韓国:派遣美術、シン・ユアが世の中と戦う方法 | |||||||
Menu
おしらせ
・レイバーフェスタ2024(12/25) ・レイバーネットTV(11/13) ・あるくラジオ(10/10) ・川柳班(11/22) ・ブッククラブ(10/12) ・シネクラブ(9/1) ・ねりまの会(10/12) ・フィールドワーク(足尾報告) ・三多摩レイバー映画祭 ・夏期合宿(8/24) ・レイバーネット動画 ●「太田昌国のコラム」第96回(2024/11/15) ●〔週刊 本の発見〕第368回(2024/11/21) ●「根津公子の都教委傍聴記」(2024/11/14) ●川柳「笑い茸」NO.157(2024/9/26) ●フランス発・グローバルニュース第14回(2024/10/20) ●「飛幡祐規 パリの窓から」第95回(2024/9/10) ●「美術館めぐり」第4回(2024/10/28) ★カンパのお願い ■メディア系サイト 原子力資料情報室・たんぽぽ舎・岩上チャンネル(IWJ)・福島事故緊急会議・OurPlanet-TV・経産省前テントひろば・フクロウFoEチャンネル・田中龍作ジャーナル・UPLAN動画・NO HATE TV・なにぬねノンちゃんねる・市民メディア放送局・ニュース打破配信プロジェクト・デモクラシータイムス・The Interschool Journal・湯本雅典HP・アリの一言・デモリサTV・ボトムアップCH・共同テーブル・反貧困ネットワーク・JAL青空チャンネル・川島進ch・独立言論フォーラム・ポリタスTV・choose life project・一月万冊・ArcTimes・ちきゅう座・総がかり行動・市民連合・NPA-TV・こばと通信
|
派遣美術、シン・ユアが世の中と戦う方法[ワーカーズ]ブラックキューブ
キム・ハンジュ記者 2018.05.24 12:32
ホワイトキューブになってしまった商業化と。 真っ白な空間に単独照明を受ける作品が並ぶ。 作品は時代空間と状況と別に値段が決められたりもする。 だが白い立替空間から抜け出した作品がある。 これらの作品は労働者、市民の通り、座り込みテント、集会デモ現場を照明する。 ここの作品は売れることもない。 むしろ警察鎮圧につぶされるのが常だ。 芸術で実践する彼らにとって世の中はブラックキューブだ。 「派遣美術チーム」は色々な闘争現場で実践芸術を繰り広げてきた。 絵、文字、造形物、詩、パフォーマンスが街頭の労働者、市民のバリケードになった。 10年以上派遣美術をしてきたシン・ユア文化連帯活動家と4月18日、コルトコルテックの座込場で会った。 [出処:キム・ハンジュ記者] 派遣美術はどう始まったのか?2005年、平沢米軍基地の移転で大秋里闘争が起きた。 ここに多くの文化芸術家が入ってきて住んだ。 ノ・スンテク(写真)、イ・ユニョプ(版画)のような、主にソウルで活動していた作家だった。 彼らは現場で個別に作業をした。 彼らと共に空き家に絵を描いて展示空間を作り始めた。 そうしてみるとよく似合っていた。 その後「私たちがここで座込場を計画しよう」と群れで動き始めた。 2009年チョン・ジンギョン作家の勧誘で大宇自動車座込場を計画した時であった。 この日、作業の後に労働者たちと酒の席を持った。 そのうちに冗談調で「おじさんたちは派遣労働しながら金でも稼げるのに、 派遣に来た私たちは稼ぎもない!」と言って論争し始めた。 そううちに「われわれは派遣労働者よりさらに劣悪な派遣美術チームだ!」と歌い始めた。 記憶に残る作品活動は?コルトコルテックの場合、大衆に知らせる闘争が上手だ。 (2007年〜2008年コルトコルテック・ギター労働者246人が不当な整理解雇にあって、12年目戦っている。) コルトコルテックは他の現場と違い、ギターという媒介がある。 文化芸術家が参加しやすい。 今日も「7集歌手」のソン・ビョンフィがここコルトコルテックの座込場の前でバスキング公演をする。 昼休みに公演すれば多くの人が歌を聞いて宣伝物を読んだりする。 コルトコルテック座込場のそばでドローイング、写真、版画を展示する。 この座込場には文がぎっしりといっぱい詰まった壁新聞や横断幕はない。 一つ一つ象徴を持ったイメージだ。 座り込む彼らのくやしさを大衆に強く簡単に表現できる作業方式をずっと考えている。 こうした展示でなければ派遣美術作品はどう保管されるのか?絵の具や筆を買うのも財政的に大変だが、保管が最大のボトルネックだ。 派遣美術チームにはほとんど保管倉庫がない。 私たちはギャラリーに入ろうとしているのでもない。 社会が記憶するもので、国家次元で保管してほしい。 「朴槿恵(パク・クネ)退陣キャンプ村」でも多様な鉄製造形物、 スチロール、絵などの作品があふれ出た。 トゥロンなどの先輩民衆美術家が大挙出てきて共にした。 キャンドル塔も太極旗集会の参加者が壊したが歴史物だ。 個人的に美術活動はどう始めたのか?私は美大出身だ。専攻は陶磁芸術だった。 私は専攻よりも同人から影響を受けた。 私が大学に通っていた90年代初め、 キム・キジョンにはじまり学生がたくさん死んだ。 学生会は忙しく集会をした。 だから美大生には宣伝物の製作要請が潮が満ちるよう入ってきた。 夜中「PC(横断幕用の布)」に絵を描いた。 事実、文字はみんな書けるが、美大はどこか違うと思うという偏見もあった。 これまで大学内に建物壁画の絵をたくさん描いた。最近珍しいが、これまで学生運動をはじめとする運動陣営の芸術文化はどんな変遷があったか?民衆美術の初期は学生運動が中心だった。 80年〜90年代に学生運動が活発になって、学校に本当にたくさん壁画を描いた。 今は印刷技術が発達しているが当時はそうではなく、 学生たちが夜中に懸垂幕の絵を描いたりした。 当時はほとんどの作家が展示場に入る作業の方を好んだ。 そのうち運動指向の美術作家が共に作業を始めて、民衆美術が席を占めるようになった。 以前は学生運動中心の民衆美術だったとすれば、 今は社会に出てきた作家が現場に連帯する傾向が強い。 現場に連帯する作業をしていると、集会デモに対する新しい形態を考えるようになる。 そうした気流を体験する所がまさに音楽公演だ。 以前は民衆歌謡ジャンルの曲を歌う人が決まっていた。 大衆音楽をする人が現場に連帯するのはめずらしかった。 だが今はインディー・ミュージシャンも現場連帯を恐れない。 [出処:キム・ハンジュ記者] 以前と特に違う芸術分野があるとすれば?大衆音楽だ。 2009年の竜山惨事(警察特殊部隊が再開発反対デモを過剰鎮圧して、撤去民5人、警察1人が死亡した惨事)の時に企画した「ライブエイド、希望」のコンサートを思い出す。 イ・サンウン、キングストンルディスカ、ブロッコリー・ノマジョ(Broccoli You Too)などが参加する予定だった。 ラインアップを終えたのに、歌手イ・スンファンから「私もコンサートに出たい」という電話がきた。 傲慢だった私は「ラインアップがいっぱいなので議論して連絡する」と答えた。 状況室に共有すると大騷ぎになった。 大衆に竜山惨事を知らせる絶好の機会だとし、時間を延ばしてもイ・スンファンは入れようと。 そうしてイ・スンファンまで公演を終えて一週間後にまた連絡がきた。 イ・スンファンが巨額の後援支援金を渡したいという電話であった。 朴槿恵退陣キャンドル文化祭は私が企画したのではないが、 連絡して来るミュージシャンが多かったという。 場所がなくて出られないほどだった。 事実、大衆歌手としては集会に出てくるのはずいぶん勇気が必要だ。 彼らが過去とは違い、自ら労働者性を認識した結果だと思う。 朴槿恵キャンドルの時に歌手「モーゼ」が「サランインゴル」を歌って驚いた記憶がある。彼らのおかげで集会の雰囲気が良くなる。だが「青瓦台に進撃するべきなのに、なぜ歌なのか」という視線も存在した。2008年に明博山城(当時政府が狂牛病キャンドル・デモを孤立させる目的で光化門広場に積み上げたコンテナ)を越えようとした側はスチロールを積んで、 片方では大衆歌手が出てきて「頑張れキャンドル」文化祭をした。 警察と激しく戦った人々から悪口をたっぷり浴びた。 彼らは舞台の音響ケーブルまで切った。 私が属していた文化連帯は闘争に多様な方式があると見る。 ミュージシャンは公演で闘争するということだ。 今回の朴槿恵退陣キャンドルの時も同じだった。 青瓦台に入れない構造だった。 当時、家族単位の参加者がとても多かった。 もし彼らになじまない過激デモがあれば、次のキャンドルにもこれほど多くの人が出てきたかという疑問もある。 [出処:キム・ハンジュ記者] 集会構成が「あなたのための行進曲-大会発言-闘争発言-ダンスチーム-連帯発言-決議文朗読」の繰り返しが多い。参加者が携帯電話ばかり見ているのは集会が枠にはまっているからではないか。集会文化を変えようとしたのが「希望バス(2011年韓進重工業整理解雇に反対して85号クレーン高空籠城に上がったキム・ジンスク組合員を応援するための集会)」だ。 希望バスは労組ではなく、市民が企画した。 希望バスは初期には反応が得られなかった。 民主労総に一緒に企画しようと要請したが「組合員が参加できるように伝える」程度だった。 初めは700人から始めて、後で1万人まで増えて、その時から労組と団体が組織的に合流した。 希望バス企画団は有名人を舞台にたてなかった。 党代表、委員長がきてもだ。 国会議員補佐官に舞台に出してほしいと頼まれても断った。 われわれは一般組合員、市民だけを舞台に出した。 下から力を集めていくことが趣旨だったからだ。 当時、集会文化の変化が大きな反響を起こした。 文化芸術家として今後、集会はどう変わればと思うか?私は祭りのような集会デモを望む。 おもしろい闘争が長続きする。 それでこそ大衆の反応を得ることができ、結局は勝てる。 メーデーも労働者の祭りなのに、楽しく遊ばない。 決死抗戦の日のように決意を固めるだけだ。 自分たちの事情を話すより、おもしろい姿をSNSで披露して、 大衆が直接みられるようにすれば良い。 労働者たちには積もっているものが多いが、人々はまたとても忙しい。 システムによって私たちも変わるべきなのに、容易ではない。 派遣美術に参加するには美大を出ていなければならないのか?誰でも参加できる。 事実、派遣美術チームに美大出身はあまりいない。 横で作家とここに塗って、あそこを削ってとやれば良い。 またアイデアは誰でも出せる。 アイデアを実際に作れば作品だ。 専攻なくてもかまわない。 体力さえあれば良い。 お願いですからちょっときてほしい(笑い)。[ワーカーズ43号] 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2018-07-16 11:01:56 / Last modified on 2018-07-16 11:01:57 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ |