韓国:「社会的交渉」イムソンギュ前進議長主張に対する反論 | |||||||
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「社会的交渉」イムソンギュ前進議長主張に対する反論振り返ってみる労働階級の危機と社会的交渉
民主労総のカンスンギュ首席副委員長の見解に対するイムソンギュ同志の反論を読み、 批判の焦点と客観的根拠が外れるており、「批判のための批判でしかない」 という格言を思い出した。紙面の関係上、簡単に叙述する。 まず、現在の労働階級の危機に対してイム同志は、 資本の攻勢に直面した労働者の生の危機と理解しているようだ。 イム同志こそ、表現上のミスをしたのではないかと聞きたい。 労働者としての生の危機と階級的危機は、概念上全く別個のものだからだ。 労働者の生が資本の攻撃によって崖に追い出されるにしても、 労働者がその矛盾を自覚して階級的に団結し、「止揚」する展望があれば、 それは労働階級としての危機ではないだろう。 カン首席が言及したように、 新自由主義的矛盾と収奪の具体的様態である 社会の二極化、非正規職、失業者問題に対し、 現在われわれの韓国社会は労働者全体の階級的自覚と克服の展望が不透明で、 それは直ちに労働階級の危機にいたると見られるのではないだろうか? 産別交渉の費用を削減するために社会的交渉を活用するというカン首席の主張を、 産別運動への日常活動と考えようとしている。 一見、もっともな話だ。 しかし、どんなに産別交渉のための組織的準備と大衆的日常活動を配置しても、 さて産別交渉の展望と議論の構造が不十分な時の道の遠さ、 産別交渉推進過程の困難は、産別交渉を直接行ったことがないとよくわからない。 実際、私たちの周辺で産別交渉を成功させたケースを見ると、 闘争戦術の調整ばかりでなく譲歩交渉も真剣に検討せざるをえないのが現実だ。 では、産別交渉による努力と費用が単に産別労組運動の訓練という機会費用を越え、 別の費用が少なからず存在するという現実の反証ではないだろうか? 「社会的対話と社会的交渉がなく、ゼネストの組織化ができず、 組合員が動かないと考えるのは飛躍であり歪曲」だという主張は、そのものが歪曲だ。 カン首席は組合員闘争結集の十分条件としての社会的交渉を主張したわけではないからだ。 現在、われわれ民主労総の闘争動力に関して、 民主労総の要求に対する組合員の主体的な意識化と社会的共感の構築のために 社会的交渉空間の活用が必要だと主張し、 闘争の勝利にあたっては民主労総の主な要求の社会的公論化もまた切実だという主張をしたのである。 また、闘争の勝利は社会的交渉を越えて 「世の中を変える大きな闘争」が必要だと宣言したではないか? 「さまざまな形態のひとつであり、戦術としての方針でしかない社会的交渉を 内紛まで味わいながら絶対に貫徹するという意思は到底理解できない」という主張については、一度逆に聞きたい。 総連盟次元の単純な交渉戦術に対して、なぜそれほど頑強に反対するのか? 交渉と闘争の並行戦術による大衆的労働運動路線の回復、 そして労働運動の社会的支持を核心公約に掲げた現執行部の事業推進に対して 「社会的合意主義」または「労使政談合」と烙印を押し、 克服しようとする過去の運動方式に回帰しろと暴力まで動員するのはどう理解すべきなのか。 本当に、運動の大原則である民主集中制が有効なら、 総連盟執行部の核心的公約に対して同意するか、 さもなくば代議員の自主的判断を保障しなければならないのではないか? また、社会的交渉を除く従来の闘争と交渉方式では2005年事業推進が難しいため、 事業計画上、交渉構造のほかに新しい社会的交渉の枠組みに取り組んだのではなかったか? イム同志の言葉のように 「選挙の時のように現場を飛び回り、自信あふれる意志で脅迫ではない本当のゼネストを成功させるために闘争をオルグすれば」 民主労総の組織力が息をふきかえし、交渉の幅が広くなるということには同意する。 だが、この主張は事実、われわれ民主労総が直面している現実をあまりに看過する主張ではないかと思う。 われわれ民主労総の歴代執行部がこのような大義命題を知らなかったわけがない? 問題は、前にそうした実践と努力が不在だからではなく、 古い運動方式と展望にとどまっていたため、 その実践と努力に対する成果が不十分だったのではないか? パクヨンソク公共連盟副委員長 2005-03-10 午前9:28:37入力 (C)毎日労働ニュース 翻訳/文責:安田(ゆ) Created byStaff. Created on 2005-03-11 10:35:31 / Last modified on 2005-09-05 05:15:55 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ |