韓国:韓進重 趙南鎬会長が労組に強硬な理由は? | |||||||
Menu
おしらせ
・レイバー映画祭(報告) ・レイバーネットTV(10/30) ・あるくラジオ(10/10) ・川柳班(10/31) ・ブッククラブ(10/12) ・シネクラブ(9/1) ・ねりまの会(10/12) ・フィールドワーク(足尾報告) ・三多摩レイバー映画祭 ・夏期合宿(8/24) ・レイバーネット動画 ●「太田昌国のコラム」第95回(2024/10/10) ●〔週刊 本の発見〕第366回(2024/10/24) ●「根津公子の都教委傍聴記」(2024/10/24) ●川柳「笑い茸」NO.157(2024/9/26) ●フランス発・グローバルニュース第14回(2024/10/20) ●「飛幡祐規 パリの窓から」第95回(2024/9/10) ●「美術館めぐり」第4回(2024/10/28) ★カンパのお願い ■メディア系サイト 原子力資料情報室・たんぽぽ舎・岩上チャンネル(IWJ)・福島事故緊急会議・OurPlanet-TV・経産省前テントひろば・フクロウFoEチャンネル・田中龍作ジャーナル・UPLAN動画・NO HATE TV・なにぬねノンちゃんねる・市民メディア放送局・ニュース打破配信プロジェクト・デモクラシータイムス・The Interschool Journal・湯本雅典HP・アリの一言・デモリサTV・ボトムアップCH・共同テーブル・反貧困ネットワーク・JAL青空チャンネル・川島進ch・独立言論フォーラム・ポリタスTV・choose life project・一月万冊・ArcTimes・ちきゅう座・総がかり行動・市民連合・NPA-TV・こばと通信
|
韓進重の趙南鎬会長、頑なに労組に『強硬』する理由は?2003年と2011年の敗北の記憶...「報復心理とスービック造船所問題からみ」
ユン・ジヨン記者 2013.02.07 14:19
チェ・ガンソ烈士の遺体が韓進重工業工場に閉じ込められて8日目。遺族と韓進 重工業支会は会社側に対話を要求しているが、会社は事実上対話を拒否し事態 が長期化している。 2011年、韓進重工業の趙南鎬(チョ・ナモ)会長が国会聴聞会にまで出席して、 一度苦しんだ後、労組に対する彼の態度ははるかに強硬になっている。釜山市 影島をはじめとする全国の烈士闘争の中心で、彼はなぜそれほど頑なに事態の 解決に出ずにいるのか? ▲2011年10月7日国会環境労働委国政監査で証人代表で証人宣誓をする趙南鎬会長[出処:チャムセサン資料写真] 「2003年から労組の言いなりになったという被害意識... 報復心理が発現」釜山影島の韓進重工業正門前のテント座込場で会ったある組合員は、「趙南鎬 会長がこれほど頑なに労組を弾圧するのは、2003年のキム・ジュイク、クァク・ ジェギュ烈士闘争で会社が完敗したことに対する報復心理の発現だ」と説明した。 2003年、キム・ジュイク、クァク・ジェギュ烈士がひきつづいて死亡した後、 会社は労組の要求を受け入れて団体協約を結んだ。労組は団体協約で人事権な どで有利な条項を勝ち取り、会社はその年の烈士闘争で完敗した。2010年には 会社が大規模整理解雇を断行したが、全国的な『希望バス』ブームで、これも 挫折した。 その上、趙南鎬韓進重工業会長は涙の『対国民要請文』発表に続き国会聴聞会 にまで出席しなければならなかった。国会聴聞会席では『カンニングペーパー』 の議論で恥をさらした。 8日間、工場の中で遺体を守っている民主労総釜山本部のキム・ジンスク指導委 員は「当然、感情的な問題があると思う」とし「非公式に聞こえる話は2003年 の烈士闘争以後、会社が労働組合の言いなりになったという被害意識がとても 大きいということ」と説明した。 続いてキム指導委員は「2003年の烈士闘争後に韓進重工業支会は、国内最高の 団体協約といえる前向きな内容の労使団体協約を締結した」とし「だが、複数 労組の結成以後、交渉代表権がわたってその時に勝ち取った人事権などをまた 会社に奪われた」と説明した。 実際、韓進重工業労働組合(企業労組)が昨年9月に会社と締結した団体協約は、 人事権条項などで大きく後退した。 既存の金属労組韓進重工業支会の団体協約『懲戒』条項は、懲戒委員会の懲戒 委員を労使4人ずつ同数で構成することになっている。これは2003年、烈士闘争 の後に労組が勝ち取った成果だった。だが、韓進重工業労働組合と会社の団体 協約では、『懲戒委員は労使各4人ずつとする』という文句が削除された。その 代わりに『組合役員3人が参考人として参加して弁論できる』という文句が挿入 された。 支会の組合員は「会社は2003年以前に労組を戻したいようだ」とし、「2009年、 会社側ある役員は新年の挨拶で『2003年の誤りを戻す』と話し、その後、労務 管理者出身の役員が入り始めた」と説明した。 「この機会のがせば影島工場の閉鎖は遠のく」韓進重工業使用者側の『強硬策』を、単に『報復心理』だけで説明するのは、 多少無理がある。そのため労組は、会社がフィリピンのスービック造船所に 移転するために、『労組瓦解』という必須段階を踏んでいると把握している。 [出処:チャムセサン資料写真] 韓進重工業は、2006年からフィリピンのスービック湾に造船所の建設を始めた。 韓進重工業支会は影島造船所の物量減少と雇用不安を憂慮し、2007年、会社と 特別団体交渉を締結して会社の経営に制約を加えた。 特別団体交渉の内容には、△会社は現水準の適正人員を維持し、経営上の理由 で国内工場の縮小および閉鎖など、人為的な構造調整をしない。特に海外工場 などにより、国内工場の組合員の雇用不安が発生しないようにする、△会社は 海外工場が運営される限り、組合員の整理解雇など団体協約上、定年を保障で きない行為はしないという内容が含まれた。 しかし、会社は2010年の上半期だけでもスービック造船所に23隻を受注したが、 影島造船所にはただ一隻の船も受注しなかった。その代わりに会社は4年間影島 造船所の受注がなかったとし、大規模整理解雇を断行した。労組と市民社会は これを事実上の影島工場閉鎖宣言と受け止め、全国的な『希望バス』が稼動し た。結局、会社の影島工場閉鎖の最初の手順だった『整理解雇』計画は挫折した。 キム・ジンスク指導委員は「会社が今この時点で労働組合を完全に破壊しなけ れば、今後、影島工場を閉鎖してフィリピンのスービック造船所にオールイン する計画に支障が出る」とし「どうせ会社は国内で工場を運営しないので国内 のイメージで打撃を受けるとしても特に関係はない」と説明した。 続いて彼女は「2011年にも常識以下で会社が頑張ったのも、このような理由の ため」と説明した。韓進重工業支会の組合員も「今後労組が瓦解すれば、影島 工場が閉まるのは時間の問題」とし「会社は労働組合がない世の中に行く準備 をしている」と声を高めた。 なお、チェ・ガンソ烈士の遺族と労組側は2月4日、記者会見で『無条件に交渉 の日程を定めれば、故人を会社工場外側に移す』と明らかにした。だが会社側 は『故人の遺体を会社の管理範囲外、デモ者全員が工場の外に出て行くこと』 を要求条件に出して、事実上、交渉拒否を宣言した状態だ。金属労組の関係者 は「6日の午前、事実上交渉の議論が中断したと考えなければならない」と明ら かにした。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2013-02-08 03:32:10 / Last modified on 2013-02-08 03:32:11 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ |