映画『原発の町を追われて』、避難先の加須市で上映 | |||||||
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双葉町の記録映画 加須市のお寺で上映報告=堀切さとみ(『原発の町を追われて』制作者)全国にただひとつ残された避難所、旧騎西高校(埼玉県・加須市)が、まもなく閉鎖の日を迎える。2011年の事故直後には、1400人もの町民であふれていたが徐々に人は減り、スペースに余裕ができていた。「こんな場所で死にたくない」と言っていたお年寄りも、二年半余「死ぬまでこ こにいたい」というほど、特に高齢者にとっては安心して暮らせる場所になっていた。また、双葉町民によって高校の中に作られたカフェは、近くの借り上げ住宅で暮 らす人も集える貴重なコミュニティーの場だったが、こちらも十月末で「店じまい」となった。 避難所閉鎖後も、この地域の借り上げ住宅で暮らそうとする人は多い。加須市を 『第二の故郷』と言い切る双葉町民もいるのだ。11月9日(土)、地元住民と双葉町民をつなぐために、加須市にある保寧寺で『原発の町を追われて』の上映会が行われた。加須市民、加須市内外で避難生活をしている人たち、支援者など、130人を超える参加者が、お寺の境内をうめつくした。 ↓「加須市に避難してきた双葉町の力になりたかった」と、お寺を開放してくれた小崎住職 ↓旧騎西町長、若山勝彦氏 「騎西町が加須市と合併してなくなったと思ったら、双葉町がそこに加わったのは何かの縁だと思う」 ↓震災犠牲者を思い、騎西高校で書き上げた渡部翠峰さんの作品に見入る。 ↓上映の後は、双葉町の郷土料理やおはぎを味わいながら、熱気あふれる討論が続いた。 埼玉県は自然災害や被災体験が少ない。当初、加須市では「なぜ双葉町がここに避難してきたのかわからない」という声もあったようだ双葉町民の鵜沼友恵さんは「私たちは珍しい体験をした。皆さんももしかしたら こういう体験をするかもし れない。自分だったらどうするか、ぜひ考えてみて ほしいんです」と切り出した。 「私自身、借り上げアパートにいて、自分が『変な人』になっていくようで怖 かった。そんなとき、皆が集まれるカフェを騎西高校の中に作り、ほんとにホッとした。騎西高校もカフェも閉鎖になり、また孤独になる人が増えるだろう。これからも加須市にお世話になる町民は多いと思うが、どうかあた たかい声をかけてほしい」と訴えた。 映画の中で「故郷も友達もなくして、残るのは大声しかない」と言った小池信一 さんは「映画にも出て、こうやって大勢の皆さんの前で自分の思いを語れて本当にうれしい。ふるさとへの思いは断ち切れな い。とにかく過ちは一 度でいい。同じことを繰り返さないでほしい」と語った。 また、映画を制作した私(堀切)「加須市に通う中で、ここは田中正造のゆかり の地だと知った。町民の命を第一に考えて、ここ加須市に避難所をかまえ、辞任に追い込まれた井戸川前 町長は、田中正造のようだ」と話した。 「映画の中で『ボランティアに見下されている感じがする』という話が出てきて考えさせられた。隣人として、どういうかかわりが必要か」という加須市民からの質問もあった。 鵜沼さんは「私もまったく同じことを感じていた。段ボールのトレーを持って、”お恵み”を受ける屈辱をわかってほしい。特にスーパーアリーナには 物資が余るほど集まってしまい『頼むから他の被災地に分けてあげて』という気持ちだった。本気でかかわろうとしてくれる人と、そうでない人との違いは はっきりわかる。困っているお年寄りのそばで、ボランティアに来たカップルがイチャイチャしてることもあり、何なんだと思った。『〜してあげたのに〜してくれなかった』というボランティアはいらない!」。その率直さに、会場から思わず大きな拍手がわいた。 今回、この上映会を計画し準備してくれたのは、東京・世田谷のグループの人たちだった。騎西高校に通って炊き出しをするだけでなく、「双葉町の料理を教えて!」というかかわりをしてきた。避難先の環境にとけこむことと、生まれ育ったふるさとを忘れないこと。そのどちらもが、双葉町の人たちにとって大切なことではないだろうか。避難してきた人たちと、それを受け入れる人たち。異なる環境で生きてきた人た ちが、お互いを理解 していくのは簡単ではないかもしれないが、やはり本音で話すことが必要だ。 会の終了後、映画のサブ・タイトルにも使っている「避難民」という文言に、傷ついている人もいるという声もあった。何も悪いことをしていないのに、避難先で心無い言葉を投げつけられ、遠慮がちになる人はとても多い。私自身、まだまだ理解していないことも多いと考えさせられた。 鵜沼さんは「皆さんの前で話すことで、気持ちの整理をつけることができた。騎西高校のカフェはなくなったが、避難者どおしが集える場所を必ず再建する」と語った。“震災は3年目から”という。原発事故からの避難生活は終わったのではない。これからが本当の始まりなのだ。 Created by staff01. Last modified on 2013-11-12 17:19:58 Copyright: Default |