韓国:「ナミルダン撤去民連帯闘争事件」竜山惨事の再認識が必要 | |||||||
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「ナミルダン撤去民連帯闘争事件」竜山惨事の再認識が必要
チョン・ヒョンジン記者 2015.08.13 10:59
「今でも連帯していて、今後もそうするでしょう。 しかし私たちがそこ(竜山ナミルダンの櫓)にいたという事実がなかったかのようになるのは、 どうしようもなく寂しいです。」 住居権と生存権保障を要求してテント座り込みをしている ソウル市中区の巡和洞の現場で会ったキム・ジュファン氏。 ▲巡和洞テント闘争現場で会ったキム・ジュファン氏。彼は「その時に戻っても同じように行動するだろうが、私たちがそこにいたことが忘れられるのは侘びしい」と話した。(c)チョン・ヒョンジン記者[出処:チグミョギ] 彼は2009年1月20日に起きた竜山惨事の時、ナミルダンにいたひとりだ。 当時、竜山区新契洞で撤去民闘争をしていた彼は、 竜山4区域の撤去民闘争に連帯するためにナミルダンにいて、現場で逮捕、拘束された。 当時の竜山惨事で8人が4-5年の懲役刑を受け、 この中にはキム・ジュファン氏を含む4人が他地域の撤去民だった。 惨事犠牲者のうち3人も支援者だった。 キム・ジュファン氏は竜山新契洞で2008年からテント闘争をしていた。 ナミルダンの現場で逮捕された後、4年ほどの収監生活を終えて出所した時は、 たった一人残って戦っていた住民が合意を終え、若干の補償金以外は何も残っていなかった。 家は撤去され、逮捕された時に腰に怪我をして生業も続けられなくなった彼は 「考試院で暮らしながら家は買入賃貸住宅を得たが、 2年以上失業者暮らしをしている」と話した。 仕事はできないが、他の撤去闘争現場で連帯活動を続けており、 現在は主に巡和洞テント座込場に来ている。 巡和洞で会った彼に他の拘束者らの近況を尋ねると、 「日雇いやアルバイトで生活をしているので、ほとんどは状況が良くないが、 最近はそれでも落ち着いきつつある」とし、 「この前から私たち話をする『同志会』という会を作って時々会っている」と話した。 「私たちも連帯の力で戦ってきたので、連帯しに行った。 またその日がきても、同じようにするだろう」 彼は出所後から今も、とても状況が厳しいと打ち明けた。 惨事自体がくやしく、拘束の後の裁判も弁護人が弁論を拒否する程めちゃくちゃだったという彼は、 「それでもくやしいというよりは空しいという気持ちのほうが大きい」とし、 「組織の中で一緒に決めても誰も責任を取らないこと、 出所の後に何の対策もなく各自が状況に耐えなければならないことがとても空しい」と話した。 キム・ジュファン氏は巡和洞の状況についても 「家族を失って負傷した人たちが、地域で新しく闘わなければならないということが非常に残念だ」とし、 「巡和洞問題が笑って終わることを望む。 そして頼むから入居者や零細商人を保護する法律をきちんと作って、 私たちのような人々がまた出ないようにすることが最大の願い」といった。 ▲撤去されるナミルダン. (c)チグミョギ資料写真 竜山惨事、「ナミルダン撤去民連帯闘争事件」として再認識すべき
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