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小熊秀雄と朝鮮―「長長秋夜」をみる

    牧子嘉丸

創作集団「憲法寄席」の公演「長長秋夜」(ジャン、ジャン、チュウヤ)を観た。会場は北区王子の北とぴあで、近くの飛鳥山では3月最後の日曜日とあって、花見客でにぎわっていた。これは小熊の長詩を舞台構成にしたもので、卞宰珠(ピョン・ジェス)さんの「朝鮮半島と日本の詩人たち」を読んだことがきっかけとなったという。

序幕は小熊の詩「馬車の出発の歌」と1930年代表現の自由を奪われ、多くの詩人達が沈黙するなかで声をあげた「しゃべり捲くれ」の群読で始まった。遠い昔のことのように感じていた「仮りに暗黒が、永遠に地球をとらえていても、権利はいつも目覚めているだろう」という有名な詩の一節がいまひしひしとよみがえる。(*写真=小熊秀雄自画像)

つづいて、講談「小熊秀雄小伝」が高橋織丸さんの名調子で語られる。スライドを使って、わかりやすく、またユーモラスに小熊の苦闘の生涯を描き出した。こうして、詩人の予備知識を得てから、朝鮮民衆の歌「セヤ、セヤ(鳥よ、鳥よ)」を廬佳世さんが情感をこめて歌い、金春江さんが韓国舞踏「サルプリ」を素晴らしい民族衣装で舞い踊る。日帝支配下の朝鮮人民の苦難と不屈の誇りがこの歌と舞踏で伝わってくる。

こうして長編叙事詩「長長秋夜」は、「朝鮮よ泣くな、老婆(ロッパ)よ泣くな、処女(チョニョ)よ泣くな、洗濯台(マンチジル)に笑われるぞ。トクタラ、トクタラ」と語り出される。字を読むだけではなかなか理解しづらいこの長詩が、舞台構成されることで、より視覚化され、聴覚化され、老若の男女の感情がいきいきよみがえってくる。そして、韓国民衆が決して手放さなかった民族的矜恃を見事に演じたこの創作演劇に感動を覚えた。

この初演は試演であり、いずれもっと磨きをかけて完成度の高い演目になるだろう。そのときはもっと多くの人に観て貰いたい。日朝・日韓関係が悪化・劣化するなかで、いまこそ民衆同士の絆こそが深めなければならない。小熊が残してくれたこの長詩は非抑圧者の連帯を込めた日本人の最高の階級的財産でもある。

最後に、小熊の「日本的精神」という詩にこんな一節がある。
「いまさら万葉時代や明治時代まで
現代の精神に水を割りに出かける必要もない
現実の痛さを知らぬものだけが
理由を附して復古主義を復活させる
自分の脇の下をくすぐって
ひとりで猿のように
日本主義を騒いでいる」
カイゲンとかレイワとか、ギョメイギョジだとか、まだまだ猿のように騒ぎまわるだろう。

「長長秋夜」は長い、長い秋の夜のことを言うのだが、「長長猿代」ともいうべき復古祭りもまもなく終わるだろう。

こんなエプリル・フールみたいな馬鹿騒ぎはスルーして、いまこそ小熊秀雄読むべしとつくづく思った次第です。


Created by staff01. Last modified on 2019-04-04 11:45:24 Copyright: Default

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