世に問う必要性を語っていました。「間違っていることを間違っていると言えるのが組合」「闘いは上から指示されてやるものではなく、一人一人から」という、国労本部によって蔑ろにされたものが、家族会や「不器用な」労働者の中に脈々と根を張っていたという話にボロ泣きし、エンディングの『人らしく生きよう』で、また涙。

 森さんの『戦後史のなかの国鉄闘争』には、『人らしく』に出てこない組合員のことも沢山書かれているそうです。ぜひ読んでみたいと思いました。分厚いのでなかなか読むのが大変そうだという人も、このラジオを聴くといろんなことがわかると思います。ぜひ聴いてみてください。

「あるくラジオ」HP
『戦後史のなかの国鉄闘争』情報はこちらから
映画『人らしく生きようー国労冬物語』HP


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