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戦争も原発も根は同じ犯罪だ〜ダニー・ネフセタイさん、森松明希子さん林田英明埼玉県秩父に住むイスラエル人、ダニー・ネフセタイさん(61/写真)を招いた講演会が2月11日、大阪市生野区の大阪聖和教会であり、70人であふれ返った参加者が「平和」について共に考えた。東京電力福島第1原発事故で大阪市に母子避難している森松明希子さん(44)もゲスト出演。ダニーさんとの対談や会場からの活発な意見交換もあり、安倍晋三政権の下、原発事故がなかったことにされようとする動きを強く批判した。つるのはしマルシェ実行委員会主催。 ●「国のため、しょうがない」と思わされ 家具職人のダニーさんは、さまざまなジョークを交えて参加者を笑いの渦に巻き込みながら、しかし危うい世界情勢をスライドを交えて説明した。2016年11月の福岡講演を報告した拙文と重複する部分は極力省略しよう。未読の方は以下を参照していただきたい。 予定調和や過剰演出を図るテレビには出演を拒んできたダニーさんがNHKの情報番組「あさイチ」に素顔をさらしたのは昨年8月30日。「戦争の悲惨さを教えてほしい」との依頼に快諾した。「“戦争はイヤ”子どもと考える」のコーナーである。朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)がミサイル発射実験を行い、世情は危機意識に包まれる中、ダニーさんは体験を交えて“直球”を投げ込む。イスラエルでは自国防衛のためガザ地区に空爆を繰り返す戦争にも「国のためだから、しょうがない」と思わされてきた。むしろ誇りに思い、パレスチナ人の惨状は目に入らない。実戦に出ることのなかった徴兵3年間の幸運をかみしめつつダニーさんは「しかたがない、は殺しの言い訳にはならない」と訴える。昨年10月、4年ぶりにイスラエルを訪れたが、武力信奉と対話拒否は変わっていなかった。それは北朝鮮に対する日本政府の姿勢に通じる。ダニーさんにはイスラエルの姿が日本の近未来に見えてしまう。 ダニーさんの友人が昨年5月に伝えてくれた、就職活動中の女子高生たちには考えさせられるものがあった。シューティングゲームにいそしんでいる後ろ姿の写真だ。自衛隊朝霞駐屯地(埼玉県朝霞市など)を訪れた一行に、作戦内容や敵戦車撃滅指示が出され、彼女たちはゲームに没頭する。戦争を身近なものとして理解させる効果がありそうだ。自衛隊も大手企業も、就職先として同列なのかもしれないが、ドローンによって遠隔地からボタン一つで「敵」を殺傷できる現代の戦争である。こうしたゲームがゲームにとどまらない感覚マヒにつながらないかと心配してしまう。 トランプ米大統領が昨年12月、イスラエルの首都をエルサレムと宣言・承認した。パレスチナ自治政府は抗議し、イスラエル治安部隊とデモ隊の衝突は、すでに15人の死者と1500人を超える負傷者を出している。ダニーさんは「1人の政治家の無責任な発言によって15家族が一生、泣きます」と慨嘆した。上下両院議員の中間選挙を控えてトランプ氏がユダヤロビーの意向に沿う発言をしたのではないかと推察しつつ「残念ながらトランプ大統領にとって15人の死亡は関係ない」と声を落とした。 4次にわたる中東戦争で学生だったダニーさんは先生の教えることを懸命に覚えた。「相手側が悪い」は不変で「次の戦争を避けるためにどうすればいいか」は絶対に教えない。 戦争の悲惨さは周知のことだ。それでいて戦争は次々と起こる。なぜか。ダニーさんはナチスの政権獲得に貢献したドイツ軍人、ヘルマン・ゲーリングの国民操縦術を紹介する。あまりにも有名だが、今の時代にあっては深くかみしめるべき内容がスライドに映し出された。 「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。(中略)しかし最終的には、政策を決めるのは国の指導者であって、民主主義であれファシスト独裁であれ議会であれ共産主義独裁であれ、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。(中略)とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者が愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」 2012年に尖閣諸島を国有化した日本。中国、台湾との微妙なバランスが崩れ、火種となっている。中国や北朝鮮の「危険性」を過度にあおり、外交解決を敵視する声高な「非国民」攻撃が大手を振る社会の行く末をダニーさんは懸念する。イスラエルと、これからの日本がどうにも重なってしまうのだ。戦争に導こうとする指導者たちの顔をいくつもスライドに出していく。会場から重いため息が漏れる。 ●内部被曝を無視する再稼働の恐怖 「3・11」以後、ダニーさんは戦争と原発の共通点を感じ始めた。それは、カネ。「カネになるならやる。ならなければやらない。とても単純」と告げる。 昨年100歳で亡くなった肥田舜太郎さんと3時間話したこともあるという。肥田さんは、広島で被爆しながら、すぐに被爆者の救援・治療にあたった医師で、内部被曝の恐ろしさを終生、説き続けた。米国の統計学者が40年間の乳がん死亡者を分析した結果、原発を含む核施設から100マイル(約160キロ)内の乳がん患者が顕著に増えているというデータを肥田さんから紹介され、原発は事故を起こさずとも稼働するだけで人の命を縮めるものだとダニーさんは感じ取った。稼働すれば空と海に微量ながら放射性物質が出てしまう。それが内部被曝につながったとき、人の体に変調を来す可能性が高い。日本も乳がんが増えてはいるが、要因が放射性物質に限定できないことを奇貨として政府は原発再稼働に向かっていく。ダニーさんは「本来、私たちの人権を考えるなら、調べ尽くしもせず『大丈夫だろう』と再稼働するのは犯罪に近い」と語気を強めた。 そして、軍隊の本質を3点にまとめる。まず、差別。自分が正義であり、相手は悪と規定する。「そうでなければ戦えないね」とダニーさんは実感を込めて話す。次に、人間のランク付け。軍隊では命令に従うしかない。最後に、武力解決。何か問題が発生すれば外交ではなく武力。もしパイロットになっていたら、軍隊の中で自分はどうなったか。一面がれきと化したガザの空爆跡を映し出しながらダニーさんは「間違いなく私もこれに関わっていた。自分の性格が分かるから。あの中では、やります。いい人、悪い人、関係ない」と断じる。パイロットになった当時の仲間たちを思い出しながら、「ここには悪魔も悪人もいない」と繰り返したのは、閉じられた状況に置かれた人間というものの弱さと狭量を知るからであり、だからこそ最終段階でパイロットから特殊レーダー部隊へ配置換えされた自分こそに「すばらしい人も平気で人を殺すようになる。人殺しになりたくなければ戦争を避けることだ」と言い続ける使命があると思っている。 国というものは、長いスパンで「教育」を考えている。徴兵制を敷くつもりなら、小学1年生から「日本を守るためには軍隊が必要」と手を替え品を替え、ジワリと教えていく。イスラエルのように18歳から徴兵されるなら12年間かけて洗脳する。 ●一番嫌いな日本語「おまえ」の差別 ダニーさんは自治体から人権問題について講演を頼まれることが多い。その特徴は、しかし国・県・市の教育委員会の認められた人権問題に限られる。障害者、外国人、女性、老人、同和など真剣に取り組むべき差別は確かにあるが、なぜか福島県民や沖縄県民が入っていないと首をかしげる。「人権の中にある差別」。つまり、話してはいけない差別があるという矛盾だ。 月に一度、自分の子どもが卒園した保育園の年長組に「国際理解」という名目でさまざまな活動を十数年している。子どもたちの言葉はダニーさんの目を開かせる輝きを放っており、むしろ勉強の場となっている。「おまえ」という言葉の使い方にも学んだ。家庭であれば、失敗追及や命令の際に父が母に使う。父母は子どもに使う。だが、母と子どもは父に使えない。ダニーさんが「一番嫌いな日本語が、この『おまえ』です」と、その差別性を突いた。子どもは、人間にはランクがあり、父が偉いと“学習”する。学校に入れば、先輩に「おまえ」は使わない。会社など組織に入っても、それは引きずる。「人間は平等」というウソを5歳から子どもは見抜いてしまう。大人は子どもたちに平気で差別を植えつけているわけだ。殴り合いによってケンカを解決してはいけないと説く大人たちに、では国同士のケンカがなぜ戦争になるのか子どもたちに説明できるのか。「場合によっては武力に頼らなければいけない」という歪んだ教えを平気で続けるのか。 日本もイスラエルも近隣諸国を見下すところが共通するとダニーさんは感じている。自分たちは優れた民族、周りは遅れた野蛮人と区分けした瞬間、実は自分の側こそ野蛮人だと分からなくなるのだろう。他国をおとしめる慎みのないタイトルの書籍が氾濫し、ベストセラーにもなる時代だ。高慢な民族は自滅する。 600万人ともいわれるユダヤ人をドイツはホロコーストで殺した。しかし、いま欧州の中でイスラエルと最も友好関係にあるのはそのドイツ。それは非を認め、金銭も心も謝罪を絶やさないからである。その気持ちは伝わる。一方、カネを払って忘れ去ろうとする国もある。ダニーさんはそんな婉曲な言い回しながら「慰安婦」問題で「不可逆的解決」を押しつける日本政府の姿勢に疑問を呈し、韓国内外に建つ少女像を日本攻撃と見るのではなく、二度と悲劇を繰り返さないでほしいとの願いをくみ取るべきだと主張する。像の撤去を求めるということは、また日本は同じことをやりかねないとの危惧を与えてしまう。 メディアのあおりは対北朝鮮で沸騰する。金正恩・朝鮮労働党委員長を諸悪の根源のように扱って軍事的攻撃も辞さない空気は、無辜の民衆の死を視線から外すことで成立する。もし多くの死を認めるのなら、73年前に投下された広島、長崎の原爆を容認することになる。ただ殺すためだけに行う戦争こそ野蛮人の所業だとダニーさんは思う。「人間は心もある、頭もある、言葉も使える。戦争に頼るのは野蛮人のやること。子どもには許さないのに大人同士で許す不思議な世界だ」 ●日本もイスラエルも「茶色」に染まり 『茶色の朝』というフランク・パブロフの本がある。日々の生活に何気なく入り込んで人々の心や行動を次第に支配していく国家を寓話として描き、フランスでは100万部を突破した。読み進めると「今の日本じゃないか」とダニーさんは感じ入る。原発再稼働、秘密保護法、集団的自衛権、安保法制、共謀罪……。茶色はナチスの制服の色を示す。日本もイスラエルも、どんどん「茶色」になっていると案じるのだった。 イスラエル空軍のパイロットマニュアルの最後に、全電源喪失時の対応が短く書かれている。 「周りをよく見てください。あなた一人です。あなたの状況を知っている人はいません。だから論理的に考えてください」 ダニーさんは分かった。「一番大変なとき私たちが頼れるのはマニュアルでもなんでもない」と。必要なのは個人の的確な状況判断。前例踏襲でも付和雷同でもなく、真の意味での自己責任である。「そろそろ私たちは論理的に考える時期にきている」と会場を見回し、「白紙に戻る」ことを求めた。今までやっていない活動が必ずある。既成のままでは負ける。国民の大半は無関心層だ。ダニーさんは円グラフを見せながら、1割程度の関心を持っている層に私たち「声を上げる0.1%の層」が働きかけて、そこから大地を動かそうとけしかける。「戦争反対の声を上げなければ戦争賛成に数えられる」現実を肝に銘じる時期に入ったようだ。「戦争」はまた「原発」にも置き換えられる。「3・11」後、ダニーさんは友人の輪が変わった。昔のままの人たちから、将来の見える人たちに変化したのだ。「想像力と心を使おう。政治家や国には時間も予算も負けるが、人数はこちら側が圧倒的に多い。その力をつなげればいい方向に向かいます」 ●「逃げずに復興」は戦時中にそっくり 「ダニーさんの言葉が一つ一つ胸に突き刺さり、心に響く」と感謝を述べて登壇したのが森松さん(写真)。原発事故から2カ月後、乳児と3歳の子を連れて大阪市へ避難した。勤務医の夫は仕事のため福島県郡山市に今も残る。5月のゴールデンウイークまで避難が遅れたのは、さまざまな葛藤があったからだ。平和教育を受けて被ばくの怖さを間接的に知っていたから、放射性物質への恐怖は強かった。周囲は次々と避難していく。しかし、政府が避難指示や勧告区域を広げつつも原発から60キロ離れている郡山は屋内退避の指示もないのだから大丈夫のはずだ。5年前の『母子避難、心の軌跡〜家族で訴訟を決意するまで』(かもがわ出版)には当時の率直な感情を「ほとんど自己暗示をかけるように、そう自分で思うようにしていました。というよりも、そう思うよりほかなかったのです。焦りと不安と得体の知れない恐怖とが入り混じったような感覚でした」とつづっている。わが子に鼻血が出れば避難に踏み切れるのに、と倒錯した思いにかられるほど異常な精神状態に陥っていた。そして、避難してみると関西と福島での報道のあまりの違いにがくぜんとするのだった。 あれから7年近く。避難開始当時は、もうその頃には国家制度として子どもたちの保養制度をはじめ被曝防護の施策や制度が整備されているはずと思っていた。ところが実態は、予想とは真逆に進んでいることに驚きと恐れと怒りがない交ぜになるのだった。健康調査の制度すら希望者の要望が生かされず、縮小の方向である。 「戦前戦中と同じ状況を、すでに今、全国の皆さんは目撃している。『茶色の朝』はオーバーラップする」と語る森松さんは、被爆者がつらい思いを抱えながらも原爆被害を語り続けてきたことが昨年、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル平和賞につながったと振り返りながら、核が人の命や健康に対して影響を与える非人道性を伝えた意義を語った。しかし、福島原発事故に対して政府は「逃げずに復興」を推し進める。「空襲は逃げずに火を消せ、の戦時中にそっくりだ。福島から出ないで頑張っている姿を国民に見せることが国威発揚になる。日本人は美談が大好き」という根性称賛に森松さんは待ったをかけた。応援はありがたく、心を合わせてくれることの一体感は喜ぶべきではあっても、逃げることが身を守る一つの行為であり、核の悲惨さを理解していれば「逃げずに復興」の美しいスローガンに賛同してはいけない。「甲状腺がんの原因を追及もせず、ただ帰還政策に走るのは世界的に見ても非人道的だ」と批判した。 ●息を潜める「隠れ避難民」に思いはせ 森松さんは自分が避難できたのは被爆者たちの声のおかげと感じている。一方、被爆者たちには「核の平和利用」を認めてしまったことへの後悔があり、福島原発事故に最も胸を痛めているという。被爆2世、3世は、核の影響が甲状腺がんにとどまらず、さまざまな疾患に及ぶことを知っている。ならば、原発事故で全国に避難した森松さんらは伝えることがあると考える。「核の平和利用」が原子力産業に携わる一部の人たちだけのカネもうけのために行われ、多くの善良な国民が一番苦しんでいる社会のおかしさを。「私にとって平和とは、日々の暮らしそのもの」と述懐する森松さんは、大阪で温かく迎えてもらい、同じママさん同士で子どもたちを健やかに育てる未来を一緒に考えていく命優先の日常を共感しあえるのに、この国の方向は容易に変わらない。核被害は、原爆も原発も同じ。「核の平和利用はありえないということが福島原発事故から世界に証言できるポジションに私たちはいる」と自覚する森松さんは、福島の被害者こそ率先して口にし、多くの市民が共鳴して世界へ訴え、原発輸出を図る権力の暴走を止めなければいけないとも語る。 自分は避難できたことで終わりでも、子どもが助かったからそれでいいとも思わない。同じように子どもを産み、育てた福島のママ友達がいる。「(福島を)出れる制度があれば出たかったという声は、これまで報道されたでしょうか。聞かれたでしょうか」と涙ぐんでしまうのは、福島から出られない事情があって苦悩しつつ息を潜めているママ友達やその子どもたちの顔が浮かんでしまうからだろう。2012年に施行された「子ども・被災者生活支援法」も有効に機能しているとはいえないようだ。一方、「福島の事故は終わった。一部の甲状腺がんは関係ない」と黙殺される。森松さんは「でも想像してほしい。実際、病気になってから訴えるって難しい。治療に専念しますよね。自分の子どもが病気だったら裁判とか声を上げるとかできない。福島に住んでいる人でも、平穏を装いつつ、いつ自分の子が(病気に)あたるか分からない状態にある。それを口にするのもイヤだし忘れたい。だから普通に暮らしているようにしてると思う。実際、低線量の被曝の影響は目に見えてすぐ明らかになる人のほうが少ない。でも、それを言える人が言わなくって誰が言うんですか」と思いを吐き出すように一気に語った。 将来この国を支える子どもたちの健康を第一に守ることこそ国の責務であると信じる森松さんは、だから「隠れキリシタン」ならぬ「隠れ避難民」の声なき声を代弁し、その地にとどまることも避難することも帰還することも自由に選べる「避難の権利」を求めて原発被害者訴訟原告団全国連絡会共同代表を務める。また、関西へ避難してきた人たちでつくる当事者団体「東日本大震災避難者の会Thanks&Dream(サンドリ)」の代表としても活動を絶やさない。昨年発刊した冊子『3・11避難者の声〜当事者自身がアーカイブ〜』には森松さんを含め多くの避難者の赤裸々な声がぶつけられている。匿名が目立つのは、表立って声を上げる難しさを表していよう。森松さんは実名で矢面に立つ。これは人ごとではない。普通の日常が突然破壊された当事者の、後世に残す教訓として読者に想像力を要求する勇気ある証言となっている。 福島の土地の線量は今なお高い。しかし政府は空間線量の低減を理由に帰還政策を進め、多くの国民も見かけの数字を真に受けてしまう。そして、住んでいる人がいるから大丈夫なはずだと、すり替えられていく。逃げている人は少数派の神経質でおかしなママだと宣伝されれば、避難者は身の置き所がなくなってしまう。国策の非道を森松さんは訴えるのだった。 ●東京五輪でさらに強まる「非国民」扱い ダニーさんと森松さんの対談も、さらに話が深まった。ダニーさんがまず、2020年東京五輪になると福島の放射能を口にすれば「非国民」扱いされるだろうから、これから2年間が勝負だと感じていると口火を切る。森松さんもそれに同意した。「3・11」で避難した時点でそう呼ばれ、いま政府は避難者減らしに躍起になっているから、「非国民」扱いはさらに強まるだろうと予期する。 ダニーさんは事故直後、福島内で原発反対と思いながら声を上げない人たちに腹を立てていたが、東電とどこかでつながる家の事情などが段々とつかめて、自分たちが代わりに声を上げなければと考えるようになったと話した。しかし、言える立場は不変ではない。戦前のようにジワジワと口を塞がれていったように、歴史は繰り返すかもしれない。森松さんも、まだ日本国憲法が生きている今、言論の自由を使って福島での事実を語らなければと考える。 「押しつけ憲法」などと改憲派によって難癖がつけられても、ダニーさんは経緯より、書いてある中身こそ見るべきだとし「アメリカが唯一やった良いこと」と言って、その次元の高い目指すべき理想主義を評価する。森松さんも「プライドやメンツ、固定観念に縛られるのは大人ですね」と笑い、権力を縛る現憲法を使いこなすよう求めた。 国による刷り込みも人の思考を邪魔しているようだ。ダニーさんの言う「大事なことを感じないように、そして大事でないことに目が行くように仕向ける」手段は権力に共通する。「しみついた教育からそろそろ卒業しないと」と続け、日本では大地震と津波が今後発生するのは避けられないのだからとして原発自体の存在を否定した。 原発も戦争も、わずかな人の利益と多くの人の犠牲の上に成り立つ狂った世界だとダニーさんは繰り返して、人間の理解段階を三つに分ける。一つ目は、自国礼賛に終始する人。二つ目は、「何だかおかしい」と疑い始めて自国を卑下する人。三つ目は、世界は同じ仕組みで動いていると気づく人。三つ目に来て初めて、自分の利益しか考えていない政治家やリーダーたちを許してはいけないと目覚め、諦めるか立ち上がるかに分かれると解説した。会場を見回して、「ここには諦める人はいない。ぜひ、何も考えていない隣の人を(こうした集会に)連れてきてほしい」と促した。森松さんも、原発事故を通して社会の不条理や差別が見えてきたと呼応し、「人間は痛い目に遭わないと気づきが遅い」と自省する。裁判のチラシを街頭で配っても素通りがほとんど。「頑張ってね」と声をかけてくれる人たちに支援傍聴を求めても色よい返事はもらえないことがほとんどだが、人ごととして一歩踏み出す勇気を持てない心情や事情は「3・11」前の自分を見ているようでよく分かるから「大阪の人は冷たい」などとは決して思わない。 ●知識の「戦争」も違う体験から想像を 会場からも手が挙がる。和歌山から来た17歳の高校生は「人を殺したくも傷つけたくもないが、軍を経験していないので戦争は知識でしかない。戦争は体験したくないが、リアルに想像できるだろうか」と問いかけた。ダニーさんは「イスラエルでは戦争を何度体験しても反対しない人はいくらでもいる」と答え、日本でも戦争を体験した高齢者がすべて反対の声を上げるわけではないし、体験しなくても分かる人はさまざまなシステムがつながっていることに気づくものだと続けた。戦争に反対すれば、そこにとどまらない運動になっていくという意味であろう。森松さんは、職場の同僚に高校生と同じことを言われた経験がある。「体験してなくても、違う体験を通して戦争を想像することができることもある。戦争の時代に生まれていない私だが、学校の平和教育を通じて原爆は習っていた。それが福島原発事故で同じ放射能がバラまかれた時に全く別と思っていたものがパッとつながった。戦争を体験したからといって、そのひどさが(全員に)分かるものではない」と述べるとダニーさんが「福島事故は国民全員が体験したもの。しかし福島の体験を見て全員が動いただろうか」と補足した。そして、事故前から反対運動をしていた人たちにも「まさかチェルノブイリ級の事故は日本では起こらないだろう」という甘さがどこかにあったと自分も含めて反省する。さらに、もう一つの大きな甘えがあると声を強めた。「今度こういう原発事故が起きたら、みな立ち上がるだろう」という妙な楽観だ。ダニーさんは断言する。「浜岡原発(静岡)なら東京の近くだから変わるけど、泊(北海道)や川内(鹿児島)だったらほとんど何も変わらないと考えている」 森松さんは、自分の周囲だけでなく視野を広げる。世界の被曝を考えれば核被害の非人道性は地球規模でとらえるべきだと前を向いた。「みんな地球の住民なんだもの」。そして、戦争被爆を局限して核被害を侮りすぎていたという悔恨を吐露する。大阪に避難しつつも福島を日々ウオッチングし「放射性物質が色もなく、においもせず、低線量で被害がすぐには表れないことをいいことに、いかようにも言いくるめる姿を見せつけられている」とイラ立ちを隠さない。「次にもっと大きな事故が起きた時は」と言って今動かないのは、問題を先送りにしただけの言い訳にすぎないと戒めた。事故を起こさせない事前の闘いこそ最重要である。 大阪市で教員をしている女性は「空爆をしたイスラエル政府に対して主婦が『世界中でひどい目に遭ってきたのに、これはおかしい』と発言していた。そうした声は今もあるのか、出せないのか」と質問した。ダニーさんは「イスラエルは日本より言論の自由はまだある。戦争反対の声はいくらでも上げられるし、軍人もデモに参加できる」と答えると会場からは「ほお」という意外性を帯びた反応が起こった。日本では自衛隊員が表立って戦争反対の声を上げることは極めて難しい。しかしダニーさんは、イスラエルでもまだまだ反対の声は少ないし、ホロコーストの悲しみを打ち出して反論する市民が多数派であると述べ、それは『国のために死ぬのはすばらしい?』(高文研)の冒頭で紹介した重要なポイントだと力説した。ホロコーストを挙げてパレスチナへの空爆を正当化するイスラエルと、原爆被害を挙げてアジア各地での侵略行為を省みない日本の姿はやや似ているとして「自分を被害者とするのが楽ね。でもその幼稚な考えは偶然ではなく国がわざと育てた」と歴史を洞察するよう求めた。触発されたように森松さんは、福島原発事故でも被害の事実に真摯に向き合うべきだとし、過小評価や隠蔽が常態化している現実に憤った。事実という理論ではなく感情が前面に出てくると反転して「いつまでも被害者ぶって」といった中傷にも結びつくと身にしみている。 ●「国のために人がある」逆立ちの論理 最後にダニーさんは「昔から自分の国を疑っていた。まさか国はそこまでやらないだろうと考えるのは甘い」と諭し、森松さんは「裁判を起こしても、それは国家転覆や反逆ではなく、一人の主権者として行動しているだけ」と話し、人のための国づくりへの変革の声をこれから上げていく意欲を示した。そう、森松さんの言う通り、国のために人があるわけではない。奇しくもこの日は「建国記念の日」だった。集会は、国家権力を握る一部の者たちが誘導する逆立ちした論理にのみ込まれない理論と気概を与えてくれたように思う。 集会の主催団体は30代のママたちが主体。秩父で活動する市民団体「原発とめよう秩父人」では還暦を過ぎたダニーさんが“若手”であり、後で筆者に「何人か連れて帰りたいね」とジョークを飛ばした。高齢者ばかりで論じては刺激に乏しいということか。森松さんもアルコールが入った交流会では「私に復興相をやらせてほしいわ」と半ば冗談で声を立てていた。昨年、自主避難者を「自己責任」と記者会見で言い放った今村雅弘復興相(当時)のように、「復興」の主体が何なのか疑われる日々を空費しているように感じているからだろう。 集会が始まる前、司会者が参加者それぞれにマイクを渡して短く自己紹介を求めた。とりわけ印象深かったのは、ある小学生である。はっきりとこう言った。「僕は政治のことに関心があります」。物言えぬ空気を打ち破るダニーさんと森松さんに負けず、忖度や自己規制のないその力強さは希望を感じさせた。会場も沸いた。この国の将来は、こうした子どもたちに委ねられている。 Created by staff01. Last modified on 2018-02-26 12:17:51 Copyright: Default |