韓国:双竜車、また始まった残酷な椅子取りゲーム | |||||||
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双竜車、また始まった残酷な椅子取りゲーム[ワーカーズ ルポ]3次面接10人復職、残る解雇者120人
キム・ハンジュ記者 2018.03.30 05:03
2018年3月17日、双竜自動車人材開発院。 面接官がキム氏に尋ねた。 「もし朝寝坊をして、出勤が遅れました。 管理者が遅れたついでに出勤しないでくれと言えば、出勤しますか?」 もうひとつの質問が続いた。 「工場の労働者たちの(双竜自動車支部に対する)反対が激しいが、 どういう姿勢で働きますか?」 [出処:キム・ハンジュ記者] 面接者は二人、椅子は一つまた椅子取りゲームが始まった。 面接の競争率は2倍。 二人のうち一人は落ちる。 面接官はキム氏の隣の同僚にも同じ質問を投げる。 どんな返事をするかにより面接の結果が分かれる。 会社が望む返事は決まっている。 全力をつくして会社への忠誠を証明すること。 キム氏は2017年4月、2次面接の時を思い出した。 ある同僚は「私は50kgを越える資材をいくつかか上げられます」と、 別の同僚は「これまで生計をあきらめて老父母の世話をしてきました。 これからは本当に工場で金を稼ぎたいです」と力説した。 誰よりも切実さを表現しなければ落ちる可能性が高かった。 キム氏は今回がすでに三回目の面接だった。 前は解雇者、希望退職者、新規採用への応募者7人が一組になって面接を受けた。 今度は悪くも解雇者どうしが面接場に入った。 同僚の一言一言に神経が過敏になる。 これまで同僚がどれほど復職を望んできたのか、 解雇生活がいかに苦しかったかを思い出す。 その時に始めて不快だった気持ちが沈む。 彼は3次面接で心おきなく答えた。 「解雇生活は私が選択した道ではありませんでした。 私の選択は双竜車でした。 だから入らなければなりません。 同僚と皆で同じ日常に戻ることが願いです」と話した。 1次から3次まで。 いつも面接官は残忍な質問を投げ、彼もいつも同じ返事をした。 彼はそうして面接で「また」落ちた。 彼も切実なのは同じだった。 だが耳と口をふさいで工場に戻るのは、死ぬよりも嫌だった。 彼は結局涙を流した。 「私の友人が子どもを残して死にました。 彼のワイフは鬱病にかかって身を投げました。 今まで解雇者と家族29人が死にました」。 彼は一時、労組幹部になって、全国を回って解雇者や遺族と会った。 「皆私より苦しい生活をしています。 ある老母は一日に皿洗い、食堂サービス、旅館清掃まで『スリージョブ』をしています。 からだが悪く、仕事ができないと訴える遺族もありました。 有人や遺族のことを思い出すと涙が出ます。 どうして一人で復職できるでしょうか。」 家に戻って、妻が面接はうまくいったかと尋ねた。 彼は所信のとおりに話したと答えた。 妻は「そうだと思った。そうだ、よくやった」と話した。 わずか三日前、会社から面接を受けにこいという知らせに浮き立っていた妻だった。 妻の浮き立った声に彼の母親も部屋から飛び出して喜んでいた。 子供たちの目つきも期待に満ちていた。 だが家族の希望はまた水の泡になって消えた。 彼はまだ子供たちに面接に落ちた事実を知らせることができなかった。 キム氏はまた解雇者生活にもどった。 彼は平沢港湾で4年間、飼料清掃の仕事をした。 平沢港湾には中国やベトナムからとうもろこしの皮とヤシガラが入ってきた。 重機で運ぶことができない飼料は直接シャベルで片づけなければならなかった。 毎朝6時に出勤し、深夜12時を越え家に帰る。 一度は大型装備のワイヤーが切れて、中国人労働者が即死して、 韓国人管理者の足が折れる事故が発生した。 だが作業は中断しなかった。 適当に事故現場を片付けてキム氏は仕事を続けた。 危険は至る所にかくれていた。 彼は毎日双竜車工場を懐かしんだ。 3月17日の3次面接場。 解雇者イ氏に面接官が尋ねた。 「管理者になってチーム員を選ぶとすれば、どんな人と働きますか?」、 「上級者として部下の職員がきちんと工具を整理できなければどう対処しますか?」 復職すれば「管理者マインド」を持てという無言の圧迫だった。 彼は質問なのか思想調査なのかわからない面接に耐え抜いた。 1次、2次面接で落ちた彼は、3次で最終合格した。 妻が準備したスーツと靴のおかげか。 復職したのでもう週末夫婦の境遇も終わりだった。 双竜車玉砕ストライキの時に小学生だった子供はもう高2、高3になった。 今は堂々と父親が労働者として暮らしてきた仕事を話してやりたい。 彼は半年以上、身を置いていた平沢サムスンの半導体工場を出た。 建設現場で日雇いで働いた時期が走馬灯のように過ぎ去った。 もうもともと彼がいた席、双竜車工場に戻れば良い。 だが彼にはうれしい表情は探せない。 同僚の解雇者がしばしば目に浮かぶからだ。 復職の所感を聞くと、何度も同僚の話をする。 「今回三人が落ちたが、他人事ではありません。 私も1次、2次面接で、2倍数で落ちました。 面接を受けるほど切実さが強くなり、落ちるほど苦痛は大きくなります。 それである時はまったく面接対象者ではないことを願ったりもしました。 一度に期待を高めておいて、50%は落とすことがいかに傷つけるでしょうか。」 [出処:キム・ハンジュ記者] 面接を拒否した3月15日事実、イ氏をはじめとする解雇者は3次面接を拒否していた。 3月14日、会社は双竜車支部を排除したまま、解雇者に直接電話をかけて面接を通知した。 面接対象者の家に電話して、家族に面接の便りを伝えた。 支部の統制を抜け出して面接を受けさせる戦略だった。 会社は工場の中で働く同僚を使って懐柔することもした。 ある組合員の同僚は「双竜車支部が面倒を見てくれるのか? そのまま面接して工場に入れ」と話した。 解雇者は次の日の15日、直ちに記者会見を行って「脇役復職」に反対すると明らかにした。 全員復職を要求して27日間(3月26日基準)ハンストを続けている キム・ドクチュン支部長を無視できなかった。 豪雨が降る15日だった。 「あまりにも切実に望んだ日が昨日(14日)でしたが、 その切実さをしばらく下ろすことにしました。 共に笑って工場に戻る日まで粘ってみます」(キム・ポムチョル組合員)。 「面接すると妻が清心丸まで買いました。 率直にみんな途中でやめて面接したい気持ちがありました。 しかし会社が2倍数でいたずらをさせないように難しい決定をしました。 130人がみんな復職するまで戦います」(キム・ジュンシク組合員)。 会社は直ちに対応をした。 面接に応じない時は後の順位にするということだった。 使用者側は解雇者復職順序リストを持っていた。 今回の面接で8人の解雇者を採用する計画だった。 1番から8番までの解雇者が面接を拒否すれば、9番から16番までを呼べばそれだけだった。 もし、次の順位の組合員が面接に応じれば、善意の被害者が出てくるようになる。 3月15日、すでに組合員1人が支部の決議に反して当日面接を受けた。 善意の被害者が生まれることを防がなければならなかった。 キム・ドクチュン支部長は組合員に面接に応じることを要請した。 そうして3月17日、解雇者の面接だけが一足遅れて進められた。 16人のうちユン・チュンニョル主席副支部長とキム・ジョンウ前支部長の2人は 会社の一方的採用強行に対する抗議で面接を拒否した。 15日に面接を受けた1人を除く13人が面接を受け、8人が合格した。 解雇者2人は復職を放棄する代わりに子供の新規採用TO面接資格を得た。 そうして解雇者10人が減った。 それでも残る解雇者はまだ120人いる。 今回の面接は4月2日に施行された昼間連続2交代制に従ったものだ。 昼間2交代制が施行されれば、週平均労働時間は63時間から52時間に減る。 労働時間が減るだけ雇用が増え、相当数の解雇者を復職させることができる。 昨年12月に労労使(金属労組双竜自動車支部、双竜自動車企業労組、双竜自動車)は昼間2交代制導入、 新車市場に発表時点に解雇者を復職させることに合意した。 解雇者3、希望退職者3、新規採用4の割合で採用することも、この時に決定した。 合意により昼間2交代制は施行を控えており、新車も市場に発表された。 まだ守られていないのは、ただ解雇者の復職だけだ。 [出処:キム・ハンジュ記者] かなり前から準備していたハンストキム・ドクチュン支部長は、解雇者全員復職のためのハンストを続けている。 なんとかして残った解雇者120人の復職期間を決めさせるという意志だ。 彼は去る1月、双竜自動車親会社であるインドのマヒンドラグループの会長と会うために 53日間のインド遠征闘争を繰り広げた。 旅の疲れも解けないまま、直ちにハンスト闘争を準備した。 2015年の45日間のハンスト以後、壊れたからだは今でも問題だ。 彼は今回のハンストは少し難しいという率直な心情を打ち明けた。 雨に降られながら記者会見をした15日には、結局座込場で病気で寝ついた。 それでも彼が再びハンストを選ぶほかはない理由は何だろうか。 「10年間一緒に戦った幹部も相当数が復職しました。 残った幹部は、支部長-主席副支部長-事務局長を含む4人です。 4人が昔のように戦うのは難しい。 組合員たちも全国に散って生計闘争をしています。 今は本当に終わらせなければならないという悩みでインド遠征に行きました。 行く前、遠征闘争で成果をあげる場合と、手ぶらで戻ってくる場合を考えました。 その過程でハンストまで企画するようになりました。 支部長として責任を取る方法はハンストしかありません。 それでインドから戻った後、2月5日からハンストを決心しました。 氾国民対策委や周辺の同僚は対話の努力を続けようと言って引き止めました。 しかし2月の交渉過程は難かしく、もう先延ばしできずに2月28日、 組合員総会の時にハンストに突入することになったのです」。 彼はかなり前からハンストを考えていた。 彼がハンストに突入した2月28日、組合員総会で彼は何度も涙をのんだ。 2時間の総会が二日のように長く感じられた。 「組合員たちが初めて総会で腹を割って話しました。 みんな苦しいことを知っているから、普段は胸の内を話すことができません。 そんな彼らが総会で9年間生きてきた話をしました。 復職についての切実さも話しました。 組合員の現実と条件に気を遣わなければならない支部長として、苦しい時間でした。 しかし組合員が支部長の決定に従いました。 復職の瀬戸際で面接対象者15人が機会を放棄する姿を見た時は、胸が張り裂けそうでした」。 3月22日。 2009年に双竜車整理解雇国家暴力を主導した李明博(イ・ミョンバク)元大統領が拘束された。 容疑は贈収賄と横領。 BBKとダス関連の報道はあふれたが、双竜車国家暴力の話はなかなか聞こえない。 双竜車の労働者たちにとって2009年はトラウマとして残っている。 今まで解雇者と家族29人が疾病や自殺で亡くなった。 2016年の高麗大学校一般大学院保健科学科の研究によれば、 双竜車解雇者の79.1%が憂鬱症状を見せている。 不眠症を抱える解雇者は71.8%にのぼる。 文在寅(ムン・ジェイン)大統領は3月13日、双竜車国家暴力の真相調査をすると明らかにした。 だが調査主体は警察改革委員会だ。 双竜車支部のキム・ジョンウク事務局長は 「大統領は変わったが、私たちを苦しめた警察はそのまま」とし 「事実上、警察庁が指揮する調査で真相がきちんと明らかになるのか疑問を感じる。 調査期間が6か月だというが、双竜車だけでなく竜山惨事、ペク・ナムギ農民放水銃事件に続いて密陽、江汀まで調査しなければならない。 実効性をあげるのは難しいだろう」と見通した。 双竜車解雇10年の歴史は明らかに国家と資本が作り出した合同作品だった。 だが雇用労働部は相変らず労使問題だけに責任を転嫁する。 労働部平沢支庁の関係者は「双竜車の問題は労使が対話で解くべき問題」とし 「双方に会って、実務交渉が切れないように指導している」と話した。 しかし使用者側の関係者は「双竜車氾国民対策委が営業所で1人デモをしているのに、 どうして会社が交渉に応じられるか」とし 「双竜車の市場占有率も下がっている。 現在のところ採用計画はない」とした。 解雇者は120人だが、残った椅子は0だ。 時間が経つほどに解雇者の孤立感が深まる。 去る3月18日、解雇者は平沢一帯で双竜自動車をロープで引っ張りデモ行進した。 デモ行進の隊伍が通りに設置された10個の門を通過した。 工場の出入口の写真がついた最後の門を通過するまでデモ行進は続いた。 彼らは孤立感と不安感、恐れと戦うことにした。 皆が一緒に工場の扉をあけようと約束した。 同僚を押し出せば自分が生き残れる残酷な椅子取りゲームはこれで終わりだ。 残った椅子は0、これから彼らが一緒に作る椅子は120個だ。(ワーカーズ41号) [出処:キム・ハンジュ記者] 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2018-04-27 11:33:02 / Last modified on 2018-04-27 11:33:11 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ |