「自衛隊合憲」論を主張する長谷部恭男氏に対し、「自衛隊違憲」論こそ憲法学会の多数意見だと先に書きましたが(10月26日のブログ)、それは学会の多数意見であるだけでなく、裁判の判決でも明確にされていたことを想起する必要があります。
その判決とは、長沼ナイキ訴訟の札幌地裁判決(福島重雄裁判長、1973年9月7日)です。
1968年、佐藤栄作内閣が北海道夕張郡長沼町の国有保安林に、航空自衛隊の地対空ミサイル・ナイキ基地建設を決定。これに対し住民が飲料水汚濁や洪水の危険などを理由に設置に反対。国は基地は「公益」だと主張。自衛隊の基地は果たして「公益」なのかが争われました。
福島裁判長は綿密な調査、学者、自衛隊幹部らの証言を踏まえ、原告・住民勝訴の判決を下しました。判決文から争点となった個所を抜粋します(太字は私)。
「以上認定した自衛隊の編成、規模、装備、能力からすると、自衛隊は明らかに「外敵に対する実力的な戦闘行動を目的とする人的、物的手段としての組織体」と認められるので、軍隊であり、それゆえに陸、海、空各自衛隊は、憲法第九条第二項によってその保持を禁ぜられている「陸海空軍」という「戦力」に該当するものといわなければならない。そしてこのような各自衛隊の組織、編成、装備、行動などを規定している防衛庁設置法、自衛隊法その他これに関連する法規は、いずれも同様に、憲法の右条項に違反し、憲法九八条によりその効力を有しえないものである」
被告・国は判決を不服として控訴し、高裁で判決は覆され、結局、最高裁で原告の敗訴が確定しました(1982年9月9日)。
しかし、ここで重要なのは、高裁、最高裁は自衛隊の憲法判断を行わなかったということです。
「最高裁では、自衛隊の合憲判決は一度も出ていないという状況が生まれ、自衛隊の憲法適合性の判断については「司法的未決着状態」にあるとされる」(水島朝穂氏『長沼事件・平賀書簡 35年目の証言』日本評論社2009年)
司法が明確に自衛隊の憲法判断を行ったのは、福島重雄裁判長の札幌地裁判決が唯一のものであり、それは「自衛隊は憲法違反」と断定した判決です。
2014年の閣議決定(安倍晋三政権)と15年の戦争法(安保法制)によって集団的自衛権行使容認に踏み切ったことは確かに大きな画期ですが、自衛隊の違憲性はそれ以前から、福島判決によれば自衛隊の発足当時(1954年)から明確でした。安保法制を廃止すれば自衛隊が容認されるものでないことは明白です。
福島裁判長は自衛隊違憲判決を下したことについて、のちにこう述懐しています。
「「何で違憲判決したのですか」と取材されたって、僕は仕事をやっただけと答えるだけです。何も変わったことはやっていない。むしろ、憲法判断を避けた人に「どうしてそうしたのか」と聞いてほしい」
「今後、あのような判決がポツポツと形を変えて出てきて、日本のこういうところはおかしいよ、ということを国民も政治も気づくよう。それを期待したいですね」(前掲『長沼事件・平賀書簡 35年目の証言』)
福島氏がこう「期待」を表明して16年。日米軍事同盟の下で自衛隊はいっそう増強され、自民党は自衛隊を憲法に明記する改憲策動を強め、「自衛隊は違憲の軍隊」と主張して解散を要求する政党がなくなっているいま、福島判決の意味を再確認ことは死活的に重要です。
同時に、「当時はほとんどが自衛隊違憲解釈をとっていた」(水島朝穂氏、前掲書)という「憲法学者」の存在意義がいまほど問われている時はありません。
※長沼判決の重要性に気付かせてもらったのは、「マスコミ・文化九条の会 所沢」が毎月発行している会報「九条守って世界に平和」の最新号(第201号)に掲載された串崎浩氏(前掲書を出版した日本評論社取締役)の寄稿です。良質の会報を長年発行し続けている同会に敬意を表します。