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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕『現代日本イデオロギー評註ー「ぜんぶコロナのせい」ではないの日記』
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毎木曜掲載・第208回(2021/6/10)

歴史のなかに未来を見つけていく

『現代日本イデオロギー評註 「ぜんぶコロナのせい」ではないの日記』(太田昌国著、藤田印刷エクセレントブックス、3000円+税)評者:根岸恵子

 ここ数日の猛暑。夏が来たのだ。庭の青々と育った野菜に水を撒きながら、月日の流れはなんて早いのだろうねと思った。だから私も日記をつけることにした。この本はその猛暑の中に届き、日記の最初に「書評を書いた」ことを書こう。

 本の冒頭「はじめに」で、この本の副題が何故「『ぜんぶコロナのせい』ではないの日記」なのかというのが説明されている。映画『ぜんぶ、フィデルのせい』(2006年 ジュリー・ガブラス監督)と深沢七郎の『言わなければよかったのに日記』(1958年 中央公論社)を掛け合わせたものだという。フィデルとはキューバのフィデル・カストロのこと。映画はブルジョワ一家が「キョーサン主義」に傾倒していく中で翻弄される娘の話。コメディ映画だが、フランスのインテリ左派と上流階級の偏狭さを揶揄した小気味が良い映画だったような。

 「現代日本イデオロギー評註」というとても硬いタイトルになぜ「『ぜんぶコロナのせい』ではないの日記」という副題なのか。著者の太田昌国さんは「『ぜんぶ、コロナのせいではない』とするのが私の立ち位置だから、日々の記録と言っても、コロナのことばかりを書くわけではない」「私たちが生きているこの〈時代の相貌〉が全体的に浮かび上がる構造を盛らせたいものだ、と思った」そうだ。だから本書はコロナ禍で書かれた日記と、その時に行なった講演や書かれた論評、またその時思い返した過去の原稿や講演をあわせ1冊とした。じわりじわりと拡大するコロナ禍、しかし世界の情勢はコロナ以前から堪らないほどの問題や課題を抱えていたのではないだろうか。

 日記は2019年の大みそかに始まる。コロナ前夜だ。「中国・武漢市当局が『原因不明のウィルス性肺炎が相次いでいる』と発表」と記してある。やがて世界はパニックに陥るだろう。世界中の人々が右往左往する中で、太田さんは冷静である。

 私といえば、そのころ、XR運動(絶滅に反逆せよ!)に参加し破滅ゆく地球を憂いていた。それとともに覇権主義による「世界の崩壊」は、環境破壊とそれに起因する気候変動による「地球の崩壊」と等しく論ずる必要があると考えていた。コロナ騒動で中国に対する憎悪は世界に拡大し、ますます私を憂鬱にしている。この憂鬱に対して太田さんは、なにを言うのだろう。

 冷戦終結後、私はプラハのヴァーツラフ広場に行き、「プラハの春」(1968年)で、ソ連の軍事介入に抗議して焼身自殺をしたヤン・パラフのことを思った。チリのクーデーターは「プラハの春」から5年後。アメリカもソ連も本質的にはまったく変わらない。立ち上がる民衆は叩かれ、弱者はひき殺される。あの天安門事件のように。

 太田さんは雑誌『世界』(岩波書店)に書いた文章で
「歴史の中で起きる良いことは多くの場合きわめて短い期間しか続かない」「にもかかわらず、よい経験は、それ以降長い時間をかけて起こるかもしれない次の新しい出来事に決定的な影響を及ぼさずにはおかない。受け継がれてゆくこの〈精神のリレー〉に対する信頼感によって、私たちは否定的な現実を前にしても、辛うじて持ち堪えていけるのだと言える」
と述べている。私たちには受け継いでいくべき歴史がある。過去を悲しむばかりでなく、先人たちが成しえようとしたことに目を向けるべきなのだろう。

 太田さんは1973年から76年まで南米を旅している。もともとレボルト社で『世界革命運動情報』の編集、刊行に関わり、帰国後ボリビアのウカマウ映画集団の作品の自主上映活動などとともに、現代企画室において書籍の企画編集をされている。本に同封された中南米の地図には、現代企画室が出版した本が挙げられているが、その多さに圧倒される。

 太田さん自身は常に先住民や権力に抗う者たちの側に立ち、反グローバルリズムで新自由主義に真っ向から反対の態度を貫いている。また北朝鮮問題では「『拉致』異論」を出版するなど、幅広い問題に対して講演や著述家として活躍されている。

 特に日本の戦争加害や歴史認識については、政権を含めて辛辣である。歴史を正視することから逃げている政治家や日本人そのものに。 私たちは過去を簡単に忘れる。この本の冒頭にカルロス・ゴーンの国外逃亡の話が出てくるが、この本を読まなければすっかり忘れていた。情報過多で新しいものが押し寄せる今、昨日のことさえ、無関心になり、もはや10年は一昔ではなく、遠い過去になりつつある。しかし、時間は連綿とする事象とともに糸のように過去と未来を紡いでいく。だから歴史をたどることで見えてくる現在から過去を知ることは大切だ。

 ドイツのメルケル首相が初めてアウシュビッツを訪ねた時、「虐殺を行なったのはドイツ人だった。この責任に終わりがない」と述べたとある。太田さんはそれと対比して、「孫子の時代まで謝罪させない」と平然と述べる日本の首相に絶望感を抱いている。「〈歴史から学ぶ〉ことなく、暗愚の〈歴史を繰り返す〉この社会」、カミュが書いたように「『人間の中には軽蔑すべきことも多々あるが、同時に賛美すべきものも多い』と確信できるためには、歴史の事実を忘れずに伝え続ける人間が、より多く生まれなければならない」。その通りだと思う。

 さて、私たちは再び「非寛容」な時代を生きようとしている。ひたひたと近づく進軍ラッパの勇ましい音を遠くに聞きながら、依然として私たちは民衆を鼓舞する「狼煙」をあげられずにいる。そのもどかしさの中で、喘ぎながらも真実を見通す目を凝らしながら、歴史のなかに未来を見つけていかなければいけないのだろう。この本はそう訴えているような気がしてならない。

 貧困や広がる格差に苦しみもがく多くの人々を顧みず、コロナの「感染爆発」の危険を冒しながら鳴り響くであろう空虚なオリンピックのファンファーレに、私たちは愚かさと虚しさを感じるのだろうね。いったいコロナの後にどんな世界が待っているのだろう。

 太田さんは「私たち一人ひとりが『個』として自立した動きを追求すること、その先にお互いが『類』として繋がり合う可能性を求めること、それが、か細くはあれ、私たちが歩むべき道だと思います」と述べている。そう、それが私たちが歩むべき道なのだ。
 最後に、この本には「夏」の章がないのは何故でしょうね。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志水博子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子、ほかです。


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