株式会社イセキ開発工機は、主に下水道工事用のトンネルを掘る機械を製造している会社で、1971年6月設立、業界では、「アンクルモール」と言う商品名で知られていました。ベンチャー企業として注目を集め、1989年2月には株式を店頭公開するところまで急成長しました。その後、多角経営を目指して垂直型ベルタベーター、汚水処理装置等の開発をすすめ1991年3月には従業員は450名を超えました。しかし、公共工事の減少や市場の飽和による需要低下と、海外戦略、株投資及び新分野進出の失敗などが重なって業績は悪化の一途を辿っていましたが、2002年3月27日、ついに民事再生手続開始を申請し倒産しました。(2月28日現在負債総額は88億円)
*2002年11月28日に再生計画は認可決定確定し、資本金6千万円の会社として存続しています。
再生計画(支援スポンサー企業なし、弁済率8.5%、弁済期間5年)
資本金969,926,900円を全額減資。減資と同時に、2名(大岡伸吉・松崎彰義)が60,000,000円の増資。
3月27日の民事再生手続き開始申立から3ヶ月以上たっても、従業員は何一つ情報が与えられず、不安な毎日を過ごしていましたが、7月5日ようやく進捗状況を説明するからと全員集合させられました。説明とは名ばかりで、管渠更生部門の大林道路株式会社への営業譲渡と人員削減の一方的な発表で、人員削減の方法とスケジュールが書かれた通達が全員に手渡されただけでした。
6月末人員108名(役員・派遣全てを含む総人員)を46名削減し、62名とする。
7月8日(月)〜7月10日(水) 役員面談(退職するか残留するかの意思確認)
7月15日〜19日(金) 退職勧奨に応じない場合は整理解雇
(従業員数は、1997年10月の第1次リストラで350名から240名に、2001年11月の第2次リストラで100名にまで削減されていました。)
7月9日(火)担当役員である松崎取締役と個人面談し、残留の意思を伝える。
松崎取締役からも残留してもらいたいと言われた。
7月10日(水)第1回団体交渉
会社説明「営業譲渡の経過説明。営業譲渡とセットで再建計画を作成した。62人体制はあくまでも目安で昨年の部門別粗利から間単に作成したもの。面談の結果はまだ集計していないので不明である。」
7月16日(火)第2回団体交渉
会社は、組合員2名ともに「ポストがない」の一言で退職勧奨。組合員2名とも即座に拒否した。
会社「整理解雇せざるをえない。」
組合「人選基準を明らかにしていない。協議もつくしていないので整理解雇の4要件を満たさず解雇権の濫用であり整理解雇を認めない。」
会社「これ以上の詳しい説明は言えない。」
7月19日(金)第3回団体交渉
会社は6つの人選基準項目(業務の必要性、仕事への意欲、専門能力、規律性、執務態度、協調性)と評価結果だけを口頭で説明。
会社「退職勧奨の拒否者は組合員2名のみで他は全員退職勧奨を受け入れた。退職勧奨を拒否した2名は7月22日に整理解雇を通告し即日解雇とする」。
組合「退職勧奨を拒否したら即日解雇では協議できない。誠意をもって話し合うことにはならない。7月22日の整理解雇・即日解雇は認めない。7月23日からも出社する。」
7月22日(月)午前9時45分、組合員2名に「解雇通告」、16時、第4回団体交渉
会社「人選基準項目を説明した。これ以上細かい資料は出せない。取締役会で決定したので解雇は撤回しない。」
組合「整理解雇の要件を満たしていない。(1)他の社員と比較できる資料が提示されていない。(2)人選基準6項目の内容が不明。(3)組合員の評価説明が不明確。(4)4級以上管理職の人選基準が不明で残留するポストと誰が残るかの全容がわからない。として説明を求めた」
7月23日(火)8時45分に出社したらタイムカードがなくなっていた。午後2時:第5回団体交渉
会社は西本の評価内容を口頭で説明したが、こじつけのデタラメな内容だった。そして、「これ以上話すことはない。この件は打ち切る。」と一方的に交渉を打ち切り退席した。
組合は、手書きで「団体交渉の申し入れ」を作成して2Fに行き、総務部長に手交した。
7月24日(水)団交拒否
会社から「これ以上の団体交渉には応じられません」との回答書が届いた。
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