韓国:竜山惨事遺族が語る映画〈二つの扉〉 | |||||||
Menu
おしらせ
・レイバー映画祭(報告) ・レイバーネットTV(11/13) ・あるくラジオ(10/10) ・川柳班(11/22) ・ブッククラブ(10/12) ・シネクラブ(9/1) ・ねりまの会(10/12) ・フィールドワーク(足尾報告) ・三多摩レイバー映画祭 ・夏期合宿(8/24) ・レイバーネット動画 ●「太田昌国のコラム」第96回(2024/11/15) ●〔週刊 本の発見〕第367回(2024/11/7) ●「根津公子の都教委傍聴記」(2024/11/14) ●川柳「笑い茸」NO.157(2024/9/26) ●フランス発・グローバルニュース第14回(2024/10/20) ●「飛幡祐規 パリの窓から」第95回(2024/9/10) ●「美術館めぐり」第4回(2024/10/28) ★カンパのお願い ■メディア系サイト 原子力資料情報室・たんぽぽ舎・岩上チャンネル(IWJ)・福島事故緊急会議・OurPlanet-TV・経産省前テントひろば・フクロウFoEチャンネル・田中龍作ジャーナル・UPLAN動画・NO HATE TV・なにぬねノンちゃんねる・市民メディア放送局・ニュース打破配信プロジェクト・デモクラシータイムス・The Interschool Journal・湯本雅典HP・アリの一言・デモリサTV・ボトムアップCH・共同テーブル・反貧困ネットワーク・JAL青空チャンネル・川島進ch・独立言論フォーラム・ポリタスTV・choose life project・一月万冊・ArcTimes・ちきゅう座・総がかり行動・市民連合・NPA-TV・こばと通信
|
竜山惨事遺族が語る映画〈二つの扉〉[寄稿]金碩基と李明博がぜひ見るべき映画
チョン・ヨンシン(竜山惨事真相究明委) 2012.06.18 18:20
「〈二つの扉〉では、櫓の中の撤去民の心情の代わりに、当時投入された警察 の特殊部隊の恐怖を盛り込んだ。資料がなかったが、むしろそのほうが良かっ たようだ。撤去民がこの作品の中でほとんど不在だというアイロニーが悲しい。 自分たちのドキュメンタリーにさえ一言も言えなかった彼ら..」 (ツイッター @minskim様) 竜山惨事を扱った大部分のドキュメンタリーが撤去民が主人公だとか、355日間 続いた遺族の葬儀闘争を主なテーマとしていたとすれば、〈二つの扉〉は他の 観点で竜山惨事に接近する。撤去民の声は何もなく、遺族の声もない。また、 再開発の問題や、闘争も語らない。 李明博就任1年。ニュータウンを夢見た李明博の任期に再開発の現場で五人の 撤去民と警察特殊部隊1人が死亡する事件が起きてしまった。それも座り込み 25時間後に警察特殊部隊を投入するという性急な鎮圧で、ソウル都心真中で 六人の国民が命を失った。 事件直後に検警100人余りの特別調査団まで組まれたが、すべての責任を撤去民 だけに問い、その日の指揮者や警官には何の責任も問わなかった。劇的に生還 した、惨事生存者の撤去民は、一日で殺人者になってしまった。 裁判に出てきた特殊部隊は、まるで教育を受けて出てきたように全員同じ言葉 を繰り返した。その一方で、なぜ火が出たのか? 撤去民が火事をおこしたのか と問う検事の質問には答えられなかった。ただ、そう言えと言われたらしいと 推察させるだけだ。その後、櫓の中で火炎瓶を見なかったという証言が出て、 櫓の中は生き地獄だと表現する特殊部隊員がいた。敵愾心により(撤去民に不利 に)証言したという告白まで出てきた。そのように微妙な震えとためらい、その 日の恐怖を引き出す苦痛の表情だけは隠せなかった。 〈二つの扉〉は、裁判に出てきた警察特殊部隊の証言と、彼らの自筆の陳述調書、 警察の採証映像を基礎に、その日の事件を再構成したドキュメンタリーだ。 初めは撤去民や遺族、再発現場での暴力問題が出てこず、ただ警察特殊部隊を 代弁するかのように思えた。遺族であり、当事者である私はさびしくないかと いう質問も多かった。率直に初めにはさびしく、恐ろくもあった。警官にだけ 視線が行っているのではないか、その中で恐怖に震えていた撤去民を忘れてい るのではないか... 警官がその当時の撤去民を敵がい心と表現したように、私 たちにもまだ警察は敵がい心を持つしかない人だと思いたくなかった。 その日を思い出す苦痛に耐えて何度もまた見て、また見た。それと共に映画の 中に出てくる人々が、別の当事者に見え始めた。 座り込んでいるナミルダン・ビルの屋上に上がるには、二つの扉がある。片方 は櫓に通じる扉で、違う方(もう一方)は櫓の反対の建物に通じる扉だ。しかし そこに入った特殊部隊の誰も、どの扉が櫓に入る扉なのかわ知らず、二つの扉 の前で混乱したという。扉をあければどこに通じるのか、どんな状況になって いるのか、何も知らずに命令だけを受けて死の扉に入る人々が、新たにこの 映画を通じて見え始めた。 彼らはその扉に入って何を考えたのだろうか? いや考える暇があったのだろう か? 彼らが感じた恐怖と撤去民の恐怖は同じかもしれないという思いが、映画 を見ている間ずっと胸を打った。なぜ彼らがその空間で互いに敵がい心を抱か なければならず、何のために互いに刃を持たなければならなかったのか... 撤去民と鎮圧警察、あるいは彼らはお互いに同じだったということを初めて 感じた。 少なくとも、入る人と、中にいる人の安全を考えていれば、最低の情報は知ら せて死地に追い込まなければならなかったのに、そうではなかったのだ。座込 者たちを人と見ず、鎮圧する特殊部隊員の安全さえ考えなかったのだ。 そうして罪のない六人が殺されたのに、警察の指揮部は責任を問われなかった。 起訴もされなかった。当時警察庁長官だった金碩基(キム・ソッキ)は、一度も 法廷に立たなかった。むしろ総選挙に立候補し、嗚咽する遺族の前で『国家と 国民を守った』と鎮圧作戦を自慢した。裁判所はすべての責任を撤去民だけに 押し付けて重刑を宣告した。そしてその裁判長、ヤン・スンテは大法院長になっ た。3年経っても性急な開発で惨事を呼んだ竜山4区域は空地のまま残され 駐車場に使われていて、生存者だけが監獄にいる。 〈二つの扉〉封切りを控えて、いらだつ気持ちで一日一日を送る。25時間、櫓 を見守るしかなかった私... 涙も出なかったその瞬間、見たくないその瞬間... 今は堂々と対抗したい。そしてこの映画を通じて訊ねたい。果たしてあなた方 が話した国民の安全とは何か? 市民の安全のために鎮圧するしかなかったという弁解を聞いたが、それなら、 その中にいた警察と撤去民は、この国の国民ではなかったのか、なぜそんなに 性急に無理な過剰鎮圧をしなければならなかったのかを訊ねたい。いや答を 聞きたい。 その日の責任者の金碩基と李明博は、この問いに対し、必ず法廷に出てきて答 えなければならない。また本人が指示したその日の鎮圧がいかに無謀だったか、 金碩基と李明博は必ずこの映画を見て感じてほしい。望むのなら直接前売りを しよう。金碩基、李明博、あなた方に〈二つの扉〉を推薦する。
翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2012-06-19 01:11:53 / Last modified on 2012-06-19 01:11:56 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ |