絶望から希望へ
人々の希望を乗せて集まる「希望バス」
7月30日、韓国各地から出発した「希望バス」の乗客たちが釜山に集まった。
今回の希望バスは、6月11日-12日、7月9日-10日に続き3回目。
韓進重工の不当な整理解雇に抗議して半年以上、韓進重工造船所のクレーンで籠
城を続けている女性労働活動家キム・ジンスク氏(写真)のたたかいは、李明博政権下で韓国の人々が置かれている絶望的な状況を突破する「希望」の象徴だ。
希望バスは、彼女の孤独なたたかいに連帯し、労働者の希望を実現するという意
味を持つ。今回も1万人以上集まった労働者、市民、学生、宗教家、学者、芸術
家、音楽家など多彩なバスの「乗客」たちは、会社や警察、右翼の妨害を撥ね除
け、夜を徹して集会や文化公演、宗教行事、パフォーマンスなどを繰り広げ、希
望の週末を分かち合った。
第1次希望バスの記事:http://www.labornetjp.org/worldnews/korea/strike/2011summer/1307913118605Staff
第2次希望バスの記事:http://www.labornetjp.org/worldnews/korea/strike/2011summer/1310427266574Staff<
第3次希望バスの記事:http://www.labornetjp.org/worldnews/korea/knews/00_2011/1312207382487Staff
背景:http://www.labornetjp.org/worldnews/korea/knews/00_2011/1301676284835Staff
解説(安田幸弘)
韓進重工の影島造船所は、日本統治時代に設立された韓国で最も古い造船所
で、戦後は半官半民の大韓造船公社としてスタート、そして独裁政権下の極東海
運を経て1989年から韓進重工として、一貫して重工業育成という国策の下で操業
を続け、厳しい労働弾圧の中で韓国を世界一の造船王国にした立役者だ。
現在キム・ジンスク氏が籠城している85号クレーンは、2003年に不当な整理解
雇と労組弾圧に対し、当時の韓進重工労組のキム・ジュイク委員長が籠城して抗
議を続けたが、要求に応じない会社と、闘争に対する絶望感からクレーンの手す
りで抗議の首吊り自殺をした現場でもある。そしてキム・ジュイク委員長の自殺
の後、誠実な組合員だったクァク・ジェギュは85号クレーンが見えるドックの上
から身を投げて死んだ。それ以来、造船労働者たちにとって影島造船所の85号ク
レーンは、労組弾圧と搾取の象徴、絶望の象徴と見なされてきた。
結局、この二人の命と引き替えに、会社は労組の要求に一部譲歩することに
なったが、その約束は守られなかった。韓進重工はフィリピンのスービックに造
船所を建設、影島造船所の受注をスービック造船所に流し、「仕事がない」とい
う口実で影島造船所での大規模な整理解雇に乗り出したのである。
この整理解雇に反対し、労働組合はストライキで抵抗したものの展望が開け
ず、キム・ジンクス氏は、8年前キム・ジュイク委員長が命懸けで勝ち取ろうと
したのと同じく、不当な整理解雇撤回を求め、絶望の85号クレーンでの抗議の籠
城を選択した。
韓国初の女性溶接工として影島造船所で働き、キム・ジュイク委員長と共に労
働組合活動を行ったことで韓進を解雇されたキム・ジンスク氏は、籠城にあた
り、「キム・ジュイク氏のようにではなく、整理解雇撤回を勝ち取り、生きて自
分の足で降りてくる」と宣言した。そしてこのたたかいに、韓進重工を始め、多
くの労働者や市民が支持を表明、5月14日に市民や活動家が中心になって85号ク
レーンの下で「文化連帯行動」が取り組まれた。
この文化連帯行動は、従来の労働組合とはやや毛色が異なっていた。活動家た
ちが85号クレーンがある造船所の敷地に入り込み、クレーンの下でさまざまな文
化パフォーマンスを行ってキム・ジンスク氏を励まそうという主旨で、竜山撤去
の現場や、弘大前のトゥリバン、コルト・コルテック闘争などにかかわってきた
アーティストやミュージシャンなどが中心だった。
この活動は、ツイッターなどを通じて全国に伝えられ、大きな反応を呼び起こ
した。ちょうどその頃、大学の学費問題で、2008年にソウルをキャンドルの海に
した大規模デモ以来のキャンドルデモが若い世代を中心に続いていたのだが、彼
らが敏感に反応したのである。
従来の労働組合の枠組みとは別の角度から、ツイッターを武器とする若い世代
がキム・ジンスク氏のたたかいに連帯し、同時に韓進重工に限らず、韓国で行わ
れているさまざまな労働弾圧とたたかう人々に希望を与えるために、詩人のソ・
ギョンドン氏の呼び掛けに応えて「希望バス」が企画された。
最初、全国各地から「希望バス」の呼び掛けに応じて集まったバスは17台。約
700人だったという。彼らは造船所の壁を越えて85号クレーンの下に集結、小さ
な解放区を作り、音楽やアートなどで朝まで大騒ぎを繰り広げた。
その後、7月上旬に企画された第二次希望バスは200台近いバス、自転車、徒歩
などで1万人が釜山に集まり、そして今回の第三次希望バスも、直前の大雨によ
る水害という悪条件にもかかわらず、やはり1万人以上が集まったという。
李明博政権による新自由主義的な政策に苦しむ多くの労働者、市民、そして学
生にとって、キム・ジンスク氏が生きて自分の足でクレーンを降りてくること、
つまり資本とのたたかいに勝利することは、単に韓進重工の整理解雇という問題
を越え、李明博政権によって破壊された生活に「希望」を取り戻すことにつな
がっているのである。
なお、注目すべき点は、最初の希望バスの後、韓進重工の労組執行部が組合員
や上部組織の了解なしで会社側の切り崩しで一方的にストライキ終結に合意した
という点だ。会社側は、執行部の切り崩しで一気にこの闘争を押さえ込むつもり
だったのかもしれないが、希望バスは二次、三次と続き、全国からの多くの支援
と連帯を集めている85号クレーンの闘争は勢いが衰えず、うかつに手が出せない
状態にある。また、籠城を続けるキム・ジンスク氏と支援者たちは、常時ツイッ
ターやフェイスブックで情報を流し続けているため、不審な動きがあれば膨大な
リツイートで会社側に圧力がかけられている。
もちろん、こうした希望バスの動きには、民主労総をはじめとする既成の労働
組合や組織も加わっているが、従来のストライキやデモなどの実力闘争とは異な
る形態で、大衆を巻き込んだ新しい「サイバー大衆闘争」的な面があることにも
注目したい。
Created by
staff01.
Last modified on 2011-08-03 12:06:33
Copyright:
Default