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わけも分からず子供を送った老いた父母の問い[連続企画](4)何でもない死、情報提供される死、ユン・ウンジン、パク・チニョク
ヒジョン(執筆労働者) 2011.11.22 11:55
ユンウンジン80年生まれ、サムスン半導体器興工場、洗浄業務、2003年8月白血病死亡、当時23歳。 パノルリムに情報提供が入ってくる。受話器の向こうから老いた声が聞こえて くる。声の主人公は言う。私の娘が死んだ。私の息子が死んだ。老いた父母の 子供はサムスン半導体に通っていたという。白血病で死んだという。ガンで死 んだという。パノルリムは尋ねる。 「何年度の入社でしょうか? 退社は?」 子供を失った父母は何も知らない。家に帰った子供が時々『仕事がつらい』、 『働く所の臭いがひどすぎる』と話した記憶がある。これも聞いたことが ない父母も多い。 親が心配するかと思って子供たちは自分の仕事を話さない。サムスン家族とし 会社が与えたエバーランド利用権だけを差し出す。年末に支給される成果給の 話だけする。そして病気にかかる。亡くなる。 一歩遅れて父母は噂を聞く。子供が通っていた会社で多くが死んでいったとい う。娘と同じ会社、息子と同じ病気で亡くなった方のうわさだ。子供が死んで 何年も後だ。その時始めて両親はパノルリムに連絡をする。そして尋ねる。 「私の子供も会社で病気にかかったのでしょうか? 会社のために死んだので しょうか?」 [出処:パノルリム(http://cafe.daum.net/samsunglabor)] 会社に入るまでは元気だったのに...老いた父母が知っている事実は単純だ。健康で優しい娘だった。誠実で優しい 息子だった。子供は会社に入るまで健康だった。十九歳で寄宿舎付きの会社に 行った。会社と寄宿舎だけ行き来した。 「うちの子は優しかったです。仕事の後、夜汽車に乗ってお母さんに会いにき ました。私たちが暮らしているのは田舎なので、夜明けに駅をおりるとバスが ないから数時間外で待って一番列車に乗って家にきます。家でご飯を食べて、 一晩眠り、それからまた仕事に戻ります。」 (故ユン・ウンジンのお母さん) 「10時間仕事をするのか12時間を仕事をするのか、家では寝ること以外ないと いいます。どうせ休めず個人の時間がないのは全く同じだから、もっと仕事を すると言いました。そのように働いても週末には早期サッカーに行った子です。 動くのが好きで、闊達で、健康だけは自信がある子でした」。(故パク・チニョクの お父さん) そんな子供たちがからだがめちゃくちゃになって、家に帰ってきた。病気にか かった。それも希少病だった。サムスン半導体器興工場に通っていたユン・ウ ンジン氏は入社1年3か月で退社して霊徳の家に帰ってきた。 「手にすっかりぶつぶつが出ました。会社をやめて家にきたのに手がその格好 だ。なぜかわからなかった。会社に通わず2か月ほど過ぎて、それはなくなりま した。そして子どもがご飯もよく食べられず、ふらついたのです。それでも腹 はどんどん出てきます。太ったかと思ったが、後で病院に行くと、それは腹水 が溜まってたのです」。 病院は都市に集まっている。大きな病院でも行くには車で何時間も行かなけれ ばならなかった。病気はただ耐えるしかない暮らしだった。サムスンは全国各 地で十九歳の人々を職員にすると言って連れて行った。彼らは働き、病気になっ た。病気の人は故郷に送りかえした。 「子供が気絶したので、大きな病院に行くと白血病だと... そこ行っても苦労 しました。その病気は触るものはすべて清潔でなければいけないというのです が、すぐ家を見つけられるわけでもなく、私たちが病院の近くに引っ越せるわ けでもない。子にマスクをさせ、帽子をかぶせて、服をグルグル巻きにして、 バスに乗せて行って帰って...」 免疫力とたたかう白血病患者には危険なことだった。しかしどうする方法もな かった。家族は最善を尽くしていた。すでに借金はばく大な額になった。一日 の病院費だけで100万ウォンかかるという白血病だった。 健康は誰にでも平等なのではない。金がなく、学歴もない彼らは相対的に病気 にかかりやすい環境で働く可能性が高かった。彼らの住居地は医療施設の近く ではなかった。彼らは医療システムをゆったり利用する経済力がなかった。彼 らは病気にかかりやすく、病気を診断して治療は難しく、病気にかかって、さ らに貧しくなった。残った家族に借金を残し、彼らは亡くなった。 腕と脚が折れれば労災だと子供は死んで、老いた父母が残った。老いた父母はなぜ子供がこんなに早く行っ たのか知らない。時に会社が疑わしくてもどうする方法もない。サムスン協力 業者に通っていたパク・チニョク氏は、白血病と診断されて3か月間、闘病生活 をした。短い闘病期間中、会社の人が病室に来た。彼らは病気見舞いに来たの ではなかった。会社はパク・チニョク氏から辞表を受け取った。パク・チニョク 氏のお父さんは、死んでいく息子に辞表を突きつけた会社を思うと今もはらわたが 煮え立つ。しかし、何もできない。 「きつい薬品を使うでしょう。使わないはずがありません。ところが一人しか いない子供を送り、老いた父母がどうして戦うことができますか。歯がみんな 抜けてしまいました、あいつが病院にいるのを見て、それでも気に障って。子 供をなくした父母に何の生きがいがありますか。妻にこう言います。『私たち は、みんななくなるまで生きよう』と」。 老いた父母は戦えない。子供を失った衝撃で何もできない。思い出せば涙の嵐 だ。大きな会社を相手に戦う意欲も出ない。父母らは自分たちに力がないこと をよく知っている。 会社を疑わなければならないという事実も知らない両親も多い。腕、脚が切ら れなければ労働災害ではないと思っていた彼らだ。労働災害、職業病という言 葉になじみがうすい両親だ。無力で学歴もない私でも、父母は半導体と子供の 病気を連結させることができない。 何事もなく歳月は流れた。ところが度々噂が飛んだ。半導体工場が危険だと言う。 死んだ人もいると言う。 「『サムスン協力業者で白血病で人が死んだ』と話した人を、サムスンは嘘つ きだと言って名誉毀損で告訴した事件がありました。その協力業者は私の息子 が通っていた会社です。白血病で死んだ人はいない? では私の息子は? そう 言いました」。 パク・チニョク氏のお父さんはパノルリムに連絡した。ユンウンジン氏のお母 さんも水原の長女から連絡を受ける。長女はウンジンが一緒に働いて病気にか かった人が多いという言葉を伝えた。 [出処:パノルリム(http://cafe.daum.net/samsunglabor)] 何も知らない子供たちを連れいてって...今は病室にいるサムスン半導体温陽工場のオペレーター、イ・ユンジョン氏は、 6年間の会社生活を思い出して話した。 「サムスンは田舎の子供たちをとても好んだようです。地方の子供たちは家も 遠く、知らないことも多いから。十九歳の時、他の職場に通ったことがないか ら、ここがつらいのか、どんな所なのかも知らずに。何も知らない子供たちを 連れて行って...」 生産業者もサービス職も多くない地域で、就職は大事な単語だった。首都圏に ある大企業、生産職もただの生産職でないという半導体会社は、高学卒業を前 にした彼らにとって夢の職場だった。若いので言われるままに働いた。何が不当 なのかも知らず、不当と思っても話すことができなかった。 生理がなくなり、下血をしても、先輩は当然だといった。半導体会社で働けば 当然体験する通過儀礼だといった。そのうち仕事が出来ないほどからだに異常 がきた。病気にかかり、亡くなった。彼らは死ぬ瞬間まで、自分がなぜこうした 病気にかかったのか知らなかった。彼らの父母も同じだった。 半導体労働者の死は、ただの個人の疾病だった。誰も彼らの死を疑わなかった。 彼らの死は何でもなかった。ただ人が生きて、死ぬことだった。2007年に パノルリムが半導体職業病問題を知らせるまではそうだった。 パノルリムができて、半導体労働者の死が一つ二つと水面上に上がってきた。 彼らは決して一人や二人ではなかった。現在、パノルリムに入ってくる情報提供 は、150人にのぼる。状況を知らないまま子供を先に送らなければならなかった 老いた父母は、噂を聞いてパノルリムに連絡をしてくる。そして尋ねる。 「うちの子供も会社で病気にかかったのでしょうか?」
翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2011-11-22 23:21:02 / Last modified on 2011-11-22 23:21:17 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ |