木下昌明の映画の部屋 : 下村幸子監督『人生をしまう時間(とき)』 | |||||||
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●木下昌明の映画の部屋 第257回 : 下村幸子監督『人生をしまう時間(とき)』 患者を看取る在宅医療チーム江藤淳が著書『妻と私』のなかで、死の床にあった妻が「もうなにもかも、みんな終わってしまった」と漏らしたと書いた言葉を、ふと思い起こすことがある。 下村幸子監督の『人生をしまう時間(とき)』をみた折もその一言が想起された。それは自ら死を悟る段になって、誰にも訪れる心境だからだろう。 この映画は、終末期を迎えた人々の「在宅死」に焦点を当てている。それを患者側でなく医療の側から、という点が特徴といえる。 舞台は埼玉県新座市の堀ノ内病院。そこに訪問医のチームがあって、2人の医師と看護師やケアマネージャーが詰めている。そのなかでカメラは、とくに80歳の小堀鷗一郎医師を追いかけている。彼は森鷗外の孫という。長年外科医として数多くの患者に立ち会ったベテラン。定年後は在宅医として患者を看取(みと)っている。 トップシーンは、彼が自ら運転して市内の患者を見回っているところから。患者は高齢者が多く、病気も多様で、対応も異なってくる。 彼はもう1人の56歳になる医師と分担しながら患者宅を訪ねる。その様子が興味深い。これから老いを迎える人にも参考になるだろう。動けない患者には簡易トイレがあったり、簡易風呂を持ち込んだり、それぞれの介護の仕方に目を見張る。子宮頸(けい)がんで苦しむ52歳の患者にその日その日に苦慮する医師の悩みなども、考えさせられる。 なかでも百目柿のある家でのシーンが心に残る。84歳の寝たきりの父を介護するのは47歳の盲目の娘。死ぬに死ねない父と、長生きしてほしいと願う娘との関係が胸を打つ。いよいよ父を看取る時、医師は娘に父の喉仏に手を当てさせる。静かに息絶えていくのを娘が周りに伝える。そのいじらしさ。彼女はこれからどうするのだろう。 ――映画は「人生をしまう」人々の姿を介して「生きる」ことを問うている。(『サンデー毎日』2019年9月22日号) 〔追記〕ぼくですか? まだ人生をしまっていません。 ※9月21日より東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムにて公開 Created by staff01. Last modified on 2019-09-15 19:29:17 Copyright: Default |