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〔週刊 本の発見〕『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション』
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毎木曜掲載・第215回(2021/7/29)

日常の無意識の差別

デラルド・ウィン・スー『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション』(明石書店、2020)評者:菊池恵介

近年、「在特会」の街宣活動をきっかけに、ヘイトスピーチが問題視されるようになった。在日外国人に対する憎悪表現が法規制の対象となったのは、人種差別をなくしていく上で、大きな一歩である。だがその一方で見過ごされがちなのが、マイノリティを取り巻く「日常のレイシズム(Everyday Racism)」である。人種差別やレイシズムなどの言葉では表現しにくい、日常生活におけるミクロな攻撃をどう捉えるべきか。その手がかりとして本書が提起するのが、「マイクロアグレッション」の概念である。

マイクロアグレッションという言葉は、もともとアメリカの黒人が日常生活で受ける侮辱的言動を表現する言葉として、ハーバード大学の精神科医チェスター・ピアースによって1970年代に編み出された。その後、女性やLGBTを含む、マイノリティへの日常の差別を分析する概念として、コロンビア大学の心理学者デラルド・ウィン・スーによって定式化され、英語圏で広く用いられるようになった。

スーの定義によれば、「マイクロアグレッションとは、ありふれた日常の中にある、ちょっとした言葉や行動や状況であり、意図の有無にかかわらず、特定の人や集団を標的とし、人種、ジェンダー、性的指向、宗教を軽視したり侮辱したりするような、敵意ある否定的な表現のことである」(34頁)。それはマイノリティを貶める「ちょっとした」言動であり、それゆえ差別や攻撃として認識されにくい。だが、学校や職場、公共施設、お店、地域など、日常生活のあらゆる場面にあふれていることで、当事者を疲弊させ、ヘイトスピーチに勝るとも劣らないダメージをもたらすというのである。

本書によれば、マイクロアグレッションは三つのタイプに分類できる。一つ目の「マイクロアサルト(Micro-assaults)」は、特定の集団に狙いを定め、傷つけることを目的とする微細な攻撃である。たとえば、黒人を「ニガー」、女性を「ビッチ」などの蔑称で呼んだり、性的マイノリティとの接触をあからさまに避けたりする行動などが、これに該当する。これらの言動は、相手を意識的に貶める点で、古典的な差別に似ている。しかし、現代では、これらの差別的言動をあまり露骨に表明すると、世間での評判を落としかねない。そこで通常マイクロアサルトは、1)インターネットなど、匿名性が確保される空間や、2)白人同士や男性同士など、同じ偏見を共有する仲間たちの間、あるいは、3)アルコールが入り、自制心が失われた瞬間など、特定のコンテクストでしか発動されない。

二つ目の「マイクロインサルト(Micro-insults)」は、マイノリティに対する無意識の差別を含む言動である。たとえば、2008年のアメリカ大統領選で、バラク・オバマについて意見を求められたジョー・バイデンは、「雄弁で、賢くて、清潔で、そしてハンサムなメインストリームのアフリカ系アメリカ人が初めて現れたと思っているよ。彼はまるで絵に描いたような男さ」と記者団に語り、黒人コミュニティを憤慨させた。民主党予備選のライバルへの賛辞がなぜ黒人たちの反発を招いたのか。これを理解するには、メッセージが含む意味の多様性を読み解く必要があるとスーは主張する。「バイデン氏の発言は、表面上称賛のように見えても、メタコミュニケーションのレベルでは、黒人の人々に〈オバマは例外さ。ほとんどの黒人は知的ではないし、雄弁ではないし、汚らしいし、魅力的ではない〉と伝わったのだ」(43頁)。このように表面上のメッセージの背後に無意識の差別が隠されている点に、マイクロインサルトの特徴がある。同様の例として、「君は女なのに、意外に数学ができるね」などといった発言が挙げられるだろう。この発言をした学生は、主観的にはクラスメートを褒めているつもりなのかもしれないが、知的能力を性別に結びつけ、「数学において女性は男性に劣る」というステレオタイプを反復することで、事実上、異性を貶めてもいるのである。

三つ目の「マイクロインバリデーション(Micro-invalidations)」は、マイノリティの経験や訴えを否認、もしくは無化(invalidate)する言動である。たとえば、アジア系アメリカ人は英語を褒められたり、出身地を聞かれたりすることが多い。仮に「ニューヨーク出身だ」と答えても、聞き手は納得せず、家族の出身地などを聞き返してくる。アメリカで生まれ育ち、言語や文化を身につけても、アメリカ市民としてのアイデンティティを否認され、「永遠のよそ者」として疎外されるのである。黒人に向かって「私は肌の色なんて気にしてない」、「人類、みな同じじゃないか」などといった発言も、立派なマイクロインバリデーションに属する。現実の差別構造を直視せず、当事者の経験を過小評価したり、無視したりする言語行為となっているからだ。

これらの三つの形態のうち、被害者が最も対処しやすいのが、明白な悪意を伴うマイクロアサルトである。これに対して、マイクロインサルトやマイクロインバリデーションは無自覚に行われているため、対応が難しく、大きな心理的葛藤をもたらす。「自分の受け止め方が正しいのか、あるいは、気にしすぎなのだろうか?」、「相手に悪意があったのか、それとも無自覚なのか?」、「黙ってやり過ごすべきか、それとも反論すべきか?」、「攻撃だと直感したところで、いかにして証明するのか?」。攻撃を受けるたびに、これらの問いがぐるぐると逡巡し、被害者を消耗させていく。

マイクロアグレッションへの反撃は大きなリスクを伴う。一つ一つの攻撃はちっぽけなため、抗議したり、怒りを表明したりすれば、「過敏すぎる」、「ヒステリックだ」などと逆に非難され、周縁化されかねないからだ。本書によれば、マジョリティとマイノリティの間には現実認識の隔たりがあり、リアリティの衝突が生じた際には常にマジョリティの認識が優先される。他の集団の人々のリアリティを否定し、自分たちのリアリティを押し付ける力を持っていることこそ、マジョリティの特権だからである。したがって、マイクロアグレッションの被害者は、ほとんどの場合、「時間と体力の無駄だ」と何もしないことを選択する。だが、こうして沈黙することもストレスの要因となりうる。取るに足りない出来事とはいえ、その被害が日常的に繰り返されることで、怒りやフラストレーションが鬱積し、情緒的に不安定になったり、自尊心が低下するなど、大きな精神的・肉体的ダメージを与えられるからである。


かつて作家の徐京植さんに紹介された文章に、みずからの体験を綴った或る在日コリアン二世の手記がある。学生時代、通名を使用していた彼女が、親しくなった友人に思い切って出自を告白すると、決まって次のような返事が返ってきたという。「えっ? そうなの。全然わからなかった。日本人と同じじゃない。別に気にせんでいいよ」。そこで話は打ち切られ、まるで何事もなかったかのように別な話題に流れていく。そんな友人たちの反応に彼女はホッとすると同時に、どこか期待していた反応ではなかったと、打ち沈んでいく思いがあったというのである。他人事とはいえない、これらの応答のどこに問題があったのか。「日本人と同じ、気にせんでいいよ」という友人の言葉がなぜトゲのように突き刺さり、彼女に疎外感を植え付けてきたのか。マイノリティに向けられる無意識の差別を解明する本書は、これらの問いを理解する手がかりを与えてくれる。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志水博子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、ほかです。


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