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「戦争は100年経っても終わらない」〜鶴彬墓参ツアー詳細報告
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「戦争は100年経っても終わらない」〜鶴彬墓参ツアー詳細報告

    報告=奥徒 写真=shinya

 9月17日、「第40回鶴彬・井上剣花坊祭」が岩手県盛岡市で開催され、レイバーネット川柳班から、乱鬼龍を団長とする墓参団12名(東京鶴彬顕彰会からの参加2名含む)が参加した。

 プロレタリア川柳作家・鶴彬、本名喜多一二(きた かつじ)は、1909年、石川県河北郡高松町(現かほく市)に生まれた。1935年に上京し井上剣花坊に師事、剣花坊が主宰する『川柳人』に多くの作品を発表した。1937年、掲載された作品が反軍的であるとして治安維持法違反で特高警察に逮捕され、拘留中に赤痢を罹病、1938年9月14日、29歳の若さで没した。

 鶴彬の墓は盛岡市内の光照寺の墓所にある。盛岡で染物業を営んでいた鶴彬の兄、喜多孝夫が鶴彬の遺骨を引き取り、故郷石川を遠く離れた岩手の地に埋葬したからである。墓参団一行は、鶴彬の墓前に経産省前テント強制撤去に因んで発行された『脱原発川柳瓦版』を供え、合掌した。

●鶴彬句碑の前で

 墓参につづき、「手と足をもいだ丸太にしてかへし」の句碑が建つ光照寺境内で「第40回鶴彬・井上剣花坊祭」行われた。主催者を代表して岩手県奥州市在住の川柳家・佐藤岳俊さん(岩手県川柳協会理事長、『川柳人』発行人)から挨拶があり、岳俊さんは鶴彬の故郷石川、金沢歩兵連隊での活動が治安維持法違反とされ陸軍監獄に収監された大阪、そして当地岩手の「鶴彬トライアングル」について語り、安倍暴走内閣が憲法9条を破壊しようとしている今、鶴彬の反戦川柳を思い起こさなければならないと訴えた。

 鶴彬の姪・喜多富美さん(写真上)も思い出を語った。富美さんは鶴彬の兄・孝夫の息子のお連れ合で、盛岡の染物屋を継いでいる。参加者は、富美さんから鶴彬の句を染め抜いた句碑建立記念の青い布をいただいた。

 つづいて石川、大阪からのメッセージと参加者の献句が紹介され、一同が句碑へ献花を行い、さらに岳俊さん作詞作曲の歌「鶴彬のバラード」が披露された(写真上)。

<レイバーネット川柳班参加者の献句>
反骨の骨の太さよ鶴彬   なずな
ドローンにもがれた手足だれ恨む   一志
いまやっとお目にかかれて墓前祭   わかち愛
またしても鶴を殺したあの時代   乱鬼龍
凛とした鶴一声が天を衝く   奥徒
戦しに生まれた命鶴と生き   おおとり
十七の文字を吐き出す知と勇気   笑い茸
絶望を耕し続け芽吹き待つ   白真弓

●鶴彬と平和授業

 墓前祭ののち、一行は盛岡の川柳家・宇部功さん(いわて子ども川柳を育てる会会長、岩手県川柳連盟理事/写真下)の案内で、光照寺近隣の静養院(宮沢賢治ゆかりの寺)や、岩手の県名の由来とされる三ツ石神社(三つの石に鬼の手形が残る)などを訪ね、さらに老舗の蕎麦処・橋本屋に会場を移し、宇部さんのお話をうかがった。

 宇部さんは盛岡の元小学校校長で、長く鶴彬の川柳を学校で教え続け、退職後も全国の学校で鶴彬を題材とした平和授業を行っている。30年ほど前、鶴彬の句碑は盛岡市内松園に建立され、その後、現在の光照寺に移設された。句碑が建立された当時、近くの小学校に勤務していた宇部さんは、授業で鶴彬の句を取り上げることにした。

 例えば小学校5年生の授業。句碑に刻まれた「手と足をもいだ丸太にしてかへし」の意味について、親と話し合ってくることを宿題とする。子どもたちは直ぐには意味がわからない。丸太とは、負傷して役立たずとなった兵士を指す軍隊用語である。戦争から帰った元兵士は、生涯にわたって悲惨な暮らしを強いられる。多くの若者が赤紙一枚で人生を変えられてしまう。戦争がどんなに恐ろしいものかを、子どもたちとともに考える。

 ある女の子は「胎内の動きしるころ骨がつき」の句の意味を知り、教室で涙したという。宇部さんは語る。戦争は始まると100年経っても終わらない、悲劇は延々と続く、と。

動画(宇部さんのお話 30分)

●「平和」「憲法」を兼題に句会

 宇部さんのお話のあと、地元の川柳家も加わり、句会が行われた。兼題は平和と憲法、選者は岳俊さんと宇部さん。お二人は地元新聞川柳欄の選者も努める。句会では、つぎの二句が特選句に選ばれた。

平和 : 国境も飢えも差別もない地球   笑い茸
憲法 : 安保法デモ友増えた国会前   わかち愛

●啄木・賢治ゆかりの地を吟行

 墓前祭の翌日は、白真弓さんの従姉妹・ともこさんのガイドで盛岡市内を散策した。盛岡は石川啄木と宮沢賢治のゆかりの地である。二人はともに旧制盛岡中学に学び、この地で青春を育んだ。今年は啄木生誕130周年、賢治生誕120周年。市内の随所に二人のモニュメントが並ぶ。

 盛岡は南部藩の城下町として栄えた。南部氏の居城・不来方(こずかた)城の旧跡、石垣と緑に覆われた岩手公園には、賢治の詩「岩手公園」を刻んだ詩碑、啄木の「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」の歌碑が建つ。城山に沿って流れる中津川の清流、岩手銀行赤レンガ館、古風な佇まいが残る街並みを散策し、もりおか啄木・賢治青春館などを訪れ、二人の青春時代に思いを馳せた。

 旅の最後に句会が催され、参加者一同が盛岡での想いを詠んだ。賢治37歳、鶴彬29歳、啄木26歳。ともに短い生涯を閉じた彼らの、ほとばしるような情熱に触れる二日間だった。

<吟行句>
先人の思い刻んだ岩の国   一志
だらだらと歩いただけで知識増え   一志
モーリオに盛り沢山を訪ね行き   奥徒
城山の空青年に夢を見る   奥徒
井戸清く若き賢治のかげうつす   なずな
教室に鶴の魂よみがえる   なずな
中津川啄木賢治育てあげ   なずな
石垣の巨石にロックこだまする   白眞弓
岩銀の中で会計金合わせ   白眞弓
箱入りで売られていく布袋様   白眞弓
啄木と賢治を愛し語りべに   ともこ
盛岡によくおでんしたと案内す   ともこ
若者は大志をいだき東北へ   わかち愛
戦争へ身を投げだした南部藩   わかち愛
啄木には金を貸さない赤レンガ   植竹団扇
色鮮やかな朝顔に一歩前   植竹団扇
岩手にてケンジタクボク鶴彬   アベ
城跡のテントにライブ花が咲き   アベ
深き森文化の獅子に恐れふす   おおとり
積み上げた農民の碑よ城の跡   笑い茸
中津川啄木賢治深呼吸   笑い茸
鶴彬啄木賢治秋は燃え   乱鬼龍
鶴眠る地に充実の二日生き   乱鬼龍

*ツアーの報告会は10月4日にあります。ぜひご参加ください。詳細

*なおレイバーネット川柳班の10月句会は、10月27日(木)スキャットセミナールーム。題は「スポーツ一般」。課題句3句、自由句3句をお寄せください。締切は10月20日です。投句はこちらから。


Created by staff01. Last modified on 2016-09-25 23:45:19 Copyright: Default

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