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 第4回(2017/4/1)

感性に響く言葉のリズム『日本唱歌集』

●『日本唱歌集』(堀内敬三、井上武士・編、岩波書店、756円)

 本書の初版は、一九五八(昭和三十三)年十二月に発行されている。筆者がこれを父親の本棚(?)で見つけて読みふけっていたのは、多分、小学校中学年から高学年の頃であったろう。正確に記すならば、歌詞とともに載っている楽譜に興味を惹かれた部分が大きかった。子供時分の大西の音楽環境は乏しく、音源はテレビかラジオ、レコードプレイヤーも持っておらず、楽器といえば学校で習ったハーモニカやリコーダー程度。音楽の教科書以外には楽譜を眼にする機会も滅多になかったから本書はもの珍しく、音符をたどりながら弾いてみたりもしていた。

 明治以降に作られた「唱歌(文部省唱歌)」は日本独特のジャンルだが、もちろん国のお墨付きの曲であるから、極めて堅苦しい。『螢の光』や『春の小川』、『鯉のぼり』や『チューリップ』のように現代でも未だ馴染みあるものはともかく、小学生のうちから『敵は幾万』だの『勇敢なる水兵』だの『広瀬中佐』だの『橘中佐』だのを歌わされるなどは、今から見れば何とも顰蹙、洗脳的でさえある。

 しかしながら、それらをも含めた――特に七五調の――文語的歌詞は、当時の筆者にとって大いに魅力的にも感じられた。「箱根の山は 天下の険 函谷関も 物ならず」(『箱根八里』)を見れば函谷関を調べ、「七里ヶ浜の いそ伝い 稲村ヶ崎 名将の」(『鎌倉』)を見れば新田義貞の故事を調べた。「金剛石も、みがかずば、たまの光は、そわざらん」(『金剛石』)を見ると、“磨かないと石ころなんだな”と自戒した(しただけだったが)。中でも「旅順開城 約成りて 敵の将軍 ステッセル」と始まる『水師営の会見』は、実に無駄のない言葉の流れに感心し、そのメロディーとともに今でも時おり頭に浮かぶほどだ。本書によって刻み込まれた日本語としての言葉のリズムは、自分自身が文章を書く際にも、基調低音となって確実な影響を与えていると感じている。

 二、三年前、インターネット上では、ウィキペディアの項目の説明文や、鉄道路線の連続した駅名の中から、あくまでも偶然に成立している「短歌(五七五七七の並び)」を見出すことが流行した。評判を呼んだ例を上げるならば、前者では「フクロウが 鳴くと明日は 晴れるので 洗濯物を 干せという意味(フクロウ)」「アルメニア、アゼルバイジャン、ウクライナ、中央アジア、およびシベリア(モロカン派)」、後者では「浜松町 田町 品川 大井町 大森 蒲田 川崎 鶴見(JR京浜東北線)「梅ヶ丘 世田谷代田 下北沢 東北沢 代々木上原(小田急小田原線)」という具合。前者は、書き手が意識せぬまま七五調に陥っている可能性も皆無ではないものの、後者には作為はあり得ず、その羅列からリズムを“発見”する人間の感覚に驚かされる(なぜ七五調が快いのかの絶対確実な理由は、未だ見つかっていないようである)。

 たしかに過去における七五調の歌というと、「勝ってくるぞと勇ましく」とか「若い血潮の予科練の」とか「見よ東海の空明けて」とか、戦意高揚を目的としたものも多く、短絡的に反発を招きがちではある。しかし、形式が内容を決定するとは限らない。たとえば、「聞け万国の 労働者 とどろきわたる メーデーの 示威者に起る 足どりと 未来をつぐる 鬨の声」は典型的な七音五音の繰り返しだし、「暴虐の雲 光をおおい 敵の嵐は 荒れくるう ひるまず進め 我らが友よ 敵の鉄鎖を うち砕け」に至っては、実は見事に七七七五の都々逸なのだから。【大西赤人】

*この連載「本の発見」は、1日=大西赤人・15日=志真秀弘、でお送りします。なお、4月26日のレイバーネットTVでは「本の発見」シリーズの2回目をお送りします。


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