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毎木曜掲載・第79回(2018/10/18)

震災後日本を捉えようと旅をし、自分の生き方を問う

●『線量計と奥の細道』(ドリアン助川、幻戯書房、2018年7月刊、2200円)/評者:志真秀弘

 『奥の細道』冒頭の「月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人なり」を知らない人はいないだろう。作者ドリアンは、1689年芭蕉と曾良が歩いたこの「細道」を線量計を手に自転車で走る。かれの旅は、3.11の翌年2012年の8月に始まる。

 芭蕉と曾良が歩いた『奥の細道』の行程は、今の都県にすると、東京、埼玉、茨城、栃木、福島、宮城、岩手、山形、秋田、新潟、富山、石川、福井、滋賀、岐阜と一都一四県、約2000キロに及ぶ。いま、そこには地震・津波の被害に加え、放射性物質に汚染された広大な地域があり、日本海側には原子力発電所に直面している地域が広がっている。

 作者は出発の決意をこう記す。
 「頭に白いものが混じりだしていても、駆けていく道とやってくる日は常に新しい。ならばまだ間に合う。今の日本がどうなっているのか、この目と耳と足で確かめる旅をするのだ。」

 民衆芸術としての俳諧を極めようと旅だった芭蕉と、震災後の日本社会を自分の五感で確かめようとするドリアンのフロンティアスピリットとは、300年以上の時を隔てているが見事に照応しているではないか。芸術に限らず、現実を見つめ、かつ変えようと欲するならこの精神と行動力とがまず必要なのだ。

 作者は震災後の「奥の細道」で生きて行こうとしている人たちの声を聞き、生活を知ろうとひたすら自転車を漕ぐ。途中車や電車の助けを借りた場所はそのことを正直に記している。そして知れば知るほど文書を公表することをためらう。測った線量を公表することは汚染された地で、仕事をし、暮らしている人たちにプラスにならない。商売の邪魔にさえなってしまう。作者は迷い続ける。しかし汚染の被害を訴えられずに泣き寝入りしている人たちの声を紹介することは、政府も企業も嘘と強欲に固まって原発再稼働の道を突き進もうとしている現状では大切なことだとも思う。その迷いを作者は率直に綴っていく。*写真右=著者

 カメラを向けることにも躊躇するかれが、だがどうしてもと思って写した写真が一枚ある。石巻市の海岸近く、黄昏時の小学校の校舎。津波で校庭に押し込まれた車から火が出て、校舎の壁は一面中焼け焦げて黒ずんでいる。その校舎の前で小学生たちが野球をしている。撮影しながらファインダーが滲んでいく。ロバート・キャパの『ちょっとピンぼけ』にもファインダーが涙で濡れていく場面がある。だがキャパの場合はパリ解放を喜ぶ無数のパリっ子たちを撮影した時のこと。ドリアンはいうまでもなく悔し涙だ。被災地の子どもを放り出してどこに財源を回しているんだ。かれの怒りは収まらない。

 「奥の細道」に「笠島」の一節がある。秀でた歌詠みで知られた藤中将実方(とうのちゅうじょうさねかた)の墓が紹介されたくだりだが、ドリアンは墓へも行かず「田舎の人を差別したり、弱い者いじめをしたりする人は、いかにすぐれた歌人であろうとまったく興味がわかない」とにべもない。そのとおりではないか。

 こうしたかれの人間性と行動力そして文学の極北を目指す精神に、読む者は感動せずにはいられない。自分はどう生きるのかも問われている。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・佐藤灯・金塚荒夫ほかです。


Created by staff01. Last modified on 2018-10-19 09:45:45 Copyright: Default

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