韓国:進歩にとってツイッターとは何か | |||||||
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肩に力抜いて大衆と語り合おう[想像割ること]インターネットの長い間の約束:進歩にツイッターは何か
キム・ナッコ(メディア研究者)/ 2010年04月14日20時45分
韓国のIT関連報道で、たびたび愛用される単純なスペック中心の叙述で説明す れば、ツイッターは実に取るに足りない。掲示板サービスだが一度に140字しか 書けず、すぐリップルを作ることもできず、画像も何も外部のサービスを利用 しなければならない。だがまさに現実は大ヒットし、人々が集まり、ますます コミュニケーションの窓口としての重要性が強調されている。なぜツイッター なのか。そして特に進歩陣営がツイッターに注目をせざるを得ないのはどうい う理由なのか。 事実、ここには2つの質問が混ざっている。一つはなぜ短文ソーシャルネットワー キングサービス(SNS)が浮上したのか、そしてもう一つはなぜ他のサービスにで きなかった方式でツイッターだけが浮上したのかだ。 まず最初の質問から。もちろん、ある程度社会的にブームになった後では単に 多くの人が使っているということだけでも、さらに多くの人々が使うようにな る。だがその前は、どんな魅力が人々を引き込んだのだろうか。他の使用者と 制限された社会連結網を作ってコミュニケーションをするのだが、その手段は、 短い文章を使い、誰でも見るようにばら撒く。長い文章が駆使できる方式より 開かれたコミュニケーションには不利なように感じられるが、実は正反対だ。 全てが均等に連結していることで、情報が早く回る狭い連結網があり、外部の 情報が流入する経路が一定部分一緒になっている方式が、情報流通においては はるかに効率的だ。特に、連結網の構成を比較的簡単に変えられるのであれば、 望む情報の性格によりいつでも柔軟に最適化できる。それを非常に明快なサー ビス技術で実現したのがまさにツイッターのフォロー方式だ。自分が誰の掲示 物(『タイムライン』)を読むのかを決め、自分のことを誰が購読しているのか が常にわかるようにすることで、連結網を自分がきちんと把握し、また柔軟に 調節できるという感じを使用者に与える。 短い文章も重要だ。本来140字という制限は、米国の携帯電話で短文メッセージ を送る時、160字が限界だということに着眼し、追加情報を除き140字とする技 術的な問題だった。だが140字は故人のコミュニケーションのルールとして、非 常に強力な効果を発揮するようになった。つまり書く負担感と高い平等感だ。 140字を書くのは原稿用紙140枚を書くより負担感が少なく、圧縮し、さらに率 直に結論が語れるという感じを与える。そのためもっとしばしば、もっとすぐ 思いつくまま書けるのだ。そしてもっと金のある企業であっても、あるいはもっ と文章がうまい人であっても、さらに紙面が受けられるのではなく、誰もがそ こにあるツイットに140字だけ書けるので、平等な状態でコミュニケーションを 始められるという感じを与えやすい。もちろん140字という制限は、それでもと てもはがゆく感じられ、もっと長い文が書ける外部のサービスもあるが、その 場合もツイッターの基本エンジンでは相変らず140字で表示され、外部リンクが 挿入される。ただブログに投稿してリンクを張るのと差がない。 二つ目の質問、なぜ他の短文SNSサービスより唯一ツイッターが注目されるのか。 ネイバーに買収される前のミートゥデイも浮上できず(買収後スターマーケティ ングでしばらく光った)、ツイッターの成功以後、さまざまな類似サービスが国 内外で乱立したが、徳に話題を集められなかった。ツイッターが外国企業だか ら、政権の検閲から自由? そんな面に注目してツイットをする人も、もちろん いるだろうが、大多数が政治的に敏感な発言を楽しむのではない。ただ世界的 に大勢だから韓国もついて行くのだろうか? 頭を上げて国内でのネイバーと Googleのシェアを見よう。それより筆者が個人的に選ぶもっともらしい理由は、 ツイッターが他のどんなサービスより最も緩く見えるからだ。それ自体が提供 するのは単なる掲示板とネットワーキング機能で、他は自分が分かる程度の外 部のtoolを動員できるので、自分が望む使用方式にする時の自由度が他のどん なサービスより高い。剥製にされた公園と開かれた広場の違いだ。他のサービ スのように、わずかな機能に直接欲を出さず、ただ連結網を便利に使えるよう にすることに最適化してきたのがツイッターだ。その結果、一つのサービスと 考えるより一種の縮小されたインターネットインフラとして機能するようになっ たわけだ。 そのようにしてツイッターが自由に作り出すコミュニケーションのネットワー クで生まれる長所は、革新的な普遍性、迅速で巨大な集結機能、新しい活用の 可能性の持続的な発見などがある。誰でも負担なく飛び込め、事案により早く て自由に広く集まることができ、新しい発想もあちこちから出てくる。ここに 既存のネットワークの強者も、同じ場所から出発するさらに平等な疎通の場だ という感じを与えるという点まで結合すれば、ツイッターはまさに『双方向の オンラインメディア』の古い楽観的な約束である分散したネットワーク、開か れたコミュニケーションと対話といった理想郷を実現しそうな希望を与える。 進歩陣営がツイッターに対し、しばしばかける高い期待はまさにこうした部分 を反映している。 だが逆に考えると、進歩陣営があれほど期待したのに彼らが十分創造的に活用 できない状態で遅遅として進まなかった以前のさまざまなネットワーク(多くの パソコン通信の掲示板、ウェブ・フォーラム、ブログなど)とツイッターも同じ 道を歩むかもしれない。メディアそのものに何か進歩的な属性があると簡単に 楽観してしまえば、明らかにそうなれる。例えば現在、ツイッターで政治支持 指向の質問でも回せば、進歩的指向を持つ人のほうが多いと思われることが多 いが、それはツイッターが本来進歩のゆりかごだからではない。どんなメディ アでも、初期技術にまっさきに飛び込むのは開かれた思考を持ち、新技術を受 け入れる受容度が高い人たちだ。そんな人々に政治社会的に関心があれば、や はり保守バカではない可能性が少し高い。だがこれは技術が社会的にさらに普 遍化すれば結局消えるメリットで、意地悪にも何かのメディアが社会的に重要 な地位を占めるためには、新技術ではなく、しっかり普遍化しなければならな い。その上、普遍化の過程で自然にその体制で既得権を確保した『強者』が生 まれるようになるものであり、商業的な勢力も彼らの力量を動員し、そのメディ アでの影響力を相当部分掌握する。すでにさまざまなメディアで十分に体験し たことだ。90年代中盤のハイテルがそうだったし、ブログは加入ではなく設置 するものだった草創期のブロゴスピアがそうだったようにである。 つまりメディアそのものに進歩を求めるべきではない。それよりも進歩の談論 を社会的に普遍的日常に吸収させるために飛び込めるようにする重要なコミュ ニケーションの経路が一つ増え、そこに全てが参加するという処理方式ぐらい が適当だ。例えばツイッターのように、人々がメッセージ中心の連結網を自分 で管理する面白味にはまった「ネットワーク化された個人主義」(バリー・ウェ ルマンの用語)の空間でなら、進歩も組織体としてシュプレヒコールをあげるよ り、共に140字単位で切って、雑談するように、質問するように、対話するよう に、日常に掘り下げる言葉を交わすことが効果的だろう。良い資料をリンクで 紹介し、個人と個人で関心を互いに分かちあい、また反対給付で行き過ぎたお せっかいをしないことも重要だ。旧式の組織化の道具と考えて接近する時、ツ イッターのすべての特性は限界として感じられ、反対に肩に力を抜いて不特定 多数の個人との間でコミュニケーションする快感そのものをあますところなく 抱き込み、進歩談論の自然な流通そのものにアクセントをおけば、ツイッター の(ほぼ)全てが長所として感じられるだろう。(想像を分けあう) 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2010-04-19 02:13:31 / Last modified on 2010-04-19 02:13:32 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ |