韓国:あなたにとって女/性労働とは何か | |||||||
Menu
おしらせ
・レイバーフェスタ2024(12/25) ・レイバーネットTV(12/11) ・あるくラジオ(10/10) ・川柳班 ・ブッククラブ(2025/1/11) ・シネクラブ(9/1) ・ねりまの会(10/12) ・フィールドワーク(足尾報告) ・三多摩レイバー映画祭 ・夏期合宿(8/24) ・レイバーネット動画 ●「太田昌国のコラム」第97回(2024/12/10) ●〔週刊 本の発見〕第370回(2024/12/12) ●「根津公子の都教委傍聴記」(2024/12/19) ●川柳「笑い茸」NO.158(2024/10/26) ●フランス発・グローバルニュース第15回(2024/12/24) ●「飛幡祐規 パリの窓から」第96回(2024/12/5) ●「美術館めぐり」第6回(2024/12/23) ★カンパのお願い ■メディア系サイト 原子力資料情報室・たんぽぽ舎・岩上チャンネル(IWJ)・福島事故緊急会議・OurPlanet-TV・経産省前テントひろば・フクロウFoEチャンネル・田中龍作ジャーナル・UPLAN動画・NO HATE TV・なにぬねノンちゃんねる・市民メディア放送局・ニュース打破配信プロジェクト・デモクラシータイムス・The Interschool Journal・湯本雅典HP・アリの一言・デモリサTV・ボトムアップCH・共同テーブル・反貧困ネットワーク・JAL青空チャンネル・川島進ch・独立言論フォーラム・ポリタスTV・choose life project・一月万冊・ArcTimes・ちきゅう座・総がかり行動・市民連合・NPA-TV・こばと通信
|
あなたにとって女/性労働とは何か[世界女/性労働者大会企画連載] N個の性、N個の労働、N個の労働者、N個の労働現場(1)教師スム、そしてスムの母と叔母の話
スム 2018.09.28 15:11
[企画者の言葉] 10月27日に清渓広場プレミアビルの前で世界女/性労働者大会が開かれます。 世界女/性労働自大会は、労働の性別化と性的階層の中で非価値化されて行く労働を表わし、 直接私たちの労働を語り、宣言する場です。 この企画では、第1回世界女/性労働者大会準備委員会は、 今までなかった女/性労働の現場と多様な女/性労働者たちの話を伝えようと思います。 ( 世界女/性労働者大会FaceBookページ/リンク ) [出処:ピクサベイ] 小さかった時、父が退勤すると母を恨むことが多かった。 「家で食事も作らず何をやってたんだ」と怒り、料理を妨害する時もあった。 私は一緒に料理しながらも、父の質問が間違っていると問い詰めることができなかった。 今考えてみれば、父が職場で働いている間、母は家の外に出て行くこともできずに無償で働いていると話さなければならなかった。 母は一人で家の整理、清掃、洗濯、買い物、料理、育児、ケア労働をして、夕食を準備する時間もなかったんだと叫ばなければならなかった。 恥ずかしいが母の職業を「家事労働者」ではなく無職と書いたことも多かった。 私は学校で「労働」についてきちんと学ぶことができなかった。 女性たちが不安定な条件で妊娠、出産、授乳、育児、教育、家事労働などをしなければならない理由について、 長時間家族扶養をしながら事故がおきれば補償を受けるのが難しく、 ストライキもできない構造的な矛盾に対して知らなかった。 そして私は子宮を持っているというだけの理由で「母性」を持つと学んだ。 子供を出産して、ある社会の構成員になるように養育する労働が女性固有の本性であり、 愛であると学んだ。 なぜ日常それ自体が労働であることを知らずに暮らすしかなかったのか? 何によって、誰によって、労働が隠され、排除されたのか、私は問題を提起したかった。 [出処:ピクサベイ] 教師にとって性的労働と生産とは?学校は中立的に思われるが、実は普遍的なスローガンの下で多くのことが隠蔽されている。 学校は教育機会の側面で性別化しないという主張が出てきているが、 まだ性別固定観念を強化し、誤った性認識を植え付けたり性に対する情報を十分に提供することができずにいる。 教育基本法第4条1項にもすべての国民は性別を理由として教育において差別されないと明示されているのに、 学生、保護者、教師は誰でも状況によって、学校の中の支配的秩序によって、差別と卑下、嫌悪の対象になりうる。 男性中心、異性愛中心の「性イデオロギー」の注入と統制は、 教育課程、教育内容、学校規定、行政、文化、施設、環境など広範囲に行われているからだ。 現在、インターネット、メディア、SNSで人種、性別、身体的な条件を理由として差別といじめ、嫌悪を遊びのように繰り返される状況が、 教室と職員室の中でもそのまま引き継がれている。 教師も性認知感受性がなければ女性と性少数者を卑下したり偏見を助長して、社会的烙印を押す発言と行動をする。 しかも学校の内外で男性中心、異性愛、非障害者中心の慣行に問題を提起しても、 学校の管理者は教育と常識、そして業務効率性を理由にして全く共感しない。 学校も成果中心で評価されるので、業務分業化を理由にして形式的にコミュニケーションするだけで、 管理者-部長教師-業務担当教師-担任教師の順につながる軍隊式の上意下達を公式的なものと認める。 このように、段階的な報告体系を経れば性に関する問題は隠蔽されるのが常だ。 学校は既存の慣行を維持すべき理由を強調するだけだ。 性的指向や性別アイデンティティによって体験する差別と抑圧に対して何の措置もしない。 なおさら女性と性少数者は学校の中でますます孤立させられ、自ら声を上げることさえ放棄するほかはなかった。 特に、教師も性的生産関係において常に自由ではない。 新規の頃からいつか結婚制度に編入される未完成の存在で、 出産可能の道具と見なされることが多いが、 これに不愉快を感じても表現するのは容易ではない。 特に年齢が若いほど毎年業務分担から会食、ワークショップ、学校行事まで、 家事労働と母性労働、性愛的労働に動員されることを当然と思ったりもする。 このような性別労働とエロス的労働が学校の日常に何重にも存在しており、 学生、保護者、教師すべてに深く内面化されている。 だが驚くべきことに、ほとんどの学校の構成員は学校という空間が極めて性平等な空間だと信じている。 これは、厳格に日常に存在する性差別と性的抑圧を隠しつつ、 誰かは形式的な民主主義と平等を実践していると自負しているのだ。 [出処:ピクサベイ] 疾病がある人にとっての性的労働と生産とは?母は若い時からからだの具合が悪いおばあさんの代わりに、 真冬にも親戚のおばあさんの服から始まり六人兄弟姉妹のものも直接手で洗濯しなければならなかった。 それで学校から帰ると夕食の準備をして幼い兄弟の世話をして勉強する時間がなかったという。 そして高校を卒業した後に職場生活をしながら、家事労働を休まずにしてきたという。 だが叔母は小さかった時に病気で言葉と行動が若干遅くなったため、おばあさんはまったく家事労働をさせなかったという。 また母方のおじと共に学校を通わせるため、入学もわざと遅らせたという。 母方の祖父は、母が婚期をのがすかと思って緊急に結婚を促したが、 叔母は健康問題を理由に結婚にひどく反対した。 それで叔母は母方の祖父にかくれて家を出て結婚を敢行した。 母と叔母は経済状況が良くなかった時、夫の代りに職業生活をして家庭を維持するために努力したが、 結局抑圧的な状況に耐えられず結婚生活を整理した。 彼らは財産分割も堂々と要求できず、丸腰で家を出て、母方の祖父を訪ねて行くほかはなかった。 日帝強制占領期間に生まれ、歴史教師として働いていた母方の祖父は年金を受けていたし、幸い二人の姉妹を支援することができた。 しかし母方の祖父は二人の姉妹の存在を非常に負担に思った。 彼は貧しい家に生まれ、親戚の養子になって、勉強はできたが戦争で避難生活をしながら、予測不可能な人生を体験しなければならなかった。 家族を扶養しなければならないという責任感ほどに心配も多く、 時々連絡をしなければ非常に怒った。 家族が自分をいない人のように無視したと非難するのが常であった。 叔母はからだが少し不自由だったが介護人として痴呆や挙動が不便な老人の世話をする仕事をした。 しかし長い間予測不可能な持病を抱えて肉体的な労働をしたため、結局心臓に無理がきて倒れた。 彼女は仕事をやめたが睡眠障害と喘息で何年も苦労した。 また母は家から出てコンビニの夜間パート、スーパーのレジで働いたが、いくらもたたずに肺ガンと診断された。 手術後に放射線治療と坑癌治療を受けるときも、大変そうな表情もせず、 経済的な負担を与えるまいとできるだけ遠く離れて過ごすことを望んだ。 保険が適用されなかったためだった。 母は療養院を何度も変えた、 無理でもからだが許すまで働きたいといった。 それで彼女は勇気を出して、神父にガンがあるということをあらかじめ話し、 避静の家で料理補助職員として誠実に働いた。 だが神父が変わり、再契約ができずに疾病を理由として解雇を通知された。 彼女は奉仕の気持ちで一年以上誠実に働いたが、有給や退職金もきちんと支払われなかった。 そして他の避静の家を調べてみたが、疾病を理由として奉仕者として働くほかはなかった。 昨年春、母はガンが再発したことを知り、奉仕活動を止めた。 そして手術を受けて薬物治療を始め、叔母と一緒に南に移住した。 真夏にまた母は運転免許を取って、叔母は菜園農作業を始めながら自分だけのための生活を送ろうとした。 その後は二人姉妹が名節ごとに母方の祖父を訪ねることも、家族のために無報酬で家事労働をすることもなくなった。 疾病を抱えて生きる女性は、性的労働から排除されたり烙印が押される過程を体験し、 家族関係でも社会的関係でも孤立させられると同時に、 安全でない人生に耐えられるほかはない。 どうして彼女らが遂行する性的労働は低評価されたり禁じられているのだろうか? 今は誰が労働から消されるのか、誰が生計のために烙印された労働に耐えられなければならないのかを問う時だ。 そうすればこの構造に重々積み上げられた性的抑圧と搾取の条件があらわれるだろう。 また断絶と破壊を繰り返す既存の生産と労働を変えられると考える。 私はあなたに対し、女/性労働とは何だろうかと尋ねたい。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2018-10-11 09:00:32 / Last modified on 2018-10-14 12:40:16 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ |