韓国:[連続寄稿](1)セウォル号惨事2周年を迎えて | |||||||
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セウォル号を見て、セウォル号を考え、セウォル号を語る[連続寄稿](1)セウォル号惨事2周年を迎えて
イチュンジン(漢城大) 2016.04.10 14:46
[編集者注]セウォル号惨事が発生してから2年が近付いてきます。 304人の犠牲者のための惨事の真相究明と、まだ家族の中に戻れない9人の未収拾者が一日も早く戻れることを祈ります。 セウォル号家族と市民、団体が共に設けた4月16日の約束国民連帯(4・16連帯)は、2周年を迎えて惨事を記憶し、行動するための話を連続寄稿します。 2014年4月16日9時、珍島近海。 セウォル号が海の真中で突然止まった。 2時間後、船は船首を残したまま海の中に姿を隠す。 わずか二時間ほど、304人の命が消えるのにかかった時間だった。 船内に閉じ込められた人々は、結局外に出ることができず、 船員と海上警察はそんな彼らを静かに見ているだけだった。 1年後、大統領が彭木港に来た。 遺族は彼女に向かって「追慕する資格がない」とし、焼香所の扉を閉めた。 大統領は海で待ちぼうけを食い、路上で発表文を読まなければならなかった。 焼香さえできない大統領は、急いで外国行の飛行機に乗り、 残された国民だけが犠牲者を賛えながら涙を流した。 惨事1周年を迎えて開かれようとしていた追悼行事はすべて取り消された。 数か月準備したイベントで、数千、数万の人々が参加すると約束していたイベントだった。 惨事直後の遺族と国民の要求は、真相究明と再発防止であった。 1年経った時点で、彼らが提起した要求は施行令の廃棄と完全な船体引揚だった。 2015年4月16日、大韓民国のあちこちで、人々は声を揃えて同じことを要求した。 第2のセウォル号を防ぐために必要な、 304人のくやしい死を無駄にしないために必要な最低の要求であった。 また一年経った。 その間、多くのことが起きたが、変化は大きくなかった。 船員と海上警察が裁判を受け、セウォル号の引揚げも準備しているが、 特別法と施行令は相変らずめちゃくちゃで、一生懸命作った特別調査委員会も本来の機能を果たせていない。 檀園高校の教室の存続問題による対立は、ほとんど爆発直前だ。 2年経った今、真相究明は始めることもできず、 セウォル号の真実は相変らず海深くに埋まっている。 セウォル号の沈没と共に、われわれは私たちが暮らすこの土地がいかに危険なところなのかを明確に見た。 沈没の原因を見つけるたびに、この土地で生きていくことがいかに難しいことなのかをわれわれは理解した。 そしてこの2年、この土地に、自分の周囲に、人間の顔を持たない人々がいかに多いのかを、 われわれは毎日毎日確認しなければならなかった。 そうして2年の時間が流れた。 2016年4月。
死んだ人たちは相変らず苦痛と怒りに苦しんでいるのに、生きている人たちはすでにセウォル号を忘れようとしている。
そんなことは出来ることではないのに、そうしてはいけないことなのに、
彼らはセウォル号をすでに過去のこと、新聞記事だけに存在する過去のこととしようとしている。
9つの肉体が今も家族のもとに戻れずにいるのに、人々は珍島と安山と光化門を無表情な顔で通り過ぎる。 その約束を守ること、目の前から遠ざかるセウォル号を両手で捕まえること、 それが私たちが私たちの隣人を隣人として出会える唯一の可能性ではないか? 彼らの声に耳を傾け、彼らの苦痛に答えること、それが「今、ここに」暮らす人々が人間の顔を失わずに暮らせる唯一の道であろう。 セウォル号を見て、セウォル号を考えて、セウォル号を語ること、 それが「今、ここに」私たちが獣にならずにいられる唯一の機会であろう。 時間と忘却の中にセウォル号を埋めてしまわないこと、それが残された人々が負うべき当然の役割であろう。 1年後も10年後も、われわれは明らかにセウォル号に会うことになる。 安山でも光化門でも、全国どこでもわれわれはセウォル号を見るようになる。 遺族の要求がすべて実現しても、そんな奇蹟が実際に実検するとしても、 セウォル号は私たちのそばから離れないだろう。 だから何年、何十年後、私たちが出会うことになるセウォル号の前で、 少なくともあまり恥ずかしくなくいたいと思えば、 「今、ここに」私たちが呼び水にならなければならない。 動くな!という決心を体で示さなければならない。 動かずに受けた悲劇が繰り返されないように、すべての誠意をつくしてセウォル号を胸の中に受け入れなければならない。 忙しい日常と、偽りの欲望と、中途半端な敗北意識でセウォル号を覆ってしまえば、 セウォル号から始まった悲鳴は決して私たちのそばから離れないだろう。 セウォル号の声に、そのすさまじい痛哭の声に向き合わなければ、 我等自らの生命もいつと悲鳴と共に消えるようになる。 もし私たちがセウォル号をまた沈没させてしまえば、 大韓民国の沈没は決して避けられない事になるだろう。 われわれは、セウォル号をこの土地のあちこちに閉じ込めなければならない。 そのようにして、朝鮮半島が続く限り、セウォル号が永遠に記憶されるようにしなければならない。 われわれはセウォル号を胸に刻まなければならない。 そのようにして、この土地に人が暮らす限り、セウォル号が永遠に記憶されるようにしなければならない。 仏の姿をしたひと塊りの岩に、山の岩に込めた私たちの先祖、 まさに彼らのように、われわれはセウォル号と向きあわなければならない。 304人の命と数千の遺族と多くの市民、彼らが流した涙が消えないように、 われわれはセウォル号を永遠の時間に刻み込まなければならない。
翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2016-04-16 00:59:52 / Last modified on 2016-04-16 00:59:53 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ |