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[記者の目]反APEC闘争が残したこと

「世界化に対抗する 左派の闘争の論理は何か」

ラウニョン記者 hallola@jinbo.net

警察移動車両を盾にした公権力は、放火される危険が高い車両はもはや盾にで きないと思ったのか、さらにアップグレードしたコンテナを釜山で登場させ、 余裕満々で集会参加者をむかえた。

彼らは2重2層のコンテナの後ろをぎっしり埋める警察移動車両の間で放水銃を 撃ちまくった。空に浮かぶヘリコプターは、現場撮影をするためにずっと低空 飛行して集会の参加者を圧迫した。しかし彼らが信じていた盾が崩れ始めた時 は、彼らもまたどれほどあわてただろう。外信の報道を見て外国の民衆も驚い たのではないだろうか。放水を浴びながら列を作り、一致協力してロープを引 き、コンテナを一つ、二つと押し倒すわれわれの蟻作戦に。

いずれにせよ、川を渡る船の準備もなくBEXCOの対岸で進められた集会は、は じめから限界が見えた戦術だった。BEXCO進入が最終目標ではなく、「反対」 の意思を明確に伝え、なぜ反対するのかを宣伝する集会だっただけに、現実の 闘争はその範囲で忠実に進められた。

今年の下半期を通して準備されてきたAPEC反対闘争は、首脳会議の閉幕と共に 幕を下ろした。APEC闘争を終わらせ、あれこれの成果を騒ぎたてる宣伝を聞き ながら残る惜しみ。APEC闘争の現場で闘争を組織する過程で、多くの活動家が セクトを超え、意見の差を折りあわせてここまできた。がんばって最善を尽く した彼らの活動をさげすむつもりはない。しかし残る惜しみ。

記者個人が持つ反米、反ブッシュ闘争に対するアレルギー反応でない。釜山で 闘争に参加して、またその闘争が準備される過程を共に体験しながら、残念な 部分への整理が必要だと思う。それで、その所感を少し順不同に羅列してみる。

妙に疎外された左派

今回の反APEC闘争を振り返ると、主体単位を数えて、単位で区分される。全体 的に大きな軸を構成したのは全国単位から構成された「APEC反対ブッシュ反対 国民行動」と釜山地域の団体を中心に構成された釜山市民行動だ。そして小さ な規模だったが、それなりの活動をしたAPEC反対釜山闘争委員会という現場組 織を中心とする活動単位だ。

国民行動の場合、9月に公式に発足するまで、数え切れないほどの議論が行わ れた。基調や、現在の政治情勢的条件など。しかし実務責任を除く決定単位に は、不思議にも左派活動家は席を占めていない。初期の執行委員長選任の過程 でも、活動単位が民衆連帯所属単位であることを強調し、民衆連帯で遡及しよ うとした過程を考慮すると、事実、左派活動家は実務に留まり、APEC闘争での 数合わせ以上の成果を勝ち取るのが難しいという限界が、あらかじめ前提になっ ている状況だったからかもしれない。

一例に、「10万組織全国行進」が行われた。全国の市道郡村までを回って進め られた国民行動の公式事業で、チョングァンフン共同代表と呉ジョンニョル全 国連合共同議長を主軸とする2陣を構成して進められた。しかし行進の過程で、 この事業が「APEC闘争のための10万組織」の過程なのか、「反米戦士養成」の 過程なのか、「民衆連帯の組織強化方案」なのかが曖昧になっているという評 価が提起された。行進事業を主導する主導者の傾向が少なからぬ影響をおよぼ していることを前提としても、現場組織、現場活動家との直接の出逢いという 「場の意味」にもかかわらず、積極的に参加できないまま「預けておいた」形 になった。

こうした状況は釜山でも同じだった。議論はほぼ同じ時期に始めたのに、外縁 を広げた釜山市民行動は、すでに釜山市内活動での優位を占めていた。民主労 働党をはじめ、地域民衆連帯、地域本部などと共に組織を構成した釜山市民行 動は、持続的に文化広場とゲリラ宣伝戦、問題への取り組みをして、全国的な 反APEC闘争のチャンネルを市民行動に固定させた。

その反面、釜山を拠点とする現場組織12単位と1人の個人活動家で構成された 釜山闘争委員会は、市民行動中心の反APEC闘争が民族主義的な限界を持つとい う点、大衆から乖離した上層中心という点、問題への取り組みの限界などを指 摘して活動を始めた。問題の指摘は意味があったが活動の幅が現場宣伝だけに 集中したり単位力量のためにうまく事業ができなかった惜しみが残る。

その上に10月30日の釜山歩く大会事業では、独自の印刷物製作と組織拡大によ り、大衆事業の意味を持っていたが、それ以後の独自活動を成果につなげられ なかった。これもまた自主的な世論化も、釜山市民行動への参加による問題意 識の伝達もできないまま孤立した少数の地域運動として残ったという評価は避 けることは難しいだろう。もちろん、地域内の左派単位の連帯闘争の経験を作 り出したこと、全国単位の左派が釜山民衆フォーラムを契機として攻勢を企て て、代案世界化と地域社会運動という議題を投げかけた試みでも、それらの単 位が18日に事前の独自集会をすることが最善の選択だったことは分かるが、こ のような現実的条件による限界が残念としか言いようがない。

さまざまな側面で、現実に左派が釜山APEC闘争を展開する組織構成と運営の面 で、徹底的に疎外された単位だったということは、個人的な印象だけではない だろう。

議題先行獲得の重要性

そして、このような疎外は結局、議題の設定と宣伝の不十分さにつながった。

釜山でスローガンを叫んだ参加者なら、反APEC闘争を関心を持って見守った人 なら、「なぜこんなにブッシュを嘆くのか」「あふれるブッシュ宣伝物はこん なに多いのか」「反APEC闘争が反ブッシュ闘争だったのか」「なぜだかわから ない苦しさ」を感じなかったのか? 大衆に叫ぶスローガン、大会のスローガン、 議題がどれほど重要かを切実に感じるしかなかった。

APEC反対国民行動と釜山市民行動は、数か月をかけて参加単位の全体議論を通 して「貧困と戦争を量産するAPEC反対ブッシュ反対」という議題を選定し、主 なスローガンを決め、闘争の基調を形作った。

その過程で合致した部分は「APEC反対、ブッシュ反対」というスローガンだっ た。戦争に反対する単位では「戦争の生産者」であるブッシュに対する打撃を、 反米を主張する単位では「反米反帝の象徴」であるブッシュに対する打撃を主 張し、その部分は絶妙に合致した。そして地域構造調整と盧武鉉政権への打撃 が提起されたが、議論の過程でこの部分は消えた。

その後「戦争と貧困を量産する」というモットーを土台として戦争のブッシュ、 貧困と社会二極化のAPECという組織を象徴化させようとした。しかし集会現場 で作られた宣伝物と釜山現地で進められた闘争は「反ブッシュ」闘争に埋没し、 反ブッシュとして象徴化され、全面化された。宣伝的、概念的な側面から見れ ば、反APEC闘争は反ブッシュに象徴される反米闘争以上でも以下でもなかった。

また、このような側面は「人間の安保」の概念、「テロ防止」といったAPECの 議題とかみ合わさって、戦争に対する反戦の議題とかみ合わさって、APECの本 質は副次化され、APECに関連する政府の、そして政権のイデオロギー地形を 「釜山の助けになる経済効果の不備」という小さな部分だけに埋没させた。

APEC開催による政権の恩恵、済州-釜山地域だけでなく、全国土で進められて いる市場化の構造調整、業種と領域を越える自発的な自由化措置などの政策、 政権への政治闘争は完全に放棄されたままAPEC闘争は進められた。

おそらくこうしたAPEC闘争の最も大きな受恵者は盧武鉉政権ではなかったのか。 議長国としてWTO DDA特別声明の論議を提示し、北核問題のえさを投げ、彼ら の表現のとおりに円滑な外交を行い、自由貿易の障壁を破っていくという役割 をきちんと果たした。特殊警察と装甲車を釜山に配備し、山海の珍味を買って、 さまざまトルマギを着た各国の首脳に「見ろ、私はこうしただろう」という 模範を見せた。

今回の反APEC闘争の場合、WTOを始めとする自由貿易の虚実、新自由主義世界 化の機構としてのAPECに対するAPECの本質、議長国の盧武鉉政権がAPECにより 得る政治的な利点の暴露と打撃がないままで、反ブッシュ、反米闘争だけに限 定された闘争だったという評価を免れないだろう。

しかしこれは「APEC反対、ブッシュ反対」という初期の議題設定の過程ですで に予定された問題意識だ。果たしてこのスローガンの下での、左派的な論理は 何なのかについての悩みもあった。しかしこれへの対応と積極的な議論が不十 分だった。その上、民衆フォーラムとフォーラム準備チームを主軸とする代案 世界化と地域社会運動による下からの組織化に取り組んだ流れだけが、唯一そ の渇きを満たしたにすぎない。

明確な闘争を組織する過程で主要スローガン、闘争のスローガンがどれほど重 要か、その文句をめぐって徹夜で論争する理由が如実が立証される闘争の教訓 を得たわけだ。

反ブッシュに閉じ込められた反APEC闘争

このような過程と前提の下で進められたAPEC反対闘争は、その闘争が進むほど に、その限界が明らかにならざるをえなかった。すべての宣伝物がNO BUSH、 NO APECで統一され、すべての宣伝物には戯画化された凄じいブッシュの 象徴物で満たされた。韓半島を侵略するブッシュの象徴物、米国がいかに 韓半島を占領してきたかを見せる宣伝物など。南韓をつかんで飲み込む 米国と戦争を恣にするブッシュは、APECを始めとして、その覇権を拡張し ようとし、そのためにブッシュと米国に反対しなければならないという公式 は、その他の主張を押し退けて公式を公論化した。APEC闘争の論理がここに 留まっていたおかげで、APEC闘争では反米、反ブッシュ以上に何も得る ことができなかったし、その苦しい状況での左派的な論理はどこに行ったのか を尋ねるほかはない。

これはまた別の側面で、左派的論理だけに限定することも事実、無理かもしれ ない。APEC闘争そのものが本質を暴露して国際秩序の中での闘争として象徴化 することもできない闘争そのものに対する評価になることも、誤った攻撃対象 を選んだ闘争だという評価をすることもできるからだ。APECをめぐる多様な立 場と論争を提起することもできただろう。それにもかかわらず、このような実 践の主体としての現実の左派の役割が何なのかについての問いに戻るしかない。

公共領域の市場化、盧武鉉政権の積極的な通商外交政策とむちゃくちゃな市場 化で進んでいる自発的自由化措置、新自由主義世界化が全世界的な「成長によ る分配」だという幻想、WTOの多国間貿易体系とFTAA、ASEMなどの地域を拠点 とする経済ブロック、そしてAPECにような経済協力体までがごちゃごちゃに編 集されて、全世界市場のクモの巣で満たされているこの総体的で全面的なイデ オロギーを暴露する宣伝は事実上省略されるか、縮小された形態で現れた。果 たしてこの役割は誰すべきものだったのだろう。

端数闘争、香港闘争はそこに行くまい

いろいろ理由があれる。現在、労働陣営の困難に起因する左派単位の実質的な 困難、実活動家の不足、代案議題開発の困難、実組織力と動員力の問題など、 機械的で、多様な限界があったことを理解できないわけではない。しかしこの ように現場の掌握力、動員力の実力に対する問いを受けつつ、自ら宣伝、代案 議題への悩みさえ具体化できなかったり、現実の運動からさえ押しやられてい るという判断に起因する残念さは残る。そして、それほど残念だと言ってお互 いに慰安する状況でもない。

今後、さまざまな単位の評価があるだろう。反APEC闘争が釜山地域闘争を組織 する典型を作り出した良い機会だったとしても残念だったという評価を残した り、ASEM闘争以後の資本の世界化に反対する抵抗の論理を大衆的に拡散する機 会をうまく活用できなかったといった評価が出てくるだろう。それなら、評価 に終わらせず、本格的なWTOの12月香港闘争では、少しは変わるべきではない だろうか。

韓国の参加団に対して、世界のマスコミが神経を尖らせている今、俗っぽく言 えばゴロツキ参加者の中で「端数に押し出される」のなら、きちんとした論理 の形成、対抗議題の生産の努力が切実な状況だ。WTO闘争も、香港に行っても 「反ブッシュ」だけを叫んで来るのか、封じ込められた反米闘争と反ブッシュ 闘争で、それを続けるのか、それに対してわれわれはどんな準備をすべきなの かを「生産」するための共同の努力が必要な時期だ。

2005年11月22日10時37分

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンス:営利利用不可・改変許容仮訳)に従います。


Created byStaff. Created on 2005-11-23 09:30:04 / Last modified on 2005-11-23 09:30:04 Copyright: Default

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