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光化門座り込み、1000日の時間と11枚の遺影

5月17日で、障害等級制・扶養義務制廃止座り込み1000日

カン・ヘミン記者 2015.05.18 13:44

「権力の無責任と誤った方向」を暴露する全面戦争だけが残った

その日、光化門駅は警官でいっぱいだった。 警官はエレベーターとエスカレーター全てを遮断し、盾で階段と傾斜路を封鎖した。 少し動きにくかった。 人々はトイレにも行けずに11時間、そこに閉じ込められていた。 その中で車椅子に乗った人々は悲鳴をあげ、警察の制圧をふり払って出ていこうとした。 彼らは夜になって光化門駅の片隅を占有することができた。 2012年8月21日、障害等級制・扶養義務制廃止のための無期限座り込みの始まりだった。 のりまき一本で一日を粘った人々は、その日、汗で濡れたからだのまま、銀箔スチロール一枚で地面で眠った。 翌日、そこには市民の署名を集めるテーブルが設置され、 数日後にはテントが張られた。 時間が経ち、なかなか座込場らしい姿を備えていった。

そのようにして、その年の10月、座込場に遺影一枚が掲げられた。 何日か前まで一緒に座込場を守っていた友、キム・ジュヨンだった。 重症障害女性だった彼女は、活動補助人がいない夜明けに発生した火災から逃げられずにその場で亡くなった。 共に大声を上げて戦った友が、今は静かに向うのテーブルから彼らをながめていた。 それから少し後、坡州で暮らしていた障害者姉弟が彼女の隣に並んだ。 その子たちも両親が働きにでかけた間に起きた火から逃げられなかった。 14歳と11歳の姉弟だった。 1000日が近づく今、座込場には11枚の遺影が置かれている。 そのうち半分は座込場を守っている彼らと共に、障害等級制・扶養義務制廃止のために戦い抜いた人々だ。

▲光化門駅にある障害等級制扶養義務制廃止座込場。17日で座り込み1000日を迎える。座込場に置かれた11枚の遺影。

1000日の時間、繰り返される死、「戦わなければならない」

11人の死は、例えば「証言」のようなものだ。 この国家が貧しくて、障害がある人々をどれほど厳しく殺すのかについての。

キム・ジュヨン氏は2012年、当時最重症障害者が受けられる最高の活動補助時間を受けていた。 しかしその時間は一日の半分にしかならなかった。 残りの半分は一人でいなければならなかった。 そのため火災が発生したその日の夜、扉までたった三歩の距離を動くことができなかった。 坡州の姉弟のうち弟のジフンは脳病変障害1級・聴覚障害2級の最重症障害者で、 活動補助サービスを受けていたが等級再審査にかかる費用、 活動補助利用時発生する本人負担金、成人よりとても短い利用時間などを理由に活動補助サービスを申請することができなかった。 だから貧困で共稼ぎをしている両親の代わりに、14歳の姉が11歳の弟を世話しなければならなかった。

基礎生活受給脱落の危機に処して、自ら命を絶った人もいた。 てんかん障害があったパク・チニョン氏は、障害等級義務再判定の結果、4級から「等級外」に転落した。 現行の基礎生活保障制度では障害1〜4級は働く能力がないとみなされるが、 5〜6級や「等級外」は勤労能力があると判断され、別途の評価を受けなければならない。 てんかん障害で学校にもきちんと通えず、成人になっても適切な仕事場を見つけられなかった彼にとって、 生活保護は生活の最後の砦であった。 受給脱落の危機は彼に極限の恐れとして感じられた。 だが社会は生活の崖っぷちに立つ彼を結局、絶壁に押しやった。

光化門駅の障害等級制・扶養義務制廃止座込場にはそんな死が積もっている。 火事が起きても逃げられず、病気になっても病院に行けなかった人々。 障害者居住施設で誰かに殴られて死んだ人々。

1000日の時間は人がこのように暮らして、死ぬこともあるということを社会に知らせる日々だった。 座込場を守る人々は、新聞の片隅で静かに埋もれ、忘れられたかもしれない彼らの死を具体的に取り出して、顔を知らせ、名前を呼んだ。 彼らは一日も欠かさず叫んだ。 キム・ジュヨンが死んだ、27年間施設で暮らし地域社会に出てきて6か月後にソン・グキョンが火に焼かれて死んだ、施設でまた一人の障害者が死んだ… この死の真相を明らかにしろ!

▲故キム・ジュヨン活動家の遺影写真が入った大型横断幕。全国障害者差別撤廃連帯は2013年11月1日、国連ESCAP政府間高位長官級会議が開かれる松都コンベンシア1階を占拠し、キム・ジュヨン活動家の死に対する福祉部長官の謝罪を要求した。

ある空間に長く留まっている間、その声は拡張された。 障害があるという理由で社会から排除された重症障害者が通りに出て、姿を見せること自体が非常に珍しい風景だったため、 ソウル真中の光化門駅に場所を占めたのはかなり象徴的だった。 そこで、彼らは過去に大漢門前にあった双竜車解雇労働者、才能教育解雇労働者などの労働者たちとも自然に会うようになり、 社会の「正常性」から逸脱している理由で見えないところに閉じ込められていた性少数者らともさらに深く手を握るようになった。

しかし時間が経つと、珍しかったものも日常的な風景になりもした。 あまり馴染んでしまって、署名する人が何人もいない日もあった。 そして「適当に終わらせて出て行け、やり過ぎではないか」という一部の人々の不機嫌な視線があちこちから心に刺さる日もあった。 この残酷な現実を広く知らせたと思っていたが、光化門駅座込場はやはり島のように孤独だった。 大きな声で長く叫んだと思っていたが、障害者当事者の中にも相変らず 「私は障害等級制廃止に反対する」と話す人がいた。 「今の障害等級制があるから、少しでも恩恵がある。これがなくなれば、すべての福祉の恩恵が消えるのではないか」という憂慮のためだ。 戦う理由についての説明は、やはりよく知られていない。 そして死は繰り返された。 そしてまさにそれがさらに厳しく戦う理由になった。

世界の終わり、最も弱い人々が世界を拡張する

彼らは受ける側(障害者)の必要は全く考慮せずに与える側(国家)の便宜に合わせて組まれている障害等級制は、直ちに廃止すべきだと話す。 現在の障害者福祉は医学的基準により分けられた6つの等級により提供されている。 等級が同じでも、障害類型、障害程度、所得水準などは違うが、これは考慮されない。 身体障害1級と聴覚障害1級、知的障害1級が必要とする福祉は明らかに違うが、彼らは同じ1級だという理由で同じ福祉を提起される。 これが障害等級制による今の障害者福祉の問題点だ。 だから、組みなおさなければならない。 受ける側の基準に合わせて。 障害者当事者の欲求と必要を反映した福祉体系に。 国家は障害者の人生を見て、それぞれの暮らしに必要なサービスを提供しなければならない。

福祉が恥辱の代価になってはいけない。 しかし現在の福祉は人からはぎ取り、彼が本当に何も持っていないことを確認した後に何とか与えられる。 代表的なのが国民基礎生活保障法の扶養義務者基準だ。 この法によれば「1等身の直系血族およびその配偶者」が扶養義務者だ。 つまり両親と子供、夫婦間には互いの扶養義務がある。 生活保護は扶養義務者がいないか、扶養義務者がいても扶養能力がなかったり、 扶養されない人の所得認定額が最低生計費以下の人だけに与えられる。

扶養義務者基準は毒素条項だ。 たとえば障害者の場合、施設から出て受給者になろうとしても、親が生きていれば親の所得で自分の受給の可否が決まる。 書類上では親が存在しても、実際には家族関係が断絶していたとすれば、各種の書類で家族関係断絶を自分が証明しなければならない。 そして福祉の受給者らは扶養義務者が自分を扶養できないことを、 扶養義務者に指定された人は自分が誰かを扶養できないことを絶えず釈明しなければならない。 その恥辱に耐えられず、多くの人が自ら命を絶った。

この戦いは世界で一番無力で貧しい人々の戦いだ。 彼らは弱い風にも勢い揺れる世界の末にいる人々だ。 果ては境界のきわだ。 境界が崩れた時、世界は拡張する。 木の先端から新しい芽が出るように、新芽から葉が出て花が咲くように、 新世界への拡張は果てから一番軟らかく躍動的に起きる。 世界が拡張された時、われわれはさらに多くの人と共にできるだろう。 その時、障害と貧困を理由に、何かの条件を理由に、この国から追放された人々と共に生きていく。 光化門駅座込場はまさにその現場だ。だから彼らは力が強い。

2015年5月17日は座り込み1000日になる日だ。 座り込みを率いる障害等級制・扶養義務制廃止共同行動は、座り込み1000日をむかえ、再び戦いを準備している。 座り込み3周年になる8月21日までの95日間、毎日毎日からだに鎖をまいて人々の通勤の便を止める。 彼らが止めるのは、「道路交通ではなく、障害者と貧しい人を排除する資本の速度、権力の速度だ」 (パク・キョンソク障害等級制・扶養義務制廃止共同行動共同代表)

あるいは95日間、全国のあちこちで「交通大戦争」が起きるかもしれない。 そして突然これに出会った人々は、10年前に障害者が地下鉄の線路を占拠して、バスを占拠した時のように、 指を差して非難を浴びせるかも知れない。 「バカどもは家にでもいればいいのに、なぜ這い出してくるのか」といいながらだ。 しかしまさにそうした戦いにより、地下鉄の駅にエレベーターが設置され、 低床バスが導入されたのではないか。

▲昨年4月、全国障害者差別撤廃連帯が故ソン・グキョン氏の死に関連し、文亨杓福祉部長官に面談要請をしたが受け入れられず、抗議の意味で面談要請書を焼いた。

すべての「手続き」に従ったのに、権力の一番上に声が届かない時、 貧しく無力な彼らが取ることができる方法は全面戦争だけだ。 彼らはこのような戦闘で「権力の無責任と誤った方向」を暴露するだろう。 我を忘れて動くこの社会が見のがしているのは何か、 効率化という名で切り捨てられたものはどのようなことか。 われわれは95日間、通勤の時間に、勝ち組の社会から、この社会の外に押し出された人たちの顔と向き合うだろう。 あなたは貧しく無力で障害があるという理由だけで、人間の条件が剥奪された人の顔を凝視することになる。

そして彼はあなたに尋ねるだろう。 貧困の最前線に立つ人に、なぜ社会は他の生活の選択肢を与えないのか。 労働ができない人間は尊厳ではないのか。 そんな理由で自由を剥奪されてもいいのか。 そうでなければ、この人生は誰が保証するのか。 家族? 隣人? 国家? あなたは、この社会は、この問いに答えなければならない。

付記
カン・ヘミン記者はビーマイナー記者です。この記事はビーマイナーにも掲載されます。チャムセサンは筆者が直接書いた文に限り同時掲載を許容します。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2015-05-20 03:13:50 / Last modified on 2015-05-20 03:13:51 Copyright: Default

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