憲法とナショナリズムについて考える/「日の丸・君が代」集会、小倉利丸さんが講演 | |||||||
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憲法とナショナリズムについて考える〜「日の丸・君が代」集会、小倉利丸さんが講演2月25日、「日の丸・君が代」強制反対!10・23通達撤回!総決起集会が、東京しごとセンターで開かれた。教員や市民など90名が参加した。この集会は毎年、3月の卒業シーズンを前に、「君が代」不起立教員を励ますと同時に、学校の内外をとりまく状況を明らかにしようと取り組まれてきた。主催は都教委包囲・首都圏ネット。冒頭、小倉利丸さん(評論家・元富山大学教授/写真)が「『明治150年』と改憲攻撃」をテーマに講演。「ナショナリズムの暴走を憲法は止めることができない」と指摘した。近代国民国家の限界という視点から、憲法やナショナリズム、9条に鋭く迫る内容で会場を圧倒した(要旨は後掲)。続いて、学校現場や「日の丸・君が代」裁判などの報告があった。「議論のない職場では、疑問も起こらず、現状肯定の雰囲気が充満している」「今年4月から実施される道徳の教科化もすんなり受け入れられている。その中でできる抵抗をしていきたい」「千葉の学校では、教員のパソコン使用に静脈認証を強制している」などの発言が相次いだ。 ●小倉講演要旨 「明治150年」をいかがわしい、認めるべきではないという声がある。現行憲法を生み出した1945年の大切な区切りを「150年」でチャラにして、戦前に引き戻すのかという声だ。ところが、ことはそう簡単ではない。150年には共通の構造がある。資本主義、国民国家、天皇、国旗・国歌等々。わたしの専門は経済学だが、経済学から見ると、第一次大戦と第二次大戦の間が決定的に大きな区分になる。この間に、ロシア革命が起こり、資本主義とはまったく違う体制が誕生した。またファシズムも起こった。経済学者ケインズは、国家がコントロールする市場経済を提唱した。ケインズ理論は戦後高度成長を支え、日本もそれを取り入れた。 憲法とナショナリズムについて考える。憲法は国民という枠で主体を作る。国民主義としてのナショナリズムがある。ナショナリズムの暴走を、憲法は止めることができない。いま世界には200近くの憲法がある。200通りの最高法規が競い合い、矛盾し合って争いの火種となっている。戦後多くの植民地が独立したが、過去も現在も戦争は続いている。「自国ファースト」を、憲法が支えている。安倍改憲を認めることはできない。だからといって憲法にわたしたちの生存をすべて委ねていいのか考える必要がある。 他方、憲法とナショナリズムは結託する必然性がある。なぜなら、憲法は国民が主権者であり、国民以外の人間を外に排除する構造をもっているからだ。日本国憲法でナショナリズムと深い関係にあるのが、象徴天皇制だ。天皇の地位は「国民の総意」に基づくことになっているが、この「総意」を全員が確認する手続きは、どこにも書かれていない。権力者が、わたしたちに「総意」を認める一員になることを強制している。それを憲法が下支えしている。「日の丸・君が代」の強制もここに根拠がある。 戦後すぐ、再軍備の掛け声や自衛隊の成立から9条の形骸化が始まった。現在の国際関係は腕力の強いものが勝つ世界だ。どこの国も自分が正しいと言い、決着がつかない場合は、殴り合いになる。そうでない国家、戦争を放棄する国を9条は選んだ。それならば、今までとは違う外交や国際政治のやり方を考えなければならない。これが野党の役目だが、いままで論議されてこなかった。また、9条には、自衛力の定義がない。「あらゆる戦争が自衛のための戦争だった」ことを考えれば、自衛力を放棄しなければいけない。近代の国民国家体制の戦争リスクを、乗り越える世界を作る必要がある。 オリンピックについて。スポーツも戦争も国と国とが競いあう。スポーツは戦争の別の表現だ。「日の丸」を振るのは、戦争のときも、日本選手団を応援するときも心情は同じ。切り替えは直ぐできる。1960年代には、オリンピックの国別選手団に異論が出て、国家とスポーツのつながりを疑問視する声があったが、それも立ち消えた。国家がスポーツをナショナリズムに利用することを許してはならない。 *詳しくは、以下の小倉利丸さんのブログをご参照ください。 憲法とナショナリズム――近代国民国家が抱える構造への批判 〔佐々木有美〕 Created by staff01. Last modified on 2018-02-28 00:09:05 Copyright: Default |