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大日本帝国の亡霊ー山県有朋とは何か?

牧子嘉丸 

 先日の安倍国葬で菅の弔辞が話題になっている。岸田のあまりに空疎で大仰な内容にくらべて、菅のそれは心をうつものだったと感動の声をあげるひとがいる。なかでも菅が言及した山県有朋がにわかに注目を集めて、安倍が読んでいた本に問い合わせが殺到しているという。菅はここで山県の歌を引用して二度読んでいる。

 かたりあひて尽くしし人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ

 私にはつまらない腰折れ歌にしか思えないが、暗殺された伊藤博文への弔歌が安倍への思いに重なるのだろう。

 言うまでもなく、伊藤は朝鮮総督府として韓国併合の象徴的人物であり、朝鮮独立の烈士安重根(アン・ジュングン)によってハルピン駅頭で銃撃されたのである。かつて韓国ソウルで記念館を訪れたとき、私を日本人と認めて、安先生は決して伊藤個人へのうらみで襲ったのではないと説明してくれた。

 かたや山県は明治の藩閥政治の黒幕として権力をほしいままに操ってきた人物である。天皇制国家護持のために、なにより自由と民権をもとめる民衆を弾圧し、「赤旗事件」と「大逆事件」を策謀した張本人でもある。

 松本清張は『小説東京帝国大学』で「赤旗事件」を山県がスパイを潜入させて暴動を煽った挑発事件と推理している。これを口実にして当時の西園寺内閣に干渉し退陣させることを画策したのだ。そして、強権による圧制と弾圧で行き場を失った革命家がほんのマッチ箱程度の爆薬を作ったとして一斉検挙、24名中幸徳秋水ら12名が死刑に処されたのが「大逆事件」であった。たとえれば、小動物を檻に閉じ込めて、さんざん棒でつつきまわしておいて、堪らず牙をむいた瞬間をとらえて打ち殺したのである。

 この伊藤と山県の語りつくせぬ会話とは何であったろう。日本の人民をいかに対外侵略に駆り立てていくか、そのためには国内の反対勢力を根絶やしにすることではなかったか。そこにまた戦争法・秘密保護法等を強行突破した安倍と菅の姿も重なって見えてくる。

 天地をくつがへさんとはかる人 世に出(いず)るまで我ながらへぬ

 これが山県の反動的本質を最もよくあらわす歌であり、また予防反革命宣言である。

 山県が1913年(大正11年)死去したとき、音羽の護国寺で国葬が営まれた。若き日のジャーナリスト石橋湛山が「死もまた社会奉仕なり」と痛烈に批判したことはよく知られている。また軍人として半生を山県に仕えた森鴎外はその葬儀の様子を「がらんどうの寂しさ」と伝えている。

 民衆を愛さなかった山県を民衆も愛さなかったのだ。東京新聞の特報欄でさすがに佐高信さんは「強権政治の親玉のような山県を持ち出すとは、おめでたい弔辞だ。自民で首相も務めた石橋が批判した逸話も知らなかったのか」と皮肉っている。

 この菅が首相になったとき、最初にやったのが学術委員の任命拒否だった。それは軍事研究に邪魔になる人物の排除であったことがあきらかになっている。

 大日本帝国の亡霊山県有朋を語る菅の弔辞にこころ動かされるのは、歴史の無知からきているのである。


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