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「声をあげろ、というより感じろ」〜福島映像祭で出会った作品群

堀切さとみ

 2013年から開催されている「福島映像祭」。福島原発事故を伝える新作が今年も目白押しで、私は9月21日に「私が伝える福島」というイベントに参加した。コロナで上映会も取材も停滞し、福島とどう向き合えばいいのか、考えあぐねていた私にとって、忘れがたい日になった。二つの作品について感想を記したい。(会場は東京・中野のポレポレ座)。

『それでも種をまく2011』『それでも種をまく 2019』

 これは有機農業映画祭のメンバーがチームで作った作品。
 出荷制限が出される中「保障をもらっても、出荷できなくなることが心配」という人。「福島で作物を作っても、食べた人がどうなるか心配で」と、慣れない土地に移って農業を再開した人。はじめは国からのサポートもあったが、その後すっかり放り出されてしまった有機農家の人たちを再度記録しなければと、2019年版も作られた。
 制作者のひとり、笠原真弓さん(写真)の言葉が印象的だった。
「2011年、私は放射能が怖かった。とりわけ有機農業の消費者は放射能に敏感だ。それでも農家は種をまいていた。普通に考えれば奨励できることではない。でも、彼らは何を考えて、そこ(福島)にとどまったのか。非難も賞賛もせず、ありのままを伝えようと思った」
 実は私は以前レイバー映画祭でこの作品(2011年版)を観たのだが、その時はほとんど記憶に残らなかった。それは私が「福島の土は再生できない」と確信していたからだ。それがいかに乱暴だったかを、今あらためて思う。

『フィーネ 2-2-A-219』(中筋純・作)

 10分間のこの作品を観たら、よくある解体現場の風景がまったく違うものにみえてくるだろう。思い出が詰まった家はただの解体番号となり、ピアノも大黒柱も袋に詰められる。浜通りでは何百何千という家が、このような悲鳴をあげているのだ。想像力を掻き立てられる、圧巻の作品だった。 この作品はyouTubeにもアップされているが、登壇した中筋純さんと堀川さん夫婦から語られたエピソードで、いっそう胸が締め付けられた。
 浪江町の堀川文夫さんは、原発事故が起きた直後、ここにはもう住めないと悟る。少年時代から住んだ築50年の我が家に解体の時期が迫ったとき、その記録を中筋純さんに依頼する。

 解体作業を撮影していた中筋さんは、大黒柱が倒れるとき「オレの最後をみろよ」と言われてる気がしたという。堀川さん夫婦は、解体現場に一度も足を運ぶことができなかったが、妻の貴子さんは完成した作品をみたとき、「自分の気持ちが完全に乗り移った」と語る。ショパンのエチュード『別れ』も、最後に流れる詩も、堀川さんそのものだった。
 一番心に残ったのは「声をあげろ、というより感じろ」という中筋さんの言葉だ。堀川さんは決して声高にではないが、絵本を作って自分たちの思いを伝えてきた。それでも、受け止めてくれる人がいてはじめて意味をなすと思う。
 被災者の話をいくら聞いても、東北の現地をいくら歩いても、自分の身に置き換えるのは簡単なことではない。ましてや当事者同士でもわかりあうことは難しい。違いばかりに目が行き、自分を正当化してしまう。
 一人一人にかけがえのない現実の暮らしがあり、そこに思いを馳せることができたとき、それは自分のものになる。そこに喜びがあることを教えられた。


Created by staff01. Last modified on 2020-09-24 11:03:37 Copyright: Default

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