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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕『「駅の子」の闘いー戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史』
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毎木曜掲載・第168回(2020/8/20)

〈日本人は、案外そういう冷たさを持っているんじゃないか〉

『「駅の子」の闘いー戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史』(中村光博、幻冬舎新書、2020年1月刊、880円)評者:志真秀弘

 今年の夏は、敗戦75周年の夏だった。

 が、新型コロナウィルスのために多くの関連行事、集会は中止になり、やむをえず規模を縮小して開催された。それはそれで仕方のないことだ。しかし第二次世界大戦を引き起こしたのが他ならぬ日本を含むドイツ、イタリアの同盟国であり、日本皇軍は朝鮮半島から中国大陸、台湾、フィリピン諸島から東南アジア、さらにオセアニア諸島の各地まで侵略していった事実まで、隅に追いやられていいとは思わない。

 「戦争などなかったことにしたい」現政権の作り出した社会風潮がその根っこにある。それと同根だろうが、沖縄戦、東京大空襲などによるいわゆる民間被害について、補償は今に至るもなされていない。この本のとらえた戦争孤児の問題も当事者が声を上げなければ、そのこと自体が忘れ去られる寸前にあった。

 このルポルタージュは、空襲や外地からの引き上げで孤児になった人たちの壮絶な人生を、当事者たちの証言によって描いている。

 政府はかつて1946年8月23日の帝国議会で、戦争孤児の数を「3000人」と答えたが、根拠はなく、その後48年2月に「12万3511人」と発表した。が、それは沖縄県を調査対象外としたもので、結局正確な把握はなされずじまいになっている。

 1946年春GHQは1週間以内に「浮浪児をなくせ」との指示を出す。それを受けて、同じ年の4月「浮浪児その他児童保護等の応急措置実施に関スル件」、9月には「主要地方浮浪児等保護要綱」が制定される。そこから「狩り込み」と呼ばれる強制収容が始まる。孤児は鉄格子のはまった収容所に次々と入れられる。


*写真=NHK番組より

 「狩り込み」にあった伊藤幸男さん(83歳)は収容所の所長や職員たちの「お前たちは悪いことをして」と決めつける高圧的な態度を今も覚えている。軍国主義時代の教育が大人たちに染み込んでいたからだと伊藤さんは語る。戦後復興の時代に入ると、孤児たちは「虫けら」のように扱われ除け者にされていく。

 山田清一郎さん(83歳)は、2年間の路上生活ののち施設に行き、小学校に入学したが、そこでも繰り返し「ばい菌」呼ばわりされるようないじめに遭い、それでも悔しさを糧にして中学、商業高校をへて、23歳で夜間大学に入り27歳で埼玉県の中学の教師となる。が、野良犬のように扱われた仕打ちへの怒りは今も消えない。「身に染みたよ」人の冷たさがね、と山田さんは語る。優しければ孤児たちに手を差し伸べているはずだ、と。「日本人というか、人間は、案外そういう冷たさを持っているんじゃないか」。

 戦後75年の今も消えない「日本人」そして「人間」への山田さんの糾弾の意味を、私たちはよくよく考えなくてはならないと思う。国内で被災にあった「民間人」に補償ひとつしなかった政府、日本軍が侵略した外地での被災に対しても同断の対応を続けた政権、それがこの75年間だった。あろうことか、今は戦争を起こしアジアに侵略したことを丸ごと肯定し「戦争のできる国」にしようとしている。生き延びた「孤児」の憤りが消えるはずはない。

 本書は、NHKスペシャル『「駅の子」の闘いー語り始めた戦後史』(2018年8月12日)、BS1スペシャル『戦争孤児―埋もれてきた「戦後史」を追う』(2018年12月9日)の中村光博ディレクターの手になるが、両番組の取材が基礎にあって、昔のことではないぞという問題意識が強く伝わる。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子、ほかです。


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