湯本雅典の中国現地報告〜旧「軍隊慰安所」を保存する運動 | |||||||
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南京市で旧「軍隊慰安所」の建物を保存させる運動が起きている。 1937年の南京大虐殺後、南京市内には旧日本人街を中心に「軍隊慰安所」がわかっているだけで40ヶ所以上作られた。近年の南京市の急速な「開発」の流れの中でその多くが取り壊されているが、中には建物を保存させようという運動が起きている所もある。その中の一つが「旧松下富貴楼慰安所」。保存運動の中心になっているのが、戦前からの建物の持ち主の李邦華さん(81才・写真)。 李さんとその家族は70年前に起きた日本軍による南京大虐殺の難を避けるため、家を離れ郊外に避難していた。情勢が比較的安定したのをみてこの地にもどってみると日本人の松下という人間にこの家がのっとられ、かってに「軍隊慰安所」として使われていた。李さんは、インタビューでその過程のことを語った。(以下取材要旨:08年4月15日 湯本雅典) 「私たちがここにもどってきたとき、すでに『慰安所』にされていた。そして、親戚2名が水カメの中で刀でさされ死んでいた。」 「日本軍は、ここを『慰安所』にしたばかりでなく、父が近くで経営していた旅館から家具を持ち出し、ここで使用した。」 「しばらくは怖くてここに近づけなかった。私たち家族はこの近くの実家で生活をした。少し安全になったのでここにきてみると鉄柵のなかで女性が着物姿で『私は日本人じゃない』と言って泣いていた。近所の人が鉄柵の外からなぐさめていたのを覚えている。」 「1945年8月15日の正午、ラジオ放送があり私たちは解放された。日本人街の日本人は皆泣いていた(当時李さん10才)。2〜3日後、日本人の店の前には土嚢が積み上げられた。おそらく中国人の報復をおそれてだろう。しかし中国人の報復はなかった。」 日本人は、自分の店の品物をたたき売っていた。しかし、松下氏は売るものがないのでしばらく家の中でじっとしていた。そのうち出て行った。おそらく下関の日本人難民キャンプにでも行ったのだろう。そして私たちは、自分の家にしばらくぶりに帰ることができた。そのとき初めて家の中の仕組みを観ることができた。」 Created by staff01. Last modified on 2008-04-28 22:54:53 Copyright: Default |