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11回目の撤去、警察との死闘15時間

廃虚になった才能教育座込み場で宣伝カーで座り込みを続ける

キム・ヨンウク記者 batblue@jinbo.net / 2009年04月26日0時02分

2009年4月24日午後3時。恵化洞の才能教育本社前。ビニールで覆われたテント の中にはユ・ミョンジャ(学習誌産業労組才能教育支部長)、チョン・ナンスク (テギョ支部長)、キム・ソンヒ(組合員)、チョ・ヨンジョン(組合員)の四人が 座り込みをしていた。

金曜日なので午前集会が終わった座込み場は平穏だった。午後2時には全国学習 誌産業労働組合が主催する上岩洞のハンソル教育前集会があった。全国学習誌 産業労組のカン・ジョンスク委員長とファン・チャンフン京畿本部長は検察の 取り調べが予定されていた。学習誌労組関係者の多くは別の仕事で忙しかった 日だ。4人の女性組合員だけが残った座込み場は普段と同じだった。この日の天 気は雨の予報で、空は曇った。

▲才能座込み場を撤去している撤去班[出処:全国学習誌産業労組才能教育支部]

3時を少し過ぎたとき、突然二人の男がテントの中いきなり首を突っ込んだ。彼 らは「区庁からきました」と話した。座込み場撤去を直感したユ・ミョンジャ 全国学習誌産業労組才能教育支部長と三人は外に走って出た。

座込み場の外の歩道は、すでに20数人のがっしりした男たちが占領していた。 何人かはすでに横断幕を撤去していたし、ナイフでテントを破り、ロープを切っ ていた。ユ・ミョンジャ支部長の目には、座り込み物品を撤去するトラック二 台と男たちが乗って来たワゴン車が入ってきた。

「私たちの物は、持っていけないで。」

彼女はがっしりした男たちを防いで立った。

「ふざけるな、私たちは先手だ。笑わせるんじゃない」。撤去班員らが投げた 短い悪口のニュアンスと表情からは、殺気が感じられた。恐怖と威嚇を感じた。 続いて誰かが言った。「はやく片づけろ。」

その時始めて彼らが手に持った1メートルのノコギリも目に映った。

[出処:学習誌産業労組才能教育支部]

一緒にいた三人も抵抗したが、座込み場の鉄製フレームはあっという間に裸に なった。ユ・ミョンジャ支部長は「お前たちが荒すつもりなら、私達を殺して 行け」と防いだが、撤去担当者と見られる者が「片づけろ、はやく作業しろ」 という答が戻ってきた。

いつのまに雨が降ってきた。通りに投げ飛ばされた座り込み物品が濡れ始めた。

今回が11回目の座込み場撤去だ。その中の九回は、才能教育会社救社隊が直接 撤去した。10回目と11回目は区庁が直接撤去した。事前通報も全くなかった。 3月4日の10回目の撤去の時は、事務局長が一人でいた。一人なので抵抗が難し かった。撤去班はテントをはじめとして、主な物品をあっという間に持っていっ た。今回は女性が4人いた。それなりに重要な物もまとめ、物の破損も止めた。 写真も撮った。

ユ・ミョンジャ支部長の目に映った撤去班の中には、鍾路区庁職員と思われる 人もいたが、龍山撤去民を死に追い込んだTVに出てきたような再開発用役チン ピラのような人も見えた。

撤去されるそこには人はいなかった。雨脚はますます激しくなった。

30分ほどで座り込み物品はほとんどトラックに積まれた。その瞬間、チョン・ ナンスク テギョ支部長がトラックに上がり座り込み物品を取り戻そうとした。 この姿を見たユ・ミョンジャ支部長もトラックに上がろうとしたが、4-5人の撤 去班が駆け付けて投げ飛ばした。誰か言った。「そのまま出発しろ。行って警 察署に捨てろ。」

車は急出発した。車の上に立っていたチョン・ナンスク支部長は危険なトラッ クにのせられて、どこかに引きずられて行った。トラックは出発したが相変ら ず用役は枠組みで立てておいたアングルを切ってたたんで使えないように壊し ていた。

座込み場撤去はそうして40分ほどで終わった。雨はしとしとと降り、1人はトラッ クにのせられてどこかに行った。二人は雨の中で残った物をまとめていた。

[出処:学習誌産業労組才能教育支部]

[出処:学習誌産業労組才能教育支部]

ユ・ミョンジャ支部長は瞬間しまったと思い、才能教育正門前に走って行った。 普通テントを撤去するとすぐ宣伝カーを牽引していくためだった。なんという ことか、宣伝カーに行くと駐車違反のステッカーがついていた。いつも撤去が ある日にはこの調子だった。ユ支部長は宣伝カーに乗って車を守り、あちこち に撤去されたことを知らせ始めた。

そのうち5時頃にチョン・ナンスク テギョ支部長が一人で遠くない恵化地区隊 で抗議をしているという消息を聞いた。

とにかくトラックに乗って恵化地区隊前までつれていかれたチョン・ナンスク 支部長は、そこでも座り込み物品を守るためにトラックで頑張っていた。

地区隊のある婦人警官がチョン・ナンスク支部長を下ろそうとトラックに乗っ た。婦人警官は「撤去班の要請できた」と話した。続いてトラックに用役班7人 が上がってきた。7人の男性が彼女を引っ張って投げ飛ばそうとし、婦人警官が 共に引っ張って投げ飛ばした。「なぜ婦人警官が撤去班と共に女一人を引き出 すのか」と問い詰めると、婦人警官は「業務遂行」と言い返した。それから地 区隊中に入ってしまった。

この時から学習誌労働者たちの長い二回目の一日が始まった。支部長は本当に とてもくやしくて婦人警官に抗議しようとしたが、警察は出さなかった。彼女 は「女性警官の顔を見たからあなたの行動が正当なら名前と所属を知らせろ」 と要求した。

チョン・ナンスク支部長は雨に打たれながら地区隊の前で抗議した。婦人警官 はいないと地区隊警察は言い逃れた。刑事課では彼女に告訴をしろといった。 それで地区隊に告訴するからと入り、請願人として陳述書を書くといった。と ころが婦人警官の名前を知らないので告訴もできなかった。チョン支部長はそ の時から地区隊の中で婦人警官の身元を把握するまでは帰れないと粘った。

結局、恵化警察署情報課と刑事課の警官たちがきた。婦人警官の名前と所属を 尋ねようとしたのに、警察組織が動いたのだった。公開謝罪を要求しただけな のにみんな集まった。警察は彼女を業務妨害だといった。

ユ・ミョンジャ才能教育支部長は宣伝カーを守って5時頃にチョン・ナンスク テギョ支部長が一人で恵化地区隊で抗議しているという消息を聞いた。それで 地区隊に駆け付けると10数人が地区隊の外で抗議をしていた。地区隊の入口は 7-8人の警察官がスクラムを組んでいた。ユ支部長が中に入ろうとすると警察は 「地区隊の中には陳述できる人しか入れない」という返事が戻ってきた。

中ではもう10人以上の十分顔を知っている恵化警察署情報課、刑事課刑事が見 えた。チョン・ナンスク支部長が一人で地区隊の中で刑事に囲まれていること を思うとあきれた。そのように三時間以上対峙して地区隊に入って抗議をした が、結局カン・ジョンスク学習誌産業労組委員長をはじめ、労組の幹部と組合 員7人が連行された。ユ・ミョンジャ支部長とチョン・ナンスク支部長もみんな 連行された。

ユ・ミョンジャ支部長はとても腹が立ち、くやしかった。自分を捕まえた婦人 警官につれていかれないように激しく抵抗した。手が切れ手から血が流れた。 婦人警官三四人がついたが激しく抵抗したため、男子刑事がユ支部長の後から 胸側を引き込んで上体をつかんだ。驚いて後を見ると名札が目に映った。制服 を着た警察だった。その瞬間彼女は名札を覚えた込んだ。『キム某』という名 前が目に映った。彼女が名札を見ると背が高いその男が後に背を向けた。その 瞬間ユ・ミョンジャ支部長はその警官に叫んだ。「キム××君、今に見てろ。」

それでも婦人警官たちはまた彼女の両腕をつかみ上体を持ち上げた。もう手足 がつかまれた。苦闘は続き、下着が見える状況だった。彼女は相変らずもがき、 前で足を持って行った婦人警官が先に引っ張ったので、腕をつかんでいた婦人 警官は手を放した。ユ支部長の頭がコンクリートの床に落ちた。こうして3回も 頭を床にぶつけた。左手の人さし指からは血が落ちた。彼女の人差し指と薬指 の爪には翌朝まで血がにじんでいた。

彼女はミニバスにのせられて行ったが、胸がむかむかして吐いた。しかし警察 は外に待機していた救急車に彼女を移そうとしなかった。

▲ユ・ミョンジャ才能教育支部長は全身がずきずき痛むうえ力がなく、記者会見中ずっと座っていなければならなかった。

▲壊され、雨にぬれ、廃虚になった座込み場

共に連れられてきたカン・ジョンスク学習誌労組委員長がミニバスの窓をあけ て外にいた市民に叫んだ。「今嘔吐と失神直前なのに救急車に乗せろという要 求を警察が握りつぶしています。市民の皆さんが応急室に行けるように助けて 下さい」と叫んだ。

義務警察と婦人警官がカン委員長に駆け寄った。そしてすぐ窓が閉じられた。

ユ・ミョンジャ支部長は結局恵化警察署まできて救急車に乗せられ、ソウル大 病院の応急室にいった。CT撮影をして異常がないと言い、警察はまともに歩け もしない人をまた警察署に引っ張ってきた。午前2時になってまた警察署に戻った。

こうして長い夜を送り、調書を書いて不拘束で出てきた時は朝の6時頃だった。 他人がみんな出てくるのを待っている間、彼女は敦岩洞の労組事務室に行って、 一時間程眠った。雨が降った後の25日朝の気温は7度しかなかった。曇りの空は 相変わらずで、全身がずきずき痛み、さらに寒く感じられた。

警察の正門を出て、長い15時間の死闘が彼女の頭の中に通り過ぎた。寒くて全 身はうずかないところがなかった。考えればひどい。「座込み場を撤去しよう とする撤去班と同調した婦人警官の身元確認をするだけだったのに何で暴徒だ と言って連行して行くのでしょう。本当にそれが必要なのか、ひどいです」。 彼女はその時の心情をそのように言った。

25日の午前11時、学習誌産業労組は恵化警察署の前で暴力連行を糾弾する記者 会見を行った。記者会見の司会をしたオ・スヨン才能教育支部事務局長がシュ プレヒコールをあげようとすると、恵化警察署情報係職員がシュプレヒコール をあげれば集会だと言って制止する。瞬間連行された彼女たちの口から罵倒の 言葉が出てきた。苦しい夜を明かした記者会見でスローガンも叫べないという のか。

一時間ほど眠ってまた記者会見場に出てきたユ・ミョンジャ支部長は記者会見 の間、ずっと座って記者会見場にいた。彼女はインタビュー中も全身がずきず き痛んで力がなくて苦しいといった。

記者会見を終えてまた戻った歩道の座り込み場は廃虚になっていた。才能支部 は宣伝カーを座込み場の場所に停めた。

「今日は座り込みはできないでしょうね?」

「今日はまずここに宣伝カーをとめて座り込みを続け、後明日また座込み場を 作ります」

もう何人かは座込み場の残骸を整理していた。雨のしずくがまた落ち始めた。 前日も濡れた雨がまた降った。他の人々は恵みの雨だというが壊された座込み 場に降る雨は佗びしい涙ほどに冷たかった。

▲学習誌労組は廃虚になった座込み場を整理して宣伝カー中で座り込みを準備した。

25日午後、恵化警察署刑事掛に連行理由を尋ねると、刑事掛の関係者は地区隊 の業務妨害で連行したと聞いていると話した。正確な業務妨害が何かという質 問にこの関係者は「昨日恵化地区隊の連行に関連する刑事はみんな朝10時に交 代して退勤した」と知らせた。連行されて解放された学習誌労働者たちはこれ から不拘束で捜査を受ける。

全国学習誌産業労組才能教育支部は1999年に特殊雇用職という状況の中で才能 教育教師労働組合を作った。才能労組は当時会社と団体協約を締結した。しか し2008年、会社は一方的に団体協約を破棄して、労組専従も解雇した。委託契 約を拒否した労組幹部には解雇通知などで弾圧し、才能教育支部は恵化洞本社 前で500日近く座り込みをしている。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2009-05-03 18:05:43 / Last modified on 2009-05-03 18:05:47 Copyright: Default

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