韓国:コルトコルテック10年の戦い、「後悔はない」 | |||||||
Menu
おしらせ
・レイバーフェスタ2024(報告) ・レイバーネットTV ・あるくラジオ(2/23) ・川柳班(2/28句会) ・ブッククラブ(3/20) ・シネクラブ(2/2) ・ねりまの会(1/31) ・フィールドワーク(足尾報告) ・三多摩レイバー映画祭 ・夏期合宿(8/24) ・レイバーネット動画 ●「太田昌国のコラム」第98回(2025/1/10) ●〔週刊 本の発見〕第375回(2025/1/23) ●「根津公子の都教委傍聴記」(2025/2/4) ●川柳「笑い茸」NO.159(2025/1/27) ●フランス発・グローバルニュース番外編(2025/2/2) ●「飛幡祐規 パリの窓から」第97回(2024/12/30) ●「美術館めぐり」第7回(2025/1/27) ★カンパのお願い ■メディア系サイト 原子力資料情報室・たんぽぽ舎・岩上チャンネル(IWJ)・福島事故緊急会議・OurPlanet-TV・経産省前テントひろば・フクロウFoEチャンネル・田中龍作ジャーナル・UPLAN動画・NO HATE TV・なにぬねノンちゃんねる・市民メディア放送局・ニュース打破配信プロジェクト・デモクラシータイムス・The Interschool Journal・湯本雅典HP・アリの一言・デモリサTV・ボトムアップCH・共同テーブル・反貧困ネットワーク・JAL青空チャンネル・川島進ch・独立言論フォーラム・ポリタスTV・choose life project・一月万冊・ArcTimes・ちきゅう座・総がかり行動・市民連合・NPA-TV・こばと通信
|
コルトコルテック10年の戦い、「後悔はない」イ・イングン支会長とイム・ジェチュン組合員の話
チョン・ヒョンジン チグミョギ記者 2017.11.21 10:43
2007年4月、仁川市富平のコルト楽器労働者56人整理解雇。 その年の7月、コルテック大田ケリョン工場の廃業と労働者65人の整理解雇、 2008年には仁川市富平工場の廃業と残った労働者125人の解雇。 今年で10年経ち、11年目をむかえるコルトコルテックの戦いの開始だった。 工場の廃業で労働者たちが戻る所をなくしてしまったコルトコルテックの 朴栄浩(パク・ヨンホ)代表理事と、 大量整理解雇を当然のものにしたシステムに対抗する10年の戦いだ。 彼らの話を聞くために訪問して行ったのは、 ソウル市光化門の政府庁舎に近い座り込みテント。 イ・イングン支会長とイム・ジェチュン氏が座込場を守っていた。 「この10年を決して後悔はしていません。しかし....」11月9日、仁川教区労働司牧委員会が7年間、 コルトコルテック労働者とともに奉献しているミサで、 イ・イングン支会長はこのように話したという。 解雇以後、街頭での座り込みはもちろん、法廷の戦い、高空籠城とハンスト、 使用者側の物理的暴力、政治家の陰湿な攻撃など、 体験しなかったものはない10年だった。 疲れてつらい時間を過ごしながら、本当に後悔はなかったのだろうか。 「この10年は総体的に見れば後悔するような人生ではありませんでした。 40代初めにこの戦いを始めましたが、その前の人生と今の人生を較べれば、 むしろその前の方がはるかに資本と権力に隷属した人生でした。 今はそこから抜け出して、悪いことは悪いと話せます。」(イ・イングン支会長) イ・イングン支会長は 「後悔はないと言っても、実際に家族を見る時は、なぜ私がこんなことをしたのかという気がする」が、 「それでも少しの間のそんな後悔を相殺するのは、結局これは家族、子供たちの世代のためだという考えだ。 私たちの小さな犠牲で彼らがもっと良い国で暮らせるのなら、決して悪いことばかりではない」と答えた。 イム・ジェチュン氏はそれなりにギター職人として解雇されるまでギターしか知らずに暮らしてきたが、 戦いに飛び込んだ後には私たちが暮らす世の中がこれほど間違っていることを知ったと言う。 彼は「こんな世の中なのに、なぜ若い時に戦わなかったのか、 なぜ自分だけがゆったり暮らそうとしたのか後悔する」とし、 「10年戦っても相変らず子供たちが世の中で苦しんでいるのを見て、 結局私たちの誤りだったと考える」と話した。 ▲コルトコルテック イ・イングン支会長とイム・ジェチュン組合員[出処:チグミョギ チョン・ヒョンジン記者] ギター職人、曲を書いてレコードを製作するキム・ギョンボン、パン・ジョンウン、イ・イングン、イム・ジェチュン。 現在、コルトコルテックの戦い現場を離れずにいるのは4人だ。 2012年7月、彼らの戦いが2000日になった時までは、彼らの隣にさらに4人の同志がいたが、 もう生業を放棄できずに他の仕事をしている。 残る4人は青瓦台前での1人デモ、他の事業場との連帯活動、各種の集会に参加している。 これまで彼らは演劇俳優として自分たちの話を演技して、 本も出版したが、 今度は自分たちが作った歌でレコード製作に挑戦した。 12月9日にショーケースで披露する「闘争10周年記念レコード」には、 5曲の歌と1編の詩が入っている。 このうち4曲は、残った4人が直接歌詞を書いた。 2014年、大法院判決を嘲弄したイム・ジェチュン氏の「瑞草洞占い所」、 決して夢を放棄しないという意を込めたパン・ジョンウン前支会長の「夢があるか」、 朴栄浩(パク・ヨンホ)社長に送るメッセージのキム・ギョンボン氏による「呪文」、 2008年の高空籠城当時の気持ちを描いたイ・イングン支会長の「高空」だ。 初めて戦い始めた時から 「ギターを作る労働者なら、ギターがとても上手なんでしょうか?」という問いを数えきれない程受けたが、 まさに彼らの中にはギターの弾き方を知っている人は誰もいなかった。 その後、ある人はギターを持って歌を歌い、 打楽器をたたきながら「コルベン」というバンドを作って演奏活動をしてきた。 イ・イングン支会長は 「コルベンの活動は、初めはエネルギーになったが、 今は実力が伸びず、ひとつの苦痛になった」と笑った。 彼は「初め、みんなは当然ギターを弾けると思っていたが、 違うと答えながら笑い流した」という彼は、 「考えてみるとギターを作る人がギターを弾けないということは、違う意味だった。 ギターではなく、その部品一つだけを触って暮らしてきたので、 結果的に私はギターを作るという自負心を持つ労働者ではなく、 ただ付属品になっていった」と話した。 イム・ジェチュン氏は木材という材料の特性上、空間が統制されなければならないのはその通りだが、 窓をすべて塞ぐなど、コルトコルテックはその程度がはるかに激しかったとし、 「新しく鶏龍(ケリョン)に建てた工場は、完全に密閉型だ。 季節によって温度・湿度を調節する機能ができたが、 全てが遮断されたそこを朴栄浩代表は 『夢の工場』だという」とし、苦々しいといった。 イム氏は「私は生産全ラインを管理する立場だったので、かなりのギターは見れば分かる。 最近、コルトコルテック・ギターの売り上げが落ちたというが、 見てみるとその理由が分かる」とし、 「独断的経営の当然の結果だ。 労働者もギターも利益の手段でしかなく、 労働者を殺すからギターも死ぬ」と話した。 ▲2016年4月、ソウル市鍾路区曹渓寺の仏教伝統文化公演会場で開かれたコルトコルテック社会的解決と連帯のための文化祭でコルトコルテック組合員バンドが公演している。[出処:チグミョギ資料写真] 「復職する工場がないので解雇は有効」、「未来に生じかねない経営上の危機」
|