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「闘うしかない」という当たり前の結論に納得〜映画「サンドラの週末」を観て

 サンドラはうつ病で休職し、職場復帰すると社長はサンドラの解雇とボーナス支給のどちらを選択するかという社員投票を実施した。こんな「投票」聞いたことないし、組合が強ければ投票自体やらせないし、組合が無いところ弱いところでは会社は解雇とボーナス無支給をどっちもやるだろう。しかし、そんなことが問題なのではなく、大事なのはここで起こる「分断」が会社の狙いであり、労働現場におしなべて共通するということだ。労働現場だけではない。「分断」は沖縄でも、原発立地県でも、福島でも日本全国で起こされている。

 「分断」、それはもっとも闘う側にとって弱い部分、見たくない部分。しかし、そこを見なければ闘えないことをこの映画は教える。サンドラの職場復帰に必要な9票の獲得のために、週末の土曜、日曜と同僚宅にオルグに走る。この映画の9割以上がこの「オルグ」の場面にさかれている。言うまでもなく、オルグは思ったようにいかない。何人かの同僚からは、「家族の為」にサンドラには投票できないという声を聴くことになる。そのたびにサンドラはやっとうつ病が治ったのに薬を飲み、次のオルグ先に出かける。サンドラも当然家族のために闘っている。夫も闘いを支援するが「俺のかせぎだけではやっていけないから」という言葉をつい吐いてしまう。その夫に「私たち別れたほうがいいのでは」とサンドラが切り出すシーンもある。ぎりぎりの場面が最初から最後まで続くのだ。

 サンドラを支持する仲間もいる。しかし、その家庭もサンドラを支持することで不和が生まれる。サンドラの精神的窮地は限界を超え、ついに薬を多量に飲み自死をはかる。この時、それでも闘う必要がどこにあるのかと叫びたくなった。そこまで、観る側を追い詰める作品に僕は初めてであった。

 私もサンドラに似た経験をしている。学校職場で不当な強制人事異動攻撃にあい、病院に通い薬を飲みながら異動撤回を闘った。私の場合は解雇ではないのでサンドラほどではないが、それでもここまで闘う必要があるのかと感じ、勝つまでは生きている心地がまったくしなかった。

 しかし、おちついて考えてみれば、それが「現実」なのである。希望がほとんど見えない、そこにはごまかしが一切きかない。それが本当の現実なのである。だからこそ、まずは逃げられないことを理解することから始めるしかない。そして、矛盾するが体を大事にしながら息の長い多様な闘いを起こし、休みながらでも闘いをやめずに続けること。その過程で仲間を増やすこと。つまり「闘う」しかないことに納得することの大切さをこの映画はとことん、150%表現しきっている。(湯本雅典)

●「サンドラの週末」オフシャルサイト


Created by staff01. Last modified on 2015-06-08 21:10:07 Copyright: Default

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